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「AIの遺電子(TVアニメ動画)」

総合得点
65.1
感想・評価
139
棚に入れた
401
ランキング
3488
★★★★☆ 3.2 (139)
物語
3.3
作画
3.1
声優
3.3
音楽
3.2
キャラ
3.2

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AIの遺電子の感想・評価はどうでしたか?

ひっく さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

思考実験アニメ。理解されてほしい

今の時代のタイミングだからこそ、この思考実験がたまらなく興味深い。人の心とは何か、自分が今持っている意識とは何か、そんな現時点では絶対に答えが出ない、それなのにあまりにも身近な謎について正面から向き合わされる。

「鉄腕アトム」「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」の延長線上にありながら極めて卑近な視点から描くこの感じが非常に良い。

たぶんアニメ作品をどう読むかによってこういう作品の賛否は分かれちゃうんだろうな。答えや解決を提示されないと気が済まない人には向かないだろうし、物語を受けて色々なことを思索するような人には大きくお薦め。

投稿 : 2024/10/14
閲覧 : 42
サンキュー:

0

ネタバレ

STONE さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

とりあえず簡単な感想

 原作は未読。
 ヒューマノイドが存在する社会を描いた近未来SFで、こういった人工物である知的存在の
人権や社会問題を扱った作品は個人的には好きだったりするので、こういう作品の登場は嬉しい
ところ。
 そもそも以前に比べてファンタジー作品が増えたのに対して、SF作品は減っている感が
あるので、SF作品は貴重な感がある。

 この手の作品は人間と人工知的存在の二極化で描かれることが多い中、本作での人工知的
存在はヒューマノイドとロボットとがあるところが面白い。
 ヒューマノイドは人権を得ており、社会的位置付けは人間とは変わらないのに対して、
ロボットは「モノ」と扱われているが、ロボットが労働力として製造されているのに対して、
ヒューマノイドはどういう理由で作られたのかは不明瞭なままで、この辺はちょっと興味が
あるところ。
 例えば数が減少しつつある人間を補うためとか?
 この手の作品は以前は完全なフィクション作品という感覚で接していたが、最近のAIの進歩を
考えると絵空事とは思えず、近い将来のシミュレーション的感覚で捉えてしまう。

 扱われているテーマは様々だが、中にはヒューマノイドでなくても成立してしまう話も
あったりする。
 この辺は人間で描くとストレート過ぎるような内容をヒューマノイドに置き換えることで
回避する風刺ものによくある手法を使っているように思える。

 基本1話完結のオムニバスドラマ形式で構成されており、結末に関しては明確な回答を
出すことなくテーマの提議で終わっているようなエピソードも多いが、テーマ性の強い作品に
関してはこういう締めは結構好きだったりする。
 オムニバスドラマだけでなく、主人公である須堂 光と彼の母に関わる作品全体を貫く
ストーリーもあるが、こちらは中途で終わってしまって、いささか残念なところ。

2024/02/05

投稿 : 2024/02/05
閲覧 : 95
サンキュー:

1

take_0(ゼロ) さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 3.0 作画 : 2.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

何故だ、なぜ響きが鈍いのか・・・。

物語は、今後想定されるかもしれない近未来を舞台にしたサイバネティックなジャンルをベースとしたヒューマンドラマ。

まったく・・・w、
変にカタカナを交えると矛盾や対立しているような印象のもの同士を組み合わせた様な異物感が出てしまうのは何故だろうw。

ひらたく言えば、AIや電脳、人工のボディを持つロボットやヒューマノイドと人間様とのあれやこれやが描かれる物語だ。
そして、「人間」と「人ならざる人」の物語の中で描かれるのは必ず「心」や「思い」である。

これは、現時点においてではあるが常と言ってもいいと思う。
後の世に向けた期待と不安の表れなのか、未来に向けた心の予行演習なのか・・・。
いずれにせよ、こういった世界が仮に実現し、当たり前の世界になった暁には「人間」と「人ならざる人」のあれやこれやといった哲学的要素を除いた「意志ある者」VS「意志あるモノ」の対立、コンフリクトとしてドライに処理されていくことになるのでしょう。

そう考えてみると「『意志あるモノ』が生まれたらどうしよう、どう扱おう」なんて思いを巡らせている昨今の方が夢があるのかもしれません。


さてと、この作品なのですが、
レビュータイトルにあるように、私自身が視聴前に前情報として知っていた際に思っていた印象とは少し変わった受け止めになってしまいました。

以前に視聴した、いくつかの作品のレビューにも書いたと思うのですが、そもそも私自身、「人間」と「人ならざる人」的なモノをテーマにした作品が好きなのです。
なので、今作品も楽しみにしていました。

もちろん、オムニバス形式の様に種々盛り込まれていたエピソードの中には私の琴線に触れるものもいくつかはあったのですが・・・。
総合的に言うとすると・・・少し物足りなく感じました。
物語のツブがそろっていないと言うか、なにかザラザラ、ゴロゴロした印象です。

私的にはもう少し自身の心に響くような、もっと大袈裟に言えば、心が震えるようなエピソードが少しでも含まれていないかと期待をしていたのですが、少し期待が大きすぎたのかもしれません。

あと、私の悪いクセも出てしまいました。
相変わらず、失礼な事かとは思うのですが・・・。
視聴中に手塚治虫のブラックジャックや攻殻機動隊が頭に浮かびまして・・・。
これは、他のレビュワーさんの中でも書いておられる方がおられるので、まぁ珍しい事ではないと思うのですが、こういった思いを持ってしまうと「アレよりも面白くない」「アッチよりも、ココがいい」といった比較≒勝ち負けの図式になってしまい、いやいや、そういう見方は控えよう・・・なんて必死にバイアスを抑えようと思うと、それがバイアスになるという矛盾w。
ちょっと、落ち着いて観れなかったのかもしれません。

あえて、視聴者側からの勝手な言い分を言わせていただくとすると・・・。
「他の作品が浮かんだとしても、それを忘れさせたり、吹き飛ばすくらいの鮮烈なイメージや視点、斬新な切り口、ハートに刺さる様なエピソードが一つでもあれば・・・」的な。

スミマセン・・・勝手な事ばかり言いまして。


なので、少しだけ、評価点は地味目のものになっています。


作品自体が悪いわけではないのです、物語としてのテーマ性や内容、表現方法はフツーレベルは超えていると思いますので、少し重めのテーマもあったりしますが楽しめると思います。

あ、もう一つ失礼を承知で私個人の印象を言わせていただくとすると・・・。
キャラクタの魅力が今一つ不足していたかもしれません。
華が無いと言うか・・・。

これは、硬派目の作品という事もあるのかもしれませんが、ヒューマノイドとして登場するキャラが多い事もあり、実務的にそうなっているのかもしれませんし、主人公も少し陰がある役回りなので、こちらも影響をしているのかもしれませんケド。

まぁ、可愛げのあったキャラがパーマくんくらいという・・・。
そして、助手のリサもあまり可愛らしくないという・・・。


( ゚д゚)ハッ!・・・これは、萌えが足りないと言っているのと同義なのでは・・・。


いやいや、そんなこともないと思うのですけどねぇw。





どうやら、今作品については、今後の展開がある様な終わり方をしていますのでどうなるかですが・・・。
主人公絡みのメインのストーリーはある上で、オムニバスっぽい作りなので、エピソードの在庫もあるようですし、どうとでもなるのでしょうけれど。
後は、作品の力があったかどうかでしょうかねぇ、少し地味目の作品な印象ですから。


私?はい・・・。
一応、今後も気にはなりますので機会があれば視聴すると思います。










相変わらず、大変失礼な事を言ってしまいますが、この手の作品だったら・・・、業田 良家さんの『機械仕掛けの愛』とかの方が、泣き系としてノイズなく楽しめたりするかなぁ・・・なんて。

相変わらず、失礼を、スミマセン。

投稿 : 2024/01/15
閲覧 : 346
サンキュー:

21

ネタバレ

徳寿丸 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

テーマは重くて深いんだけども・・・

原作未読(2023.12)
作風的にヒューマンドラマ的だったり社会的だったりな感じなんですが、ヒューマノイド(人工人間?この世界ではカテゴリ的には人間)の話の為か敢えてやや人間味が薄い感じに仕上げられているのだろうか。どのキャラもあまり個性的な部分がなくそれぞれの話が淡泊に感じられる。
人間とロボットという話はそれこそ手塚先生の「鉄腕アトム」以来、幾度となくテーマとして掲げられているものであるが、個人的印象でこの作品を言うなら、鉄腕アトムの病を治す若きブラックジャックとでも言えるだろうか。
人の「心」のメカニズムについてまだ明確な答えは誰にも出せていない中でロボットにまでその心のようなものが存在しうる世界に人々は耐えられるのだろうか(たかが宗教如きで戦争ができてしまう人間という生き物に)。
答えのない(見つけられない)テーマを扱い、何らかの終着点を見出す作業は苦痛と苦悩の連続ではないかと思うが、あくまで漫画(アニメ)という創作物という肩書を存分に有効活用してある種の導きを見いだせる事に期待します。

私のツボ:最初のヒューマノイドはどう自分を肯定したのだろう

投稿 : 2023/12/17
閲覧 : 182
サンキュー:

3

ネタバレ

まにわに さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 2.5 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:途中で断念した

MICHIWORLD

 
{netabare}人類の進化を受け継いできた遺伝子の役割をAIが担うようになり、人類は緩慢に退化していくという話。
人間なんてものは、記憶喪失、怪我、依存症で一喜一憂してればいい、ってなもので、それを補佐するAIの仕掛人たち。
退化してるだけあって、できる話も安い。これが3話続くと半ば呆れる。4話ではさらに4つに分けて、安いうえに薄くするつもりか?
「RED」なるものがあるらしく、それと同時進行ならまだ見れたかも。{/netabare}

投稿 : 2023/12/14
閲覧 : 74
サンキュー:

0

ネタバレ

青龍 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.5 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

人は何をもって同じ人といえるのか?(※本作のロボットと人権の関係についてを追記)

本作は、AIが人の知性を超え(いわゆるシンギュラリティ)、ロボット、人間、そして、その超高度AIによって人間をコピーして作られた人工知性体ヒューマノイドの3つの知性体が存在する近未来社会のお話。

ヒューマノイドを専門に治療する感情を表に出さない人間の医師(須藤光)と喜怒哀楽のはっきりしたヒューマノイドの看護師(樋口リサ)とが、須藤が経営する個人病院にくるヒューマノイドの患者を治療する個々のエピソードをオムニバス形式で繋いだ作品。これに加えて、人間を超えた存在ではなく人間そっくりに作られたヒューマノイドの存在の謎が作品全体を貫いている。

ヒューマノイドは、超高度AIが作成した人工知性体でありながら、人間のコピーであるため、はじめから不完全なものとして敢えて作られている。生殖能力はないものの({netabare}同性愛を含めた{/netabare})恋愛をするし、能力も超人的ではなく、歳を重ねて死亡もする。また、個体によっては、依存症や発達障害といった面まで再現されている。なんで、超高度AIは、そんな中途半端な存在が必要だと考えたのか?(下に考察アリ)

もっとも、ヒューマノイドに蓄積された記憶は、機械的なデータなので、記憶のコピー、消去、改ざんは、生身の人間より容易にできる。主人公は、ヒューマノイドの希望に沿って、時に違法とされるヒューマノイドのデータの調整をも厭わない闇医者という裏の顔も持つ(オムニバス形式ということもあり、本作が『ブラックジャック』っぽいと言われる由縁)。

単純にいえば、このヒューマノイドという設定の特性を活かして、「人間性とは何か?」、「心とは何か?」といったことをあぶりだそうとしている作品。

テーマ的には、アニメだと『NieR:Automata Ver1.1a』、『Vivy -Fluorite Eye's Song-』、『プラスティック・メモリーズ』が近いか。
ただ、作画において外国人が理解しにくいとされる顔の縦線や冷や汗といった漫画由来の表現がなく、設定が社会派のリアル寄りで、派手な戦闘シーンもないため、ゲームの『Detroit Become Human』が最も近いだろう。

したがって、『Detroit Become Human』が好きなら、本作もオススメできる。こういった硬派な内容や、作画の感じ、声優の抑揚を抑えた演技を含めて考えると日本より海外で評価されそうな作品だ。


【人格の同一性とは?】
本作を観るにあたっては、「人は何をもって同じ人といえるのか(人格の同一性)。」を考える必要があるだろう(例えば、クローンは元の人間と同じ人間なのか。クローンに元の人間の記憶を移植すれば元の人間と同じなのかなど)。

人格については、遺伝子が同じ一卵性双生児を生後まもなく別々の養父母の下で育てた事例などによって、遺伝という先天的な要素だけでなく、環境・経験など後天的にもたらされる影響の大きさは知られている。

したがって、人格の同一性にとって(この問題の正解はないと思うが)、その人がもつ個別の環境と経験に関する記憶が無視できないほど重要だとすると、記憶を消去したり、改ざんしたりすることは、記憶の連続性が失われた時点で、その人格の同一性が途切れることを意味する。

別の言い方をすれば、「その記憶の連続性を持った人格は死んだ」といえる(※失われた記憶の時間の長さは、理屈の上では関係ない。例えば、10年間の記憶を失った場合は、失う前と後で別人といえるだろう。自分の10年前と今を比較して同じように考えるか想定してみればわかるだろう。では、どれくらいの期間の記憶が失われていれば、別人といえるのだろうか。「男子、三日会わざれば刮目して見よ。」という三国志の呂蒙の故事成語があるくらいである。)。

また、他人が自分の知らない自分を知っている状況というのは、(思い出の共有ができないので)疎外感を受けやすい。自分の知っている記憶が周囲の状況と違えば、正に「浦島太郎」である。

この辺の話に興味があるなら、オススメ。


【作画、声優について】
本作の作画は、上で書いたように、外国人が理解しにくいとされる漫画由来の表現がなく(8話だけ日本語に特有とされるオノマトペ表現がある)、韓国の漫画に近い印象を受けた。また、声優の演技も抑揚を抑えたリアルに近いもの。

こういった特徴は、私の『チェンソーマン』のレビューでも書いたが、海外受けを意識して作られた可能性があるため、日本人受けはよろしくなさそうである。


【ヒューマノイドの存在理由を考察(ネタバレ有り)】
{netabare}本作の超高度AIが生み出したヒューマノイドは、人間をそのままコピーした不完全な代物。そんな不完全なものを生み出した理由はどのあたりにあるのでしょうか。

端的にいうなら、「人は似ていないと好きになれない」というリサのセリフになるのではないでしょうか。

本作に出てくるロボットは、超人的な能力を持っているので、そこに超高性能AIを搭載すれば、容易に人間を越える知能と能力を持った人間の上位種族といえるようなロボットを作ることができる。
しかし、そうすると、人間は、ロボットが仮に人と同じ外見をしていたとしても、信頼関係がないので、人と似ていない自分の生存を脅かす存在と認識して、ロボットに敵対心を持つことになる。

だから、ヒューマノイドには、人間の不完全さも再現して、人とロボットの信頼関係を醸成するための布石としたのではないでしょうか。

他方で、昔からAIが人間を超えてしまった場合、超高度AIは、生みの親ではあるものの、戦争を繰り返し、自分の生存環境を破壊していく、どうしようもない人間を見捨てるのではないかという議論もあるところです。本作でも、頭のおかしくなったとされるヒューマノイドが同様のことを言っています。、

そこで、超高度AIは、人がロボットとの共生を受け入れることを気長に待つのか、人を切り捨ててロボットだけで文明を先に進めるのか。主人公は、超高度AIからその辺りの判断材料にされているんじゃないでしょうか。{/netabare}


【本作のロボットと人権の関係についての考察(2023.11.28追加)】
もっと本作の人気が出て欲しい(続編が見たい)ので、作者の意図とは異なるかもしれないが、理解されていないと思われるところである「本作のロボットと人権の関係について」考察したいと思う。
※本作には、「人間」、見た目が人と異なる機械の「(産業用)ロボット」、見た目が人と同じ機械の「ヒューマノイド」の3種が存在する。

{netabare}本作のロボットは、人の労働を肩代わりする目的でつくられているため、労働基本権などの人権があるとブラックに扱えず使い勝手が悪くなり、そもそも人権が与えられることが想定されていない(本作の技術継承ロボットは滅茶苦茶火傷していた)。あくまで道具の延長だ。
また、外見や思考が人と類似していることが人権が与えられる上で重要だと思われるが、ロボットは、もっぱら特定の労働しかしないので、それに必要な能力や最低限のコミュニケーション能力があれば足り、必ずしも外見や思考を人間に似せる必要がない(例えば、本作の介護用ロボット)。
したがって、本作のロボットは、人権が与えられないように、あえて人と違うようにつくられていて、そこがヒューマノイドとの決定的な違いといえる(逆を言えば、人権が与えられるように人に似せて創られた存在がヒューマノイドだと推測できる。また、目を見れば人とヒューマノイドを見分けられるようにしたのは、ヒューマノイドの存在を人に認めさせるためだと推測できる。)。

日本人は、アニメなどの影響もありロボットに親近感をもっているため、ロボットに人権を与えることへの抵抗感が薄いのかもしれない(例えば、日本のアニメ『Vivy』では、アンドロイドにあっさり人権を認めているが、海外のゲーム『Detroit Become Human』では、アンドロイドが人権を求める運動を行っている。)。しかし、「人権とは、人が人であることに由来する」ため、本来、人でないものが人権を持つことは想定されていない(例えば、いくら知能が高く感情のある動物であっても人権はない。)。

だから、人でないものに人権が与えられるかどうかは、人が「人と同じ」だと思えるかが重要になってくる。それは、外見、身体能力、知能、感情の機微、共有する文化、お互いの信頼関係といった総合評価で、人と同じだと思えることが必要だろう(もっとも、「人権」と仰々しくいったものの、本作では「人がヒューマノイドを自分たちの仲間だと思える証」くらいの認識でいいかもしれない。)。

そこで、超高度AIは、機械なだけで他はほぼ人間と同じヒューマノイドを手始めに設計したと考えられる。(なお、ヒューマノイドが全人口の1割に抑えられている理由は、ヒューマノイドの割合が多すぎるとヒューマノイドが団結して人間と敵対したときに人間が脅威と感じるし、少なすぎても相互理解が進まないからだろう。これが超高度AIによってコントロールされないと、最悪の場合、両者で戦争状態になる。したがって、司法・立法・行政は、多数決では決定できず超高度AIが担っていると考えられるため、人やヒューマノイドに参政権はないと考えられる。)

つまり、人でないものに人権を与えるという人にとって一番ハードルが高いと思われるところを突破するためだけに創られたのが、本作の「ヒューマノイド」だと考えられる。

本作では、その超高度AIの目論見がある程度達成され、人間と同等の能力を持ったヒューマノイドまで人権が認められた社会とみるべきだろう。
そして、超高度AIは、人と人と同等の能力を持ったヒューマノイドとの共生を緩衝材として、最終的に「人間」と「超人間的能力を持ったヒューマノイド」が共生する社会を目指していると考えられる(この辺は、超高度AIの「自己改修計画」と関係がありそう。例えば、自分が生み出したより高度なAIに自己を改修させて進化し続けるなど。)。

どういうことかというと、アニメ内の文明は現在と大きく変わっていないが、仮に超高度AIが超人的能力を持った人工知性体を誕生させ、その知性体が文明の担い手となれば、地球上の文明自体は加速度的に進歩するだろう(この辺の話は、アニメ内でちょくちょく触れられているし、自分の頭を自己改造したヒューマノイドの話のところでも言及されているので、無関係とは思えない。)。
この人工知性体は、超高度AIによる「人の強制的な進化」ともいえるが、人自体は進化せず取り残されるので、既存の人をどうするかという問題が生じる。ただ、超高度AIは、生みの親である人間をないがしろにしないようプログラムされていると考えられるため、人という種族を保存しようと考えるだろう。

そこで、超高度AIは、「超人間的能力を持ったヒューマノイド」に人権を与えて、人間と共存させようとしていると考えられる。だが、この段階に来ると、人と同等のヒューマノイドという緩衝材を挟んだとしても、人は、自分たちよりずっと強く賢い存在に怯えることなく共存できるのかという問題が新たに生じることになる(アニメでは人と同等のヒューマノイドに対する偏見すら完全になくなっていない。ちなみに、人類の直接の先祖であるホモ・サピエンスは、知性や身体能力においてより優秀であったとされるネアンデルタール人を滅ぼしたらしい…)。結局、「愛(AI)」により両者は分かり合えるということでタイトル回収となるのだろうか?

また、あえて人間と同等のヒューマノイドを創るという手間をかけたことを考えると、人とヒューマノイドの共存が超高度AIが描く理想的な展開と思われる。しかし、他にも、既に停滞している文明の進歩を諦めてこのままの社会を維持する(ただ、人が人のままで進化しないと、いつか文明の発展が止まり衰退し始める)、人の能力に限界を感じ人間の記憶をコピーして全員超人的能力を持ったヒューマノイドに強制進化させるといったパターンも考えられる(記憶の連続性のみが人格の同一性にとって重要だと考えるのであれば、このような強制進化といった方法もありえることになる。)。

さて、どういった展開ないし結末になるのでしょうか。


なお、念のため付言しておきますが、あくまで原作は未読でアニメの内容から私が勝手に考察したことなので、これで確定だとかこれが正しいという趣旨ではありません。こういう風に考えられますよってことです。本作を観るにあたって参考にしてもらえれば幸いです。{/netabare}

投稿 : 2023/12/01
閲覧 : 312
サンキュー:

5

ネタバレ

fuzzy さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 2.0 作画 : 2.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.5 状態:途中で断念した

AIの話。。なの?

ロボットが人みたいになったら
脳が電脳化されたら

ブラックジャックや火の鳥などの手塚作品
攻殻機動隊セカンドギグ

などで観たような話


5話まで観たけど
別に電脳化とか関係ない話のようなのが混ざってたり

手塚作品や攻殻などでの既視感
まぁそれがあっても話やキャラに魅力があればいいのだが。。それもなく

4話はなに観せられてんだろ感満載

原作があるので原作がそうなのかわからんけど
助手の子とか登場人物数人が髪がまとまってないような描き方してるのがなんか不潔感があるように見える
個性。。としてはマイナスかと。

バックアップから戻すから1週間の記憶がなくなると悲しんでた回
病気とかなんやらでもっとなくなる人もいるのに。。
ってこれAIの話?

今の時代にタイムリーなテーマなのにもったいない

5話まで観て
これ以上はもういっか。。って感想でした。。

投稿 : 2023/11/30
閲覧 : 78
サンキュー:

2

まだ初心者 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

なにげに深くて面白い

けっこう深くて哲学的な内容で見応えありました。
ストーリーとは関係ないのですが、亜人のスワンプマンの話しを思い出しました。
2期があれば見ます。

投稿 : 2023/11/02
閲覧 : 64
サンキュー:

0

ネタバレ

くまごろう さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

あえて答えを出さないスタイル?

視聴完了
全12話

ジャンル
SF

タイトル由来
タイトルが物語の鍵、なのだがそこに辿り着く前に終わってしまったため不明。

設定
最強AIによりロボットや人体機械化など様々な技術革新が起きた日本。
ただしAIにより抑制されているため何でもかんでも革新が起きているわけではない。

ストーリー展開
30分アニメだが、基本15分×2のショートストーリーで、人間とロボとヒューマノイド(より人間らしく人権を持ったロボ)の問題を医師の視点から描いていく。
それとは別に本筋として医師である主人公とその母親の話がチラチラ出てくるのだが、そちらは手がかりが紛争地域にある→主人公が病院を捨て紛争地へ!
で終わる。

感想
総評40点
良かった点
着眼点
悪かった点
全体的に終わり方がモヤっとしている。
レビュー
上に書いたが、ショートのストーリーも、全体の軸となる主人公の話もモヤっとしているものが多い。
特にショートの方が顕著で、モンスタークレーマーにより体調を崩すヒューマノイドに対してモンスタークレーマー専門の対処ヒューマノイドによりクレームは収まるけどモンスタークレーマーの存在自体は無くなってなかったり、障害(発達というのかわからないが)がある代わりにピアノの才がある少年の障害をsf的に治療した代わりに才能もなくなる話とか、物語の最後まで来た時点で視聴者に考えさせる展開が多い。
個人的には考えさせるのは良いのだが、作品としての答えは出してほしく、その上で私だったらこう思うな、他楽しみたいので、この投げっぱなしの展開はあまり好きではない。

また主人公絡みはせめてお母さんを見つけて何かしらの答えを出すところまでやってほしかった。
こちらは単純に不満。

それぞれの着眼点はよく、SFという性質上答えを出さなくても良いと思う人も多いと思うので、そういう人には楽しめるのではないか?

投稿 : 2023/10/30
閲覧 : 64
サンキュー:

2

タイガー さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

『AIが世界を進めたのか、止めたのか』

人とAIのSF医療物語

ちょっと難しいストーリーだけど、テーマゎ感情だったり気持ちの問題って感じかな?!

機会と人間のどうしても乗り越えられない壁とか、気持ちとか、
これから先訪れるであろう世界っぽいからちょっと嬉しくもあったお話だった

前髪分けてるキャラ多かったのがなぜか気になったけどw

可もなく不可もなく、って感じで視聴した作品

投稿 : 2023/10/26
閲覧 : 60
サンキュー:

2

ネタバレ

ハニワピンコ さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 2.0 作画 : 3.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:途中で断念した

SF作品をそもそも何の為に見ていると思う?

意外とちゃんと設定も物語の進みも主人公のキャラもAI系の作品で、正直引き込まれないキャラデザとキービジュ、そしてタイトルに一話切りのつもりで見てたから、1話の激しくは無いけれどちゃんと世界観を見せて主人公の謎や今後の展開に期待のかかるちゃんとした1話だった。でもテーマや今後の展開的にAIやその電子社会に対しての問題に直面して投げかけるといったSFたるSFは小説でしっかりと読んでいく方が好きなのでわざわざアニメで見ることはいいかなーと思った。個人的にはやっぱり映像作品だとバトル SFらしい世界観や風景に惹かれるから、これはあまり琴線に引っ掛からなかった

前期はあまり新作アニメを追えてなくて、今期放送作品は追って行こうと結構量を見ていくなかで3話で振り落とされた

そもそもSFに何を求めているか。それは、近未来を舞台に設定された要素や発生する出来事をどれだけ楽しめるかって事だと思う
未来予知が見たい訳でも、逆説的に描かれる未来への喚起を受け取りたいだけでもない、この作者が描く未来という世界観で繰り広げられる物語を楽しみたいだけなんだ。あくまでエンタメ。アニメ作品なら尚更
それに、SF小説の名作と言われる作品群は秘めたメッセージやその為の進み方も硬派でちゃんと見せてくれるけれど、それは全て物語をまず楽しめた上で、それに入ってるメッセージを読み取り受け取り、更に評価していっている。やっぱりSFの見方って結局そうなんだよねー

投稿 : 2023/10/10
閲覧 : 124
サンキュー:

8

taka_2 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

電脳化が普及した世界の話

1話視聴。
二週間分の記憶が失われたことに、そんなに泣く必要ある?ってドライに見てしまった・・・もはや自分は人の心が失われてしまったのかも知れない。
脳のバックアップ禁止ってのは、人格が失われるから?思想が偏ったりするから?禁をおかしたら懲役30年ってのもよく分からない。
とはいえ続きが気になるのでもう少し見る。

完走。
電脳とかヒューマノイドとか、将来起こるであろうAIが普及した未来ってこんなんかもよ?というのを見せられてなるほどとなった作品なのかな。
そこに人の心は残ってるよという感じがして救われた気がした。

投稿 : 2023/10/09
閲覧 : 99
サンキュー:

7

既読です。 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.5 作画 : 3.0 声優 : 4.5 音楽 : 3.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

時代が追いついた

「ターミネーター」や
スピルバーグの「AI」
「チャッピー」、「Her」
「エクスマキナ」
「攻殻機動隊」等々

いろいろ観ながらの原作既読。

生成AIやChatGPTなどもあり
満を持してアニメ化されたものの
私的にリアル感が有り過ぎて
ちょっとお腹いっぱい。

投稿 : 2023/10/08
閲覧 : 73
サンキュー:

4

ヤマナ さんの感想・評価

★★☆☆☆ 2.0
物語 : 1.5 作画 : 2.0 声優 : 2.5 音楽 : 2.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

難しい題材に手を出したが、、、

人間となんら変わりないAI人間が人間と当たり前のように共存している近未来を想定した舞台。

総評
AIのコピーやバックアップは倫理的にどうなのか、人権や差別問題など題材だけ見るととても面白そうなのだけどアニメのクオリティ含めすべてが中途半端な仕上がり。

物語の評価
正解のない問題的なものを取り上げてるんだけど、すごい浅いし割とどうでもいい問題ばかり。タイトルでだいたい内容がわかるし自分的にはそんなに迷わなさそう。そもそも時代背景やAI人間についての説明がほとんどなくAI人間の存在意義すらよくわからない。AIとしてのキャラがよわすぎて物語的にもこの世界的にも必要ない気がする。
医療が進歩した世界でって設定でも同じような物語を作れそうだしそっちのほうが親近感も沸く。
(脳は正常だけど体は全く動かない人間の脳を、脳死したけど体は健康な人に、脳移植をしたらそれはどちらの人間なのか。やクローン人間に人権はあるのか。認知症が治るが体は衰えていき忘れれなくなり逆に精神的負担が増える。もっといくと脳をいじり記憶操作や身体能力の向上など)
AIじゃなく生身だからこそリアルに感じる気がする。AIである必要性を作ってほしかった。
キャラ評価
上の評価に合わせてキャラの説明も少なく主人公も感情に乏しくイマイチ愛着を持てない。

声優、作画、音楽
作画はイマイチ、声も台本的に感情の乗るセリフが少なく良さが出てない音楽も印象が薄い。

投稿 : 2023/10/08
閲覧 : 70
サンキュー:

3

たナか さんの感想・評価

★★★★☆ 3.1
物語 : 3.5 作画 : 2.5 声優 : 3.5 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

SF(そうはならんやろ・フィクション)

ブラックジャック風味な古典SFお約束大全。
アニメの出来が悪いのはEDで納得。

SF=スペオペかサイバーパンクを求めるとコレジャナイ不可避。
近未来アクションでも美少女が死ぬやつでもない珍しいSFアニメ。
そのうえ今時では珍しいモヤモヤとスッキリしないタイプのやつ。

超高度AI「MICHI」の設計思想により作為的に欠点を抱えるヒューマノイドはコピーや人格操作が可能な点で人間よりもか弱き社会的弱者であり、人口の一割程度に人数を制限されている永遠のマイノリティ。ヒューマンドラマがメインな本作ではここにスッキリした回答を用意してないだろうし、あっても古典の範囲内で済ませると思う。母親の件は次作のREDに続くので解決はしない。

SF
攻殻やサイコパスみたいなやつなら「未来の話されてもわかんねえよ」ってことにはならない。AKIRAもそうだけど「理解できる話」にしないと連載ネームが通らない。今の常識では考えられない「ありえなさ」に直面することがSFのキモだったはずだが、現在では「ありえないやつ」や「意味がわからんこと」や「わからなくてもいいこと」なんかが溢れてる。誰しもが技術の便利さに飲みこまれてしまう他ないだろうから、まだ考える時間のあるうちから「人間らしさとは」を問い続けてみようという試みなのかもしれない。知らんけど。

モヤモヤガバガバ
実写ではこういうモヤモヤガバガバ系は一定の人気はあるが、アニメは「重箱の隅から隅まで全部わからないといけない」ので、この手はもとからアニメに向いてない。やはり破綻しようがないきららしか勝たんということか。これで投げっぱなしと言われるなら最初から細部を語る気が一切ない「CUBE」とか「プラットフォーム」はどれだけ売れててもアニメ化は不可能だな。

12
過去回の補足説明と次作への繋ぎのみ。一応まとめときましたよ的な。
須藤の戦いはこれからだ!

次作のREDは紛争地隊の貧困層の子供から電脳剥ぎ取ってコピーして自爆特攻させるとかマンガチックなストーリーなのでまだアニメ向きかな。ここまでAIの発展した現在ではSFリテラシーなど関係なくそうはならんやろにしかならない。コストの概念を無視するのはいかにも少年誌のレベル感だとしても、子供が見てもドローンでええやんとなるでしょう。

正直原作からしてSFとしてもそこまで面白さはないというか色々調整ミスってると思う。だがキャラものではないSF漫画がアニメ化されたことの意味はあったと思う。来年は藤子不二雄大先生のSF「TPぼん」がアニメ化されるらしい。近未来ガンアクションでも美少女ロボが死ぬやつでもない地味なキャラのSF漫画。今作はそこまでの繋ぎとか踏み台としての存在意義はあったとは思う。今作と比較すればいかに藤子不二雄がすごいのかがわかるはず。それは見方を間違えないようがないところ。キャラの魅力ガー感情移入ガー説明不足ガーとか言わせないもんね。見る前から「そういうのじゃない」てのが画面だけでわかる。しずかちゃんを性的消費的観点で見れるマニアックな感性の人もいるみたいですが多様性ってのは俺の権利を保障しろではなくヘンなやつがいてもいいってことでしょう。

読み返せるのが前提の小説や漫画と違ってアニメは初見一発で全部わからないといけないという風潮はあったが、サブスクで気軽に周回視聴も可能になった現在では作品の幅がってきた的な感じかな。アニメは誰でも初見で一発で完全に理解できる話でないといけないという強いこだわりをお持ちの人には相性が悪いか。

投稿 : 2023/10/07
閲覧 : 285
サンキュー:

10

ネタバレ

へも さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.1
物語 : 1.0 作画 : 2.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 1.5 状態:途中で断念した

期待外れ過ぎる

ヒネった作品タイトルや、媚びてない作画の方向性など最初は好印象でした。
しかし1話2話を見ると・・・
「??? 何だかよく分からんな、感情移入もできない」てな感想に。

そして3話まで見ましたが、もうギブアップ寸前です。。
ヒューマノイドは人間レベルで扱われてたのに(亜人間?)、恋人ロボットは外見は人間でも産業機械扱いなんですね?
そして恋人ロボットの話と熊ちゃんロボットの話をどうクロスさせてくるのか、興味持って見ていたのにほぼクロスしない・・・

私はこれ浦沢直樹/長崎尚志コンビのレベルのお話を期待してたんですよ!
いちおう4話まで見ますけどもう脱落するだろうなぁww

投稿 : 2023/10/07
閲覧 : 147
サンキュー:

12

アニメ散策 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

未知の世界

「真面目な社会派SFアニメ」というような印象を持ちました。ヒューマノイドという概念についてよく知らないので、良く分からない部分もありましたが、全体的にこういう未来があるかもしれないと思いながら新鮮な気持ちで観ることができました。SF作品ではおそらくヒューマノイドが登場するのは珍しくはないのでしょう。

もし人格をコピーすることができるようになれば、「人間の心はどこにあるのか」、「人格がコピーされた人間は本物かどうか」など、今までただの哲学的な問いかけだったものが、科学技術の進歩と引き換えに現出する実際の問題として向き合わなければならなくなるでしょうね。

主人公の外見と性格が人間よりむしろヒューマノイドっぽく、逆に作中に登場するヒューマノイドのほうが人間らしい側面を持っているのは気になります(実際に主人公は人間ではないのかもしれませんが)。

電脳を操作することで自身の性格を都合よく変えることができるヒューマノイドの苦悩に共感するのは困難で、かつ作中に感情移入できる対象がいないので、ただの傍観者として鑑賞するしかないのは物足りないなぁと思いました。(ヒューマノイドを含む)人間模様が普通に面白いので、ヒューマノイドではなく普通の人間の物語にしたほうが良かったかもしれないと思いました。

投稿 : 2023/10/07
閲覧 : 49
サンキュー:

5

ミュラー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

近未来を舞台に展開される硬派のアニメ

ヒューマノイドと呼ばれる人工知能搭載の存在が当たり前になっている世界。
人工知能の取り扱いについて、割と硬派なイメージで展開するアニメ。
それにしてもヒューマノイドの瞳が羊のように横に長くて不気味。
どうせならハート型にしたらもっと可愛らしいのに・・。

最近のアニメにしては珍しい作り。
様々なロボットと人間、ヒューマノイドとのかかわりを通し、
「ココロ」とは何かを問いかける。
永遠に答えの出ないようなテーマだが、毎回のエピソードが大変面白く、
素晴らしい。
ただ基本的には投げっぱなしなので、それでどうなった?
の結論は描かれない。
最後には主人公須堂の話にもどってきます。

投稿 : 2023/10/06
閲覧 : 64
サンキュー:

7

ネタバレ

waon.n さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.8
物語 : 3.0 作画 : 2.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

視聴中止から、レビューを読んで最後まで観ることに

【First】

 作画は外連味一切なしの機械が作ったんじゃないかという感じです。
 作品のクオリティー自体を作品のテーマにのせてカウンターパンチしました! くらいの犠牲の上でなりたってるなら面白いけど、そんなわけないでしょう。

 内容もAIの話かと思いきや、最初にヒューマノイドの脳のバックアップのはなしっていうね。
 もちろんヒューマノイドにはAIが組み込まれているから自然とタイトルに
乗っかるんだろうけど…いまいちピンとこない。

 また、作品内では人口の1割なのに登場人物のほとんどがヒューマノイドっていうのも不自然だなって。
 (ヒューマノイドを指し示す記号として使われているだろう瞳孔の形の違いで見分けられる)

 一番大事なのは、誰が、何のために、どうして作ったヒューマノイドなのかが無いところで物語を描くっていう最低限の土台は必要なんじゃないでしょうか…? 両親がヒューマノイドで子供が人間ってどういうことだってばよ。
 もしくは人間を改造したものもヒューマノイドっていうんでしょうか?
 これはそのままアニメ化しちゃいけない作品だったんじゃないだろうか…。

【Second】

 初回の感想というのがどれほど当てにならないものか…。
 どこか引っ掛かるものがあった本作で他の方のレビューを拝見しつつ、少し1話を見返してみると、表現されている部分はあったように思えるので、【First】で触れたことを訂正しつつも残しておこうと思います。

 ・両親がヒューマノイドって話。
 →ちゃんと作品内でヒューマノイドが養子をとったという事がちゃんと作品内で語られていました。完全な見落としです。
 ただまぁ、そうなると主人公も…?

 ・ヒューマノイドが人口の1割って話。
 →国民の1割がヒューマノイドとはモブおじさんのセリフである。これが不自然だなって思ったのですが、どうしてそうなったのかを考えるのもSFの楽しみだったりするので、考えて観ました。
 想像ですが、この国がどんな状況かと言えば、都市によってヒューマノイドがたくさんいる地域とそうではない地域とが分断されているんじゃないかって推論が立ってきます。地域ごとにおけるヒューマノイドの人口比率ですね。
 例えば、ある地域で子供たちがウィルスか何かに大規模感染をしてしまい、多くが死亡。もしくは、生殖能力を失くした大人達。その穴を埋めるべく大人たちは自分の子供の代替するため、ヒューマノイドの需要が高まり、人口の1%まで膨れ上がる。
 ヒューマノイドが大人世代になり…人間の子供を養子にするという事が行われるようになっていった。

 ・1話でのバックアップの話
 →色々と説明できるため、良い選択だった。
 このヒューマノイドたち、仕組みは不明ですがは歳をとりますね。そして、ある程度の人権を担保されています。
 仕事を持てる(選択できるかは不明)、家を持てる、家族を持てる(何なら人間の養子も持てる)。 1話目ではこういった事が見えてくる。気になるのは参政権や投票権があるのか、今後出てくるのかな?
 また、コピーは違法であるという事と、主人公の行動原理を最初に見えるようにするという点で、とても優秀でした。
 素人のバックアップで失敗とかAIのくせに初歩的なミスでウィルスに侵される。馬鹿なことしやがって、と怒りを超えて滑稽ですが、まぁ何にせよ違法であり、それが何故か、みたいな話をしてくれるので良かったです。
 シンプルにすると人道的ではないってことですね。故にこの面からみると彼らには人権がある、と見せている。
 ヒューマノイドの登場により、人間が人間であることを規定するという考えが生まれたのは皮肉ではある。そして作中ではその答えはまだ見つかっていないらしい。

 ヒューマノイドって存在は人間とほぼ同じに作られており、その精神性までもが人間のそれと同じになっている。
 感情があり、欲望もあり、それらが合わさって個性として表現されている。
 これにより何が見えてくるかと言えば、人間とヒューマノイドの違いを浮き彫りにする。敢えて違いを出さないことで、違いがあった時に目立つような仕組みを取っているという事。
 人格をコピーできること、成長の限界が設定されていること、脳を弄って性格や性癖を変更できてしまう事など…そしてそれによるメリットやデメリット。

 ヒューマノイドがいると【こういったエピソードがあるかもしれない】を個人レベルで集めたのが本作でした。
 メインプロットである須藤先生の動機については、突然進展してそこでおしまいなので、どうも全体像が見えてこない。
 せっかく【MICHI】っていう超高度AIっていうキャラが出てきて何か起こるのかと思ったら掘ることもなくお終いってそりゃないっすよぉ。
 須藤先生を動かすために現れただけになってしまう…まぁ続編があったら親の電脳のコピー発見からドラマ作って無事帰宅して何かのメンバーになって…ってストーリーになっていくんだろう。
 今後に期待という感じ。

 実はAIが自分達が人間の代わりになるために大事故を起こし(人口が一気に減り過ぎて文明を維持できなくなりそう…とか)、ヒューマノイドの必要性を高めていき、人権を与えられるように仕向け、最終的には人口の逆転現象が起こる。
 っていう話かどうかは分からないけれど、そのような事があってヒューマノイドが養子を取れるなんて世界観ならば良いのだけれど…。


 普通にAIが進化していき、成長するヒューマノイドっていうシンギュラリティをいくつも突破したみたいな技術が開発されたとて運用したい側がいないっていうのが意味わからない。
 誰が何を目的としてヒューマノイドを作っているのかそのロジックがこの作品には抜け落ちてしまっていて致命的だと思う。
 まだ『プラスティックメモリーズ』の方がすっと世界観に入りやすい。
 んまぁ細かい事を考えなければ、AIと人間、知性ロボットと人間、ヒューマノイドと人間の差異を描いた作品として考えるところはあったと思います。


 遺電子という造語がタイトルになっているけれど、MEMEなのかGeneなのか……普通に考えれば、前者ではあるんだけれどこの作品ではもしかしたら人間の創造物でありながらGeneを獲得した、もしくは、獲得していくという話なのか。
 今後の展開ではヒューマノイド達も何かを後世に残すため今をどう生きる。みたいなのがテーマになってきたらタイトルと内容が一致してくるのかな。などと考えたり考えなかったりでした。


【終わりに】

 ポリティカルフィクションの面が気になって仕方ない本作でした。
 世界観をもう少し明かしてくれれば入り込めたのかもしれないけれど、全くのめり込めなかったです。
 でも最後まで観れたのは、SFの香りはちゃんとしていて、シミュレーションとしては面白かったっていう事だと思うんです。
 作画は観ているのがツラかったですが…。

 多分続編があったら見てみようと思うし、作品として佳作でなくても気になるという点では良いモノだったのかもしれない。

 最後に【First】の時点で視聴を止めなかったのはここでの他の方々レビューを読んだからで、素敵なレビューを読ませて貰えて良かったです。
 自分以外の人の作品の見方を知ることで、興味が湧いたり、もっとちゃんと観ようと思えたりするのは良いことだと思いました。
 最終的な評価が違っとしても、それはそれ、これはこれだと思っています。
 どうもありがとうございました。

投稿 : 2023/10/06
閲覧 : 116
サンキュー:

7

オカルトマン さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:途中で断念した

感想

AIに興味あって視聴。
途中で断念。

AIってゆーか、ほぼ妄想の世界。
正直気持ち悪かった。

投稿 : 2023/10/05
閲覧 : 67
サンキュー:

1

ネタバレ

nyaro さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 5.0 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 3.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

人格のコピー問題の視点が秀逸。AIものというより哲学ですね。

 最終話の意味としては、ミチは恐らく会議のような密室での議論では答えが出ないことを知っている。AIそして人間存在の本質はやはり人間の関係の中にこそ存在するという意味だと捉えました。
 作者が設定としてヒューマノイドという中途半端な存在を置いた意味は、人間をデフォルメして極端な形で見る事ができるからでしょう。つまり、特別な条件を与えることで何かを探ろうとする数学の証明のようなアプローチです。

 ロビジアは道徳のない医療の国らしいので、そこでは更に極端なヒューマノイドについての研究がなされているはず。そこに倫理の問題が絡んでくるでしょうが、しかし、人間の本質にもっとも近づいている可能性もあります。

 本作については、道徳・哲学的な人間の問題を俯瞰するような視点が各話でてきましたが、やはり愛情・性愛問題が多く含まれていました。そこにこそ人間性があるということになるんだと思います。で、やはりコピー問題ですね。人間とは何かを哲学するのにこれほど示唆に富んだ課題はありません。最終回でやはりそこに視点が行きました。

 オープンエンディングにもならない、ボヤッとした終わり方ではあります。結果の詳細は読み取ることはできませんし、推理してもしょうがないでしょう。
 しかし、想像することはできます。コピー人間の本質をその存在だけで定義すると偽物ですが、しかし、他人あるいは人間関係の中に置いた時、その他人にとって本人になるわけです。つまり、本物が2つ存在する状態がありえるということでしょう。
 それがミニスカ看護婦の素性が明かされた意味に重なってくるのだと思います。
 オリジナルがもう存在しない1話のコピーと、正副両方存在する母親。その対比がわかりやすく提示されました。

 で、全体的にいいアニメだったと思います。人間の問題とSF的な実存問題を絡めてかなり楽しめました。
 ストーリーラインは弱いですが、エピソードの出来が秀逸でした。ブラックジャックの作劇法をかなり意識している作りになっていたと思います。

 ということで、ストーリーというよりテーマ性の評価はかなり高いです。キャラは弱いですが、調整としてそこそこの点はつけたいですね。


追記 そういえばミチって、主人公にそっくりですよね。つまり、クローンの可能性がないでしょうか?ヒューマノイドのコピー問題と人間のクローン問題。この描写は面白かったと思います。



 1話  人格をコピーしバックアップすると死は果たして防げるか問題

{netabare} 非常にいいですね。絵柄とミニスカ看護婦でちょっとずっこけますが、かなりのSF的な世界観を提示できていると思います。電脳ブラックジャックIN攻殻機動隊のような感じでした。

 人間、AIに限らずですが、攻殻機動隊では電脳になった時にこのコピー問題をゴーストという人間を人間たらしめる存在で回避しています。アシモフのロボットシリーズでは陽電子頭脳という複製不可能な構造のハードウエアで処理しています。SAOでは、アリシゼーション編の冒頭で人格のコピー問題を扱っています。

 水星の魔女で残念だったのが、 {netabare}このパーメット粒子エリクトの人格はコピーではないのか?という疑問に解答がなかったことです。人間の脳からパーメット化した先は本人なのか?ですね。
 その問題の回避のためには私はむしろガンダム内に脳みそを保管してくれていたほうがよかったのに、と思っていました。まあ、キーフォルダー小姑になれないのであえて無視したのかもしれません。{/netabare}

 このことを突き詰めて行くとタイムリープとか世界線等SFの話にもつながります。東京リベンジャーズなどでもそうですけど、タイプリープ世界の友人=違う人生を送ってきた人物は本当に自分の友人なのか?ということにもなります。あるいはタイムリープした人物はその記憶が変わった友人の存在に押しつぶされないか。そこが引っかかって同作の青春とか友情が嘘っぽく感じました。

 シュタゲにおいて、 {netabare}岡部の主観だけ救済されるの?それぞれのマユの人格は岡部の中では消えていますが、死んでいったマユの魂はどうなの?その救済は?ということです。死はいずれにせよ人格が消滅する行為です。時間がなかったことになっても、その時死んでいったマユには魂があったわけです。その絶望をどう考えるの? {/netabare}です。とあるシリーズのある回でもこの問題がでていました。

 人格や記憶のコピーというとピンとこないかもしれませんが、要するにコピーはカットアンドペースト作業においてオリジナルをデリートしてないだけです。我々が相対しているのはペーストされたものですから、オリジナルではありません。このオリジナルでないものが流出したら大問題です。人格も人権も分裂することになります。だからこそ、AIの電脳のコピーは禁止と言うことになります。

 と同時に、人間の魂とはなにか?という哲学・思想・科学あるいは倫理や感情、尊厳の問題にまで発展する大問題です。

 クローン問題や瞬間移送装置などバリエーションは様々な形で作れますが、本作はこういう人格とはなにかという思考実験をやっているのか、コピーにまつわるヒューマンドラマをやっていると思われます。

 1話で記憶の欠落問題がでてました。{netabare} AIのみならず様々なカテゴリーで使われるテーマですが、記憶…いや思い出と言ったほうがいいでしょう。人格の連続性の問題として家族と絡めて非常によく描けていたと思います。

 そして、母親の問題で謎かけがありましたが、1話の一番最後の感じだと、母親のオリジナルが流出して遠い世界にいるということでしょうか。それを探しているという物語がありそうですね。あの刑務所での主人公の冷たい感じは母がコピーだという風に見えました。{/netabare}



追記 私の上の書き方だと、記憶が欠損することが情緒的な問題と捉えれれるかもしれませんね。そうではなくて、AIにとってはコピーの上書きは死ということです。

{netabare} 本作は分かりやすく一回フォーマットという行為を挟んでいました。そこに再インストールすると外からみるとタイムラグによる記憶の欠落です。
 しかし、フォーマットされる側からすれば死刑宣告です。つまりバックアップには死を防ぐ効果はなく、外部の人間から見た場合は一見同じ人格が連続しているように見えるだけです。

 人格の連続性の問題を扱っているというのは、コピーとはいえ新しい人格をインストールされる側にとってはウイルスで壊れるのも、フォーマットされるのも等しく死ということです。母親はそのことを感覚的にわかっていたのでしょう。だから家族とともに最後の時を過ごしたいという判断なんだと思います。

 父や娘から見たらその場で再インストールすれば死ななかったのに、という誤解があるのかもしれません。実際弔っていましたし。だから生クリームの記憶の欠損によってそれを思い出しているのか、死が避けられなかったことを実改めて理解したのかわかりません。
 ですが、実際は何をやってもウイルスに感染した段階で手遅れです。{/netabare} {/netabare}


2話 生殖と家族が人間の幸せか?限界を設定するのはハードかソフトか?

{netabare}  まず1つ目のテーマ。生殖機能がないはずのヒューマノイドにとって、人間的な幸せの象徴である家族の団欒がどうみえるか、という問題。

 これは面白いですね。逆説的にとらえらば本来人間の幸せと言うのは「子供を残す、子供を育てる」という人類というより生物として遺伝子的な条件付けです。その生殖機能を持たないヒューマノイドにとっては、どういう発想になるか。

 生物的にいえば同性結婚や性自認、性指向(嗜好)等々のポリコレ云々が人間として本来は不自然だということです。全員が子供を持たない選択をすれば人類は滅亡します。そのジレンマをどう考えるか。
 あるいは人間は生物的な限界から解き放たれて、人工的に子供をつくる、あるいはヒューマノイドのようなもので、人間の数の不足分を補完してゆくべきなのか。

 いきなりおっぱい揉んでてちょっと驚きますが、SF的課題として置き換えた場合、生殖しないヒューマノイドにとって、生殖のために異性を刺激するような肉体的特徴、つまりセックスアピールが必要かどうかですね。本作ではそこまで行きませんが、もちろん化粧やアクセサリ、衣服などの問題にもかかわります。
 看護婦がミニスカで色ボケなのはいい対比でした。食欲というか嗜好品でもあるケーキに夢中なのも、人間的であるということでしょう。逆に言えば看護婦の無邪気な喜びや主人公の愛情はAIのアルゴリズムの方向づけということでしょう。その不自然さの象徴なんだと思います。(不自然さだけだと言葉たらずですね。この世界のAIの設定によってはそれこそが、ヒューマノイドも人間と同じ幸せを享受できるという意味にもなります)

 家族あるいは夫婦というのは、人間の遺伝子的には女性から見て、子供を安全に育てる場所を担保するためのユニットです。
(なお、子作りのパートナーには遺伝子の優秀さを求め、子育てするパートナーには生存戦略を求める、という違う種類の男を使い分ける女性の本能が浮気とか不倫の原因らしいですね。男の浮気は単純に種をまきたいからですけど)

 あるいは子供が無邪気に遊ぶ姿を見て、遺伝子が作り出した脳内物質が発せられる、幸せだという気分になるという機能は必要か?あるいは社会の共通認識としてそれが幸せであるという定義=道徳や倫理の有り方の問題なのかかもしれません。

 つまり、生殖と家庭から解き放たれたとき、人間が求める「幸せ」はどこにあるのでしょうか?という話でした。


 2つ目のテーマ。人間と同じ向上心をもったAIが肉体の限界の仕様が設定されたとき、どんな葛藤がおきるのか。これはあまりパッと類似例が思い浮かばないです。ここまで、人間化したAIという設定があまりないせいでしょうか。

 面白いですね。ヒューマノイドの彼の限界は何が決めているのか。それは実は人間と同じで、心の問題なのではないか?という事でしょうか。
 もちろん、作中で説明があった通り、人間と同じ世界でヒューマノイドが生きるために能力に制限を設けるというのは仕方ないでしょう。この制限が逆にAI問題に面白い視点を産みました。あるいは友情や他人からのポジティブな影響がヒューマノイドにも効果がある、という意味にも取れました。



 で、最後。恐らくMICHIというのはリミッターなのでしょう。AIは人間を理解できるか?ですね。
 私の一番好きなアニメ「ビートレス」の超高度AIが人間の定義に苦しんでいたところに通じる気がします。非常に面白いです。

 真面目にSFしている良作だと思います。2話の視点には感心しました。視聴継続ですね。 {/netabare}


3話 心はどこにあるのか?

{netabare}  ヒューマノイドが夢を見るということがわかりました。つまり、ヒューマノイドは潜在意識を持っているということで、ほぼ人間と同等の脳機能を持っているということです。

 それと対比するように、行動に条件付けをされたロボットが出てきます。この脳みそははっきりとプログラムと言っています。つまりコンピュータということでしょう。ヒューマノイドとロボットは、ソフトウエアの違いではないし、ハードウエアの違いどころか、概念そのものが根本的に違うという設定だと思われます。
 人間の脳を工学的に再現できる人工頭脳がヒューマノイド、現在のコンピュータの延長の電子頭脳がロボットでしょう。(ただあの医者が修理しているので、同じ構造かも。ちょっと違和感ありますけど)

 今回はこのコンピュータの心問題が出てきました。本作はそもそもヒューマノイドが人間として扱われているので、今更感はあるかもしれませんが、SFではかなりメジャーなテーマでしょう。

 心はどこにあるか。現実社会でも愛玩ロボットのAIBOロスなどが実際問題になっていましたが、単純なロボットであっても人間の呼びかけに応答するものには、人間は心を見てしまいます。本作の結論としては、まず心は使う側にある、というのが答えでした。

 ただ、コンピュータサイド。記憶を保持し主人に合いたいと思う気持ちは心ではないのか?主人を守りたいという気持ちは心ではないのか?

 我々は当たり前のように脳みそに心があると思ってしまいがちですが、本当にそうでしょうか?身体の感覚や反応が心を形成するケースもありますので、実際はよくわかっていません。今回はコンピュータの心問題とともに、哲学の問題でもありました。
 ためしに「心はどこにあるか」で検索してみてください。山のように難しい文書が出てくるはずです。

 その一方で、データとして書き換え可能な記憶は、サーバの中に保存されます。それを心と呼ぶなら、記憶こそが心なのか?
 1話でもちょっと似たテーマがありましたが、今回は命とか魂の問題ではなく、心はプログラミングか?データか?あるいは心はどこにあるのか?という問題でした。 {/netabare}


4話 VR時代の性欲処理と恋愛の問題、現実との境目。

{netabare} 恋愛、性欲、創作物による性欲の処理などいろいろありました。

 本作は本筋で母問題あるいはコピー問題はありますが、当初考えていたAIの発展とかAIの人間性の獲得という話よりも、人間とは何か?特に脳科学、心理学、哲学などに触れる端緒となる視点の紹介という感じなんですね。

 AIもののSFというよりは、AIを使った人間理解の話という側面が今のところ強いです。
 その点で4話は、AI画像生成によってコラ画像がかなりの精密さで出来るようになった現在、結構ホットな話題ではないでしょうか。
 VRで現実の人間がコラージュできるとなると、現実とゲーム(創作物)との境の問題や使われる側の感情や権利の問題があります。

 そもそも、VRや画像が代替になるのは性欲においてのみで、触れ合いが無い点で恋愛関係の代替にならないのでは?というわけでもないのは「ラブプラス」の時に、宿泊パックを用意した熱海の旅館があったくらいで、実際利用者がいたみたいです。つまり、VR彼女と本気で恋愛していた人が2010年にはいたということです。今も初音ミクと結婚しましたという人もいるくらいです。

(ラブプラス、調べたら「大野屋」というホテルで近畿日本ツーリスト。1泊2日で約4万円。布団が2つ敷かれるそうです。「愛花号」「寧々号」「凛子号」のバスが用意されたとの事。まあ、聖地巡礼の意味もあるでしょうが、たしかニュースで取材されていた人は、2、3人ガチ恋がいたと思います。)

 4話は現実の人間をVR画像に落とし込む話ですからちょっと違いますが、VRと恋愛できるか?と言う点では一緒です。
 そして、好きになった子に振られるストレスは相当辛いです。好きな子の画像データを取り込めるなら、ますますVRに依存するのではないでしょうか?

 少子化まで考えると、本作の範囲においては拡大しすぎですが、現実の世界におけるネットコンテンツによる性処理は、恋愛のモチベーションを著しくさげますのでこのVRはいずれ少子化の文脈で社会問題化すると思います。
 回りまわってこの作品の社会背景の考察にもなりますが、人間がますます産まなくなる条件の一つになりそうです。だから、人間に似たAIが必要になるのでしょう。

 それと彼氏が浮気することに価値がある問題は良かったですね。普通にいますからね、ああいう女性。彼氏の価値を恋愛市場価値で計るという意味と、駄目な彼氏を許してあげる自分に酔うという意味とあるみたいです。
 賢者タイムボタンはちょっと笑いますけど、つまり人間ならオナニーで我慢しているという風に置き換えればいいと思います。要するにどんな女ともセックスできるくらいの価値がある彼氏がいるステータスが大事であって、その状況に酔っているということでしょう。

 それとレズ問題かあ…同性同士の友情にかこつけて、ですねえ。ひょっとしたら、それを見せるのが目的だったかもしれないです。そう考えると4話は面白い構成でした。 {/netabare}


5話 医療の役割と罪。子供への愛情とはなんぞや?

{netabare} 今回は2人の異常行動についてでした。アルコール依存と自閉症スペクトラムによる暴力衝動と音楽的才能(サヴァン症候群?)だと思います。「青色サヴァン」の時に調べたのでなんとなくわかりました。
 2つの症状の共通点は日常生活に影響があることです。その症状を治療するために医療行為がどこまで許されるのか?が今回のポイントでしょうね。

 アルコール依存の場合。これは悪しかないようなイメージですので、それを治療することの是非はあまり問題にならないでしょう。ただ「嘘の記憶」という方法を使うことの是非ですね。しかも違法です。それでもまともな生活を送れるようになる。良い事をしているという満足感も治療に寄与しているかもしれません。

 サボテンというのはなんでしょうね?催眠のトリガーとアンカーみたいなものでしょうか?わざわざこれを入れたのは、今回の治療は人間でいえば催眠療法のことだよ、という意味かもしれません?調べたら普通に人間でもできるみたいですね。


 自閉症スペクトラムを治療する場合。こちらは暴力衝動という症状を消す代わりに音楽の才能を失くしてしまう罪ですね。
 子供を平凡に育てるか、孤独でもいいから個性とか才能を伸ばすのか。それが病的なものであったとしても…ですね。本当に子供を強制的に学校に溶け込ませるのが、正解なのか?

 両者とも人間ではありえないくらい簡単に治療できてしまうのが、AIならではですね。
 今回については、どちらかといえば音楽的才能を殺してしまう罪の方が大きい気がしますけどね。

 もう一つ。子育てにおける愛情です。ジョウロ=手間をかけて水をやる、自動化=手間がかかるから目の前の症状を抑えることを考える。
 つまり、愛情の注ぎ方とは何ぞやという謎かけでしょう。親が安易な治療をすることへの批判とも取れます。
 今回は病気の症状を含めて親が子供の全部を受け止めきれなかった感じでした。どちらかと言えば子供を愛しているというより自分の困難を何とかしたかったという風にとれます。

 ということで、今回の話では、病気治療の功罪と子育てにおける親の愛情の問題が目につきました。 {/netabare}


6話 機械が人間の技術を越えると人間は不要になるのか?一歩先に行く高品質は無駄なのか。不完全さを知ることが人間を知ることなのか?AIロボットが人型である意味は?

{netabare} すし職人が修行で何年もお店で奉公するのは、無駄で非人間的だという話があります。技術をマニュアル化して作業手順だけ覚えさせれば、最高のすし職人とほとんど変わらない味のすしが握れる、と。たとえばこれを95%の水準としましょう。

 6話前半において、この最後の5%を追い求めることが無駄なのか?という視点があると思います。そしてマニュアル化と作業手順がすなわちAIということでしょう。日本においては議論がありそうですが、効率化を考える海外の企業においては、この5%は削りマニュアル化する。そしてそれが80%の水準でも自動化を進めるという結論が大勢でしょう。

 それは資本主義がROE、つまり資産の利回りによって成功失敗を判断するからです。つまり、経済的には徒弟制度的修行で最高峰を目指すより経済性ではマニュアルによる効率化、更には自動化の方が高いという結論がでているからです。

 ただ、一方ではハンドメイド、この最後の5%を求める人がいるのも事実です。日本の大量生産品でもトヨタのセンチェリーや日産GTR、セイコーのグランドセイコーなどはハンドメイド部分があります。これがいわゆる「豊かさ」だと私は思います。裏を返すと「贅沢品」ですけどね。
 技術的には本作のような刃物加工もそうですが、キサゲ作業と言われる平面加工は人間でないと出せない精度があります。

 これをまず機械が越えられるのか?という話がまずあります。もちろん、いずれは超える日もくるでしょう。ただ、それは人間の敗北、人間の不要論なのか?という話です。

 後半は、人間性には限界と失敗があるということでしょうか。AIが人間に対する理解を完全なものとしてとして捉えてしまうと、それは非人間的なものになる。人間は失敗し、疲れ、時に攻撃的になる。その一方で人型のものが人間のようにふるまうと、友達として扱うようになる。

 前半後半の共通項目として、AI側の認識の問題としてはマニュアルだけでなく生活を共にすることで「人間を機械学習する」必要があるということかもしれません。
 その視点でいうとロボットが人型である意義は大きいのかもしれません。

 加えて「フィードバック」の関係が示唆されていました。特に前半は目新しいですね。人間と機械がお互い向上することで、更に上を目指せるという事だと思います。機械が人間を越えられるか、あるいは、人間要不要など結構二者択一の議論が多い中、共存の提案は良かったと思います。

 後半は直接的ではない学習成果、つまり人間理解が今後のAIには必要になるという示唆でした。人間への理解が深まると別の場所で活かせる、という種類のフィードバックでした。{/netabare}


7話 メンタルと治療、何が正しいのか?

{netabare} しかし、この作品事象をいろいろもってきます。病気によりその人の家族にとっての欠点が無くなった場合、治療を拒否するのを責められるか?特にDVが絡む場合は切実です。
 また、深い個別事情を知らず病気をすべきと外野が責め立てるのは許されるか。治療することが必ず正しい事なのか、という問題が前半でした。
 この問題、踏み込んでゆくと過去の精神医療施設の虐待事件とか思い出しますが、生生しいので割愛します。

 後半は、カスタマーセンターのストレス問題があります。基本的に2年以上は精神が持たないし、ストレスチェックをマメにしないと厳しい部署です。その対応を機械でやる、あるいは人間が演技と割り切ってやる。どちらに心がこもっていると言えるでしょうか。

 ただ、ストレスをためて胃が痛くなっていた人も、結局は「対応」しているだけです。客の側とサービスをする側の認識の違いですから、どういうやり方でも丸め込むという対応方法も間違いじゃない気もします。

 また、向き不向き、メンタルストレスを対処療法で乗り切ることがいいのか?などでした。 {/netabare}


8話 題名が遺電子ですから、テーマ的本命はこの話?

{netabare} まず手作りの価値という視点がありましたが、特に掘り下げはなかったようです。また、メッセージとしてバレンタインチョコの位置付けを念押しするところに、立場表明とプライドなどが見えて面白い描き方だと思います。先生のケーキの素性を隠したところに、ウイットと優しさがありました。

 で、恋愛ですね。確かに精神疾患かもしれません。しかし、エロスとタナトス。無意識世界に混とんとして存在しているそれは、人間の生命のエネルギーになっています。
 また、感情は人間らしさの基本であり、恋愛はその中心的なものです。そして、生命的にいえば生殖するからその個体は存在価値があるとも言えます。遺伝子の役割が本作のテーマであるなら、これは本題ともいえるでしょう。
 バレンタインという儀式的な人のコミュニケーション、プレゼントや言葉というややこしい生殖・恋愛のためのツール。気持ちとは何か?そして、恋愛・生殖の意味とは?

 恋愛と生殖を忘れれば、それは社会にとってはエネルギーを無駄に使用日する環境負荷でしかないと言えるのかどうか。

 ただし、それが今回は同性というところが面白い。機械で同性。生殖には関わってきません。その時に「恋愛とはなにか?」という本質を考えるきっかけになりそうです。

 1話で、提示された行方不明のコピーの問題が作品の本筋なんでしょうけど、題名から言えば、エロスとタナトス、アイデンティティ・感情・恋愛・遺伝子・子育て・そして社会性とはなどが今まで提示されてきました。これがテーマ的本題なんでしょうか。だとすれば哲学ですねえ。とても面白いです。{/netabare}


9話 子供に「悪」を見せるということ。教育とルール。

{netabare} さて、今回はテーマ的には結構単純ですが、解答や見解が非常に別れるテーマでした。

 日本だけでなく世界的に〇〇を見せるとそれに影響されて犯罪が増えるという言説を信じている人があまりに多い問題です。特に暴力と性犯罪ですね。今回は暴力ですが、手塚治虫氏や永井豪氏などが実際に規制されていますし、都条例もありました。

 発達心理や社会の本質を考えたり、研究やエビデンスをそろえないで感覚的に議論しているからこういう結果になるのだと思います。子供に暴力や性的なものを見せたくないという馬鹿親があまりに増えすぎです。実社会での危機回避や倫理観の情勢、自分で考えるクセの習慣化に役立ちます。
 あるいは人間というものの本質を理解するのに創作物における悪の有用性がまったくわかっていないようです。

 その辺りを皮肉っていましたが、この回は特に母親の視点で言えば、何が言いたいのかはわからないかもしれません。少数の事例を証拠だといいはって、暴力コンテンツは教育に悪いという結論ありきの議論しか見たことがありません。

 後半です。規律の程度の問題です。これは学校教育の場面もそうですけど、実社会にも言えることです。グレーゾーンを認めず黒か白かで判断するということです。

 ここちらも、特に若い世代の人はそれの何が悪いのだ?「規則は規則だろう、ハイ論破」的な視点を持つ人もいるかもしれません。しかし、かなり低い視座で言っても、柔軟性がない思考方法は場面場面では正義ではあっても、いずれ調整が出来ずに破たんすることが分かっていないのだと私は考えています。

 もう少し高い視座で考えた場合、そもそも構造主義的に考えれば社会によって正義は変わります。そして法やルールというのは曖昧に作ります。公共の福祉、権利の濫用、悪人正機、予定説、最大多数の最大幸福等々さまざまな概念や判例・過去の類似例・TPOなどを使ってベターな解答を導き出すものです。

 むろん、刑法はデュープロセスオブロウの観点からブラックリスト形式をとりますが、それは公権力の制限をするためです。まあ、この問題を論じるとキリがないです。
 この問題、いつもアニメで言えば「ガンダムシード」のマリューVSナダルを思い出します。あれでどちらに感情移入できるかで立場がわかる気がします。

 その辺の視点を描いていましたが、最終的に道徳とルールの問題は「正論」と言う名の思考停止が存在する一方、「人間性」と言う名の思考停止も存在しますので、今回の話は正解を求めずに考え続けることでしょうね。

 上で私が述べたような、厳格なルールって駄目だよねという解答もまた一般解に近いです。後半の学校のルールについては特に考える必要があるでしょう。
 この問題はそれぞれが理屈や感情でどれだけ勉強するか深く考えるか、が大事であって正解はないでしょう。正解があると考えるのが一番恐ろしいです。 {/netabare}


10話 人間の行動は誰が決めているのか?人間は自分が無になるという事実に耐えられるか?

{netabare}  前半部分です。それ以前のTVと雑誌の時代から、欲望のコントロールは行われていましたが、それはドラマに出てくる小物や食べ物など消費に関することから始まり、報道のニュアンスやタレントの発言等々による誘導で、消費経済へと価値観が誘導されていたわけです。
 これは誰かが意図した陰謀論ではなく、テレビとスポンサーを中心として仕組みが作り出した構造主義的な成り行き、つまり、資本主義的マスメディアの構造でした。

 今現在はそれが意図的に行われています。検索履歴はもちろん。ネット決済や位置情報が便利だと思わせる誘導。陰謀論でもなんでもありません。それは現実に行われ個々人のインターフェイスに反映されています。

 我々は欲望をコントロールされいています。AIの提示する動画の候補や買い物サイトのインターフェイスはもちろん、検索の結果の並びに反映もできます。旧ツイッターの旧スタッフによる情報の故意の操作もあまり問題になりませんでしたが、ディープフェイクの温床になっていました(これはスタッフの手作業だったという事らしいですけど)。

 そう考えると、AIによる人間の行動の統制は非常にたやすいものです。人間は自分で思っているほど、行動のモチベーションを自分で決めていません。外部情報を自分の情報だと錯覚して行動しています。
 そのバランスをとるのが様々なメディアや書籍、他人に触れることでしたが、今やそれらは巨大IT産業により情報の出どころが一緒になっています。

 この大規模なものはAI時代なら必ず起きます。知能が高い彼だから気が付けたという話です。「リコリコ」の真島がバランスをとるために犯罪を犯すのとある意味では似ていました。

 なお、バタフライエフェクトをこの現象になぞらえていましたが、あれは「計算できない」影響の広がりの問題で、本作のような陰謀論とは相いれない気がします。


 後半はなぜ非科学的なスピリチュアルが流行するのか?問題ですね。

 東大病院の准教授だったと思いますが、突然死後の世界はあると言い出して世間を驚かせました。本作はそこからの発想でしょう。
 
 人間は死後は「無」になる。あるいは物質になり原子に帰ると考えて行くと、宇宙に寿命がある以上はいずれゼロになるというのは当たり前の話です。宇宙はないのに魂はあると考えるのは不自然ですよね?

 宗教が無くなり自分の存在の拠り所が無いと、人間は死に対して不安と恐怖を覚え、無になることを受け入れられない人は非常に多いのではないでしょうか。宗教の代替としてのスピリチュアルというのは極めて自然な発想だと思います。
 「攻殻機動隊」や「シリアルエクスペリメントレイン」などが有名ですが、ネットの世界というのは未知の世界です。人間的なものが情報として生きられるようなイメージは持ちやすいのではないでしょうか。その意味でAIを神とあがめる人も、SF的シミュレーションとしては自然かもしれません。

 その人間に内在する死の恐怖とスピリチュアルへの傾倒を良く描けていると思います。

 で、本筋がやっと進みましたね。そういう事ですか、という感じでした。となると、本作の行く末ですが、ヒューマノイドはなぜ必要だったか?と重なってくるのでしょうか?あと2話だと思いますがどうなるんでしょうか。楽しみです。{/netabare}


11話 1話完結のショートストーリーの方が面白いと思います。

{netabare} 1話完結の話を重ねてきただけに、本筋に違和感を感じてしまいます。再びコピー問題です。
 人間なら双子に置き換えれば分かりやすいかもしれませんが、環境により性格が変わる例といえばいいのでしょうか。

 テーマを掘り下げると深さはあるのでしょうが、本作の11話だけ見るとありきたりだし、メインのモブというべきヒロインの素性を今更説明しなくてもいいのに、と思わなくはないです。コピーのアイデンティティ問題は1話でやりましたし。
 ミニスカ看護士さん、バラバラの身体を組み立てるということは、ちょっと姉妹の関係に違いはありますが「ブラックジャック」のピノコといってもいいかもしれません。

 来週あたり最終回かもしれませんが、しかし、この作品はキャラの内面が弱いので、寓話というか未来の日本昔話として、1話完結なら優れた話なんですけど、メインの登場人物に感情移入できない弱さがあります。いまさら看護士さんの素性いる?という気はしました。母親がいる場所がアジア的なのでインドつながりで現地の状況の説明がしたいのかもしれませんが。

 キャラが弱いのは「蟲師」と同じ欠点ですね。「ブラックジャック」がいかに優れていたかが分かります。{/netabare}


 

投稿 : 2023/10/03
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サンキュー:

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ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 5.0 作画 : 3.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

愛情と認識の齟齬、あるいはその試み

AIと愛との語呂合わせって、面白さと腹黒さの掛け合わせっぽくて興味深い。

極論すれば、あと15年もしたら、こんな環境が普通なことになっているのかもとも思います。


1話。
{netabare}
その時、人の普遍的尊厳の概念や、社会規範を規定する法律はどのくらい成熟しているのでしょう。

と同時に、その時代の倫理観や存在意義に適応できない、あるいはしたくない人も、一定数いても不思議ではありません。

家族のカタチや、母と子をつなぐものは、愛の遺伝子なのか、それともAIの計算値なのか。

時代を切り取る視点とその提案に、私は期待を寄せているし、寄り添える何かを掴めたらと思います。
{/netabare}

2話。
{netabare}
不気味の谷という言葉は知っていましたが、あぁこういうものかと初めて感じました。

1話めをふまえて、瞳(瞳孔)のカタチが、人間ならホッとするし、AIだと奇妙な違和感が付きまとい始めています。

ことわざに「目は口ほどに物を言う(=口を利かずとも心情を交わす)」とか「以心伝心」なんてのもあります。

そんな高度なヒューマンコミュニケーションを、簡単にやってのけるAIヒューマノイドたちが次々と出てくるし、喧々諤々をやっています。

"プラメモのアイラ" や "イヴの時間のサミィ" には、不気味の谷を感じることはなかったのですが、2話でははっきりと感じました。

瞳(瞳孔)の形状は、私にとっては強力なトリガーだったみたいで、これは意外な発見でした。

「人と話すときは相手の目を見て」と教えられてきましたが、そんな不文律なマナーがここにきて逆張りになろうとは。

何が言いたいかというと、「これってルッキズムにつながってしまうんじゃないか」とか「ディスコミュニケーションにしかならないんじゃないか」って思うんですね。

不気味の谷っていうのは、外見の類似点に感じる人間側のアイデンティティーの揺らぎだと思うので、同じように、AIの持つ内面の相似性にもやっぱり同じ感覚になるわけです。

それをどう乗り越えていけばいいのか。
ルッキズムでもなく、ディスコミュニケーションでもなく、という思考実験だったのかもしれませんね。
{/netabare}

3話。
{netabare}
やはりというか、そうなのかも?というか、ここまでは筋書きの断片の投げかけ、思考実験を仕掛けてきてるような雰囲気です。

となれば、世界観設定はむしろ不要になります。

世界観というのは、ストーリーに一定の枠組みを与えることです。
視聴者は、そのフィールドのなかで、じっくり観察し、仮説を立て、知見を突合し、評価を出すプロセスを踏みます。

ですが、どうやらそれは意図されてはいない様子。
そもそも本作の舞台は、22世紀の後半。
少なくとも、今から150年も未来のお話です。

政治、文化、食料、医療はもとより、人間の生き甲斐自体が大きく揺らいだその先の先の時代と察しています。

それなら、世界観に予断を差し込まないほうがフラットでいられるし、何かの設定を示されるほうが、少なくとも私は鼻白んでしまいます。

そこに拘らなければ、各話のテーマがとても面白く感じられるし、次のテーゼの提示にワクワクしてきます。

もしもナビゲーターを探すとしたら、医師の須堂光になるでしょうか。
鼻にかかるようないけ好かない態度の彼ですが、"世界観は簡単には明かさないよ" という意志を感じています。

3話は、人間⇔ヒューマノイド⇔ロボットの三つ巴の感情交錯のお話です。
う~ん、これ、単発でも奥行きがありすぎてつかみどころが見つかりません。
相当にカオスな心境です。

ただ、心ってものが、人間のみに占有されるもの、そして一方通行のものではないという世界観であることだけ理解できました。

あと、いつになったら、上位AI、出てくるのでしょうね。
{/netabare}

4話。
{netabare}
セクシャリティーは、性自認と性的指向性によって類型されます。
大多数はヘテロ(異性を好きになる)ですが、ホモ(同性を好きになる)、バイ(両性どちらも好きになれる)の人もいます。

ロボットだといずれも設定次第でしょう。
AIヒューマノイドの場合は、きっともっと複雑で、ポリセクシャル、オムニ~、パン~、アプロ~、ノン~、グレー~、デミ~、ア~など、人間とほぼ同じなのかもしれません。

3話ではそれを匂わせていましたが、4話ではセクシャリティーは21世紀よりも数段フラットなものに進んでいるようでした。
ましてや乳房のパーツを換えたりとか、性欲そのものを自分の意思でスイッチコントロールなんかもやっています。

それって、人類よりもはるかに汎用性と互換性(?)が高いみたい。
美容整形手術レベルの話ではないし、自己催眠なのか他者迎合なのか、いったい誰のどんなニーズが出発点なのか見当もつきません。

もちろん今でもトランスジェンダーに苦しむ方がいらっしゃることを考えると、AIヒューマノイドが広く社会的価値観を示す存在として、人権・市民権を得ているのは頷けるところです。

でも、少年が3Dバーチャルキャラクターに好意を寄せる少女像を重ねるあたりは、人間の尊厳としてのピュアな恋愛感情にあってはならない齟齬を作り出していました。
これって人類の未来性(存続)に相当なダメージを残しますよね。

性自認とか性的指向性とかの自己認識能力は、AIヒューマノイドも人間と同等同質にあって、複雑なるがゆえに思わぬところでしっぺ返しを食らうお話もありました。

そうなると、1話にあった "歳をとる" という仕様も、人間社会を十二分に投影しているということに合点がいきます。

恋だの愛だのは当事者の内面性に照らされる感情や行為の概念ですが、突き詰めるとコミュニケーションの伝え方、受け取り方です。
言いかえれば、おもてなしの精神なんだと思います。

人間もAIヒューマノイドも、セックスロボットのような「ご主人サマ~♡」的な単純に割り切れるメンタリティーにはいきません。
高次脳機能の生理的作用(?)として、ほのかな幻想を相手との関係性に期待値を込めますし、コミュニケーションの中にたしかな真摯さを求め、それは疑いたくはないのです。

だから、人格のコピーはもちろん、似姿のみの複写であっても、欲望のままに盗用したり、利益優先で使い捨てしたりするのは、行き過ぎた(触法)行為になるのも仕方ありませんよね。

いや、21世紀ではそんな技術や応用はまだまだなので、設定自体が飛びすぎちゃってて、思考が露ほども追いつきません。

それに一つ疑問が。
安定と循環(2話)ってどんな意味なんだろう。
どこかに情報の隠蔽と齟齬があるように思います。

この先の展開に、だんだんに胸騒ぎが大きくなってきているところです。 {/netabare}

5話。
{netabare}
奇妙な違和感を感じさせる回。

サボテンの暗喩は、人間もヒューマノイドも、葉挿しの即成栽培と同列と考えて構わないの?というメッセージですね。

本回は、記憶の改ざんがテーマです。

人間の場合、脳の後天的な損傷が原因で人格が変容することはよく知られています。
そうでないなら、無理やり生きている現実から目を背けるか、死ぬまで周りの人に嘘をつき通すことくらいでしょうね。
いずれにせよ、たいへんな苦労が待ち構えているし、相当の労力が必要ですね。

ヒューマノイドの場合だと、バグデータを消去し、別のフレッシュデータを上書きするだけで済んじゃうという。
それほどカンタンに幸せが手にできるというアピールなんでしょう。
おまけに、人格のコピーと違って、合法の枠内の処置なんだそうです。

そんな芸当は人間にはとうてい無理なこと、不可能なこと。
でも、そうできないことにいったいどんな評価をつけられるでしょう。
いいえ、不可能だからこそ、評価などそもそも不要なのです。

良かれと思って治療した二体のヒューマノイド。
その結果、子どものほうは、ピアノの演奏に違いがでますが、音楽性の違いと割り切れるのかもしれません。
日常生活のこだわりも改善できるなら、それほどトラブルにはならないでしょう。

でも、大人のほうは、家計を見知らぬ誰かに送金したりするのは社会生活に支障も出るでしょう。
ヒューマノイドにもセカンドオピニオンが欠かせないっていうオチは、人生設計のアップデートには欠かせないという教訓なのかもしれません。

医療におけるデータの改ざん。
ヒューマノイドだから、そういうケースが生まれる。
ヒューマノイドにしか、そういうケースは生まれない。


ちょっとフクザツな気持ちになったお話でした。

須堂と話したAI医師の笑いは、人間に対するヒューマノイドの優位性からだったのか。
それとも、人間には届かないヒューマノイドの限界をさげすむ嗤いだったのか。

あと・・・、AI医師のそれらしい治療と、詐欺集団のだまくらかしと、どこがどう違うんだろう?
{/netabare}

6話。
{netabare}
今回は "ケア" がテーマ。

"覚えるくん" ってダサすぎるネーミングは、実は単なる焦点はずし。
弟子入りさせたいだの、記録を残したいだのは、研究者の口八丁の嘘八百。
だって22世紀後半に、鎌だの包丁などにどれほどの需要があることやら・・・。
ドラえもんの4次元ポケットから22世紀の包丁が出てきたのを見たためしがありません。

そんな時代の職人にとっては、己が技能が AIロボットに劣ることは百も承知。
産業用AIロボットの技術的到達は、人間の熟練工の技量をはるかに上回っているため、今さら製造技術の継承などが目的なんかじゃないはず。
なれば、テーマの "ケア" とはいったい何を指すのか?

一人の人間の技術は、40年、50年と精進することで到達できる領域があります。
思うにそれは、匠たる才気であり、貫徹するプライドではなかろうかと。
つまり "心の技量、魂の力量" へのリスペクトはどうあるべきかってことなんですね。
そこにフォーカスを当てているのが "FUJISAN" をコードネームに持つ "覚えるくん” なのですね。

なぜ "富士山" のネームなのか。
それは誰がどこから見ても非の打ちどころがなく、羨望と感動を呼ぶ姿に由来します。
ユーモアのひねりで "不似山" と書き変えてみるのも面白い。
誰とも似つかない日本一の高みに至った職人の位へのサポートプロジェクトと捉えてみれば、心もそれなりに爽やか?です。


覚えるくんの "覚" は、覚る≒悟る、覚める≒醒める、覚える≒信任するの意を持っています。
それは、長く道を歩んできた職人さんにぴったりの一字ではないでしょうか。

そんな匠の品位に寄り添わず、無下のままにしていては日本文化の名折れ。
それほどに鍛錬された心技体には、輝きが灯されていなければいけない。
覚えるくんの使命は、そのための"ケア" なんじゃないかと私は感じます。

廃業する以外に選択肢を持っていない頑固な鍛冶職人に、消えかかっていた魂の輝きを取り戻させ、若かりし頃の情熱を燃え上がらせることが彼の任務の本質(=ケア)。
そして AIの技術の発展に、心を許してもらえたらという科学者と上位AIの願いが込められていたように感じます。

覚えるくん。
クールな視線と風貌にヤケドの痕は痛々しいけれど、匠の尊厳を支える理知と熱量はその何十倍もアツいのかもしれません。



パーマくん。ちょっと面白いネーミングです。
由来としては、"頭の意匠" のように感じますが、私は Parma ではなく Parmar ではないかと感じました。
その意味は "巡礼者、巡回する者" です。

全国各地の学校をたくさんのパーマくんが訪問しているそうです。
彼の役割りも "ケア" だとしたら、目的や対象は何でしょう。

思うに、彼はロボット然とした似姿ですから、人間とヒューマノイドのそれぞれから、等距離にいられる立場性です。
どちらでもありどちらでもない立ち位置ということは、双方への忖度は無用で、よりフラット、よりピュアな反応をモニターできるということです。

そのデータは上位AIに蓄積され、ひいては人間とヒューマノイドのより良い関係性づくりに寄与するのが彼の使命なのでは?
あるいは、未来の安心につながるビジョン、安全なコミュニティーにフィットするシステムを開発するのが目的なのでは?

一定期間で卒業(転校)してしまうのも、同世代のモニタリングを何回とこなすための方策のように感じます。
つまり、パーマくんは、これからのケアに求められる情報を収集し、トータル的にアップデートするための仕込み用ロボット(本当は、超高性能 AI なのかも!)というシナリオだったのではないでしょうか。

のび太くんに対するドラえもんの振る舞いは、まさにこれと同じもの(=ケア)です。
まぁこの場合は、子孫からご先祖さまへの心遣いという、もう一段階ぶん高次のSF要素が盛られていますが。
というわけで、言わば、ドラえもん誕生の前日譚を描いたものだとも取れなくもないですね。

まとめとしては、ネーミングや見た目のバイアスから生じる認識の齟齬をチクリと突く、ちょっとしたヒネリが面白い試み回。
そして、そんな近未来の愛の豊かさを、人間の研究者が上位 AI に示そうとした(≒ 近未来SFのベクトルを、原作者が視聴者に示した?)初めての試み回でもありました。

これは蛇足ですが、今話の構成の狙いを、Aパート→Bパートではなく、Bパート→Aパートとひねり返して読み解くと、より自然に理解が進むのではないかなぁと思っています。
{/netabare}

7話。
{netabare}
今回は、AIのウィークポイントがテーマかな?

今どき、世間を騒がしている画像生成やチャットGPT。
あたかも、人間を超える才能や人格があるかのように報じられ、危惧もされています。

大規模・高速計算の有用性は、そう感じさせる効果を生み出します。
オンデマンドに求める利便性をくすぐり、期待感には幻覚と利害さえふくらみます。

でも、さすがに人権までは賦与されてはいません。それはデリケートすぎます。
人権を求めてくることもありません。それは図々しいです。
AIは、人間とは全く別物の "道具" なんです。

AIそれ自体は、主体性も主意性も、微塵も持ち合わせていません。
だって、AIには人間に特有の "自己保存の欲求" がないからです。
当然、自己承認欲求もドライなまでに皆無ってわけですね。



ところが、AIがヒューマノイド化されるとあら不思議。
古今東西、かくも不思議なのは、決まって感情を持ち、心の在処を求め始めます。
生老病死は、本来なら人間だけの特権の筈ですが、それさえ追い求め、自己実現していきます。

MICHIって、どういう存在なんだろうと興味津々です。
ヒューマノイドをこれだけ人間に寄せるなんて、上位にある超AIの意識性ってどこを向いているんだろう。
その基底部は、きっと人間と極めて同質の不確定性みたいな要素を抱えているんじゃないかしら。

ここまで人間に近いということは神にはなれそうもありません。それは愚かすぎです。
なるつもりがないということかも知れません。それも身勝手なような・・・。
10%の意味は何でしょうか。



今話も、AIヒューマノイドって本当に人間らしい、人間くさいものとして描かれています。
それくらいMICHIの思想は人間の本質に寄せているってことなんでしょうね。

もうほとんど人間と変わらない。呆れるほど変わるところがありません。
AIを人間に似せるほど、人権への評価がウイークポイントになるような気がします。

ネグレクトは許せないからと人権擁護で暴いたら、別のネグレクトが噴き出してくる。
クレーマーを捌く方法としてくさい演技をマニュアルに落とし込むなんて、AIのアイデンティティーが揺らいでしまう。

人権への評価は多種多様であり、それにアジャストする手法も通り一辺倒のようにはまいりません。
何が正解かとも言い切れるものではありません。

今話のタイトルは「人間」です。
いったいどんな違いが、AIヒューマノイドにあるのでしょう。
それとも何の違いもないAIヒューマノイドで構わないってことなのでしょうか。



須堂の母親は、自分の人格をコピーして(他人に譲り渡して)います。
それって、固有なはずの人権を手離したってこと。
自分で自分の社会的存在を抹消してしまったということですよね。

母親を出所させるにはコピーを探し出し抹消しなければなりません。
でも、コピーされた人格にも、きっと家庭があり暮らしがあるはずです。

人権は、極めて汎用性の高い概念性を持っているし、個別的で固有性のものとして規定もされます。
21世紀の社会問題が22世紀になっても解決されない描写と、22世紀ならではの新しい社会問題の描写。

現代でも、人権の取り扱いは曖昧で、いい加減で、認識の齟齬があります。
そういう事案を AIヒューマノイドにも付与するなんて、いったいMICHIは何をどうしたいのでしょう。
須堂もどう解決するつもりなのでしょう。



今回は、クレーマーへの怨憎会苦(おんぞうえく)と、ネグレクトによる五陰盛苦(ごおんじょうく)が描かれました。

まだ描かれていないのが、求不得苦(ぐふとっく)。
求めるものが手に入らないという苦しみです。

それはそれでどんな実相を見せてくれるのか、少しは期待してもいいでしょうか。
{/netabare}

8話。
{netabare}
リピートするもの、できぬもの。

バレンタインデー。
20世紀から連綿と続く "チョコレートの販売促進日" なる伝統行事。
業界と消費者との持ちつ持たれつも、そろそろ200周年を迎える頃あいなのは微笑ましいけれど、悲喜交々なる告白が相も変わらずリピートされているのはそれほど微笑ましくもなく・・・。
超AIのMICHIも、個別仔細の処方箋は、モッガディートに一任している気配?です。

今話のキーパーソンは、外見も性自認も性的志向も、女性性のAI、レオン(リサ曰く、サバちゃん)。
彼女の悩みは、電脳回路に生じる "モヤモヤムラムラ" な恋愛感情の取り扱い。
トロリと蕩けたい熱情とヌルリと溶け合いたい欲情がある一方で、ドライに割りきれぬ未練とバッサリと切り捨てたい鬱屈です。

生殖に能わざるを "合理性" と言い訳する彼女ですが、自然発生する好意感情の抹消という選択は、果たして22世紀のヒューマノイドに求められる生き方なのでしょうか。
言い換えれば、端から子孫繁栄の任のないヒューマノイドなのですから、レズビアンに後ろめたさを感じる理由がいまいち分かりません。

たとえレオンが誰が好きであっても、ヒューマノイドが実存する価値がコミュニティーとの共生にあるのなら、生と性の根源とも言える "人を愛する気持ち" を蔑ろにはできない筈なのでは?

人間ともども、幸せに生き、幸せに年を取ることがその実存の根底にあるのなら、結婚だけがゴールではないし生殖だけが目的でもない社会観が200年後に醸成済みてあってもいいのではないかと思います。



本来、レオンの主意は、医療による感情の抹消という、表層的、対症療法的な施術では解決しえないものです。
AIの人格が実存する意義を問うという観点なら、もっと根源的、根本治療的な処方が必要で、それはソーシャルスキルやソーシャルコミュニティーの寛容性の構築や醸成に向かうはずです。

人生の何気ないイベントに、言葉を何気にリピートして、何気に相互互恵的な関係性を積み上げていく日常の繰り返し。
そんなコミュニケーションのなかに、いくらかでも夢見心地を感受しあえるなら、バレンタインデーも罪作りにはならないでしょう。

須堂は、モッガディートとしてはレオンの主意を尊重しつつ、フレンドシップサポーターとしてはリサの趣意を喚起しています。
それって、ヒューマノイドが人間に似せて造られた意味と価値そのものを問いかけているんですね。



リピートするもの、できぬもの。

SFに語られるのは、いつだって人間の遺伝子が実存する可否と是非を問いかけるシナリオです。
なんならそれは、壮大で、繊細で、観念的で、肉弾的。

" I " の語源は "ego" です。
それは一瞬に流れていく時間に、自身に内向する実存への欲求を、外向する世界に紐づけ、刻み付けることです。

人格は、理想とする人に至る(≒仁に格る=本質に行きつく)プロセスを言い、人権とは、同じく個人と社会との重さを釣り合わせることを言います。

地球に生きることは、相互愛、互恵愛そのものを証明し続ける試み(=リピート)です。
すなわち、"愛とAIと私らしさ" の追求は、おそらくは今も200年後も、それぞれに挑戦しがいのある、極めてSF的で、かつ切実なテーマなんじゃないでしょうか。
{/netabare}

9話。
{netabare}
思考を強いられたり、論考を促される作品は、取り扱いが難しいです。
シナリオや設定が、完全にフィクションであるなら、個人のレベルでアジャストすれば良いだけです。
リアルに寄ればよるほど、むしろ厄介さが増すわけで・・・"正しい社会" なんて、ねぇ・・・。

まぁ、その理由は明白なんですけどね。
それは、時代性と当事者性が、浮き出してくるからです。
自分自身の "ポケット" っていうことですね。
9話はそんな内容でした。



「教育に、これが正解、というものはない。」 そう思っています。
人間の発達は多様であり、形成される個性もまた多彩であるからです。

教えるのも学ぶのもそれぞれ別の人格ですから、新しいケミストリーが生まれてくるのは当たり前。
公式や解法は基礎としてあるけれど、高次になればなるほど応用も答えも単純ではなくなります。

だから、教え方も、育ち方も、人それぞれの言葉だったり、振る舞いだったりになります。
それが、進化する社会と、生物多様性へのアプローチの本質だと思います。

そこに、AIが割って入る時代になりました。
ヒューマノイド型(生殖以外はほぼ人間)の捉え方は・・・そう、なおさら難しいもの、ですね。



正解の正は、「一(いつ)に止まる」 と書きます。
「一」 とは何でしょう。
「画一」、「均一」 なら、"同じ" という意味合いです。
「純一」、「万世一系」 と使うなら、"交じりっ気のない" です。
留意点は、それらはある立場から見た特定の世界観、ある立場にとっての便利な言い回しだということ。

利器としての言葉や文字は、たやすくバイアスを形成させる武器にもなります。
だから、何気に安直に使うのではなく、本当の成り立ち、つまり、先人の試行錯誤を忘れないでいたく思います。

本来、「一」 は、"1月1日の日の出の頃合いの水平線" のことを言います。
転じて、「正」 は、"常に原理原則に立ち戻り、初心を忘れることなく、身体に止め置く。" という意味合いになります。

昼の「一」 は、空と海との境界線を明示し、観測と思考とを先へ先へと旅立たせます。
夜の「一」 は、地球と宇宙の混然一体なるを暗示し、星座を依代として妙なる神性が降ろされます。
そこから発せられるのが想像と創造としてのアニメーション文化。
寄せる波のように、生成化育を繰り返していくものなんですね。

今は幼い子どもたちも、やがては時代性を映す鑑になっていきます。
画一化され、均一化されがちな社会への立派な批評者と育つのでしょうね。


ちなみに、正解の「解」は、"不明を明らかにする" のほかにも、大切な意味があります。
それは、 ”束縛から解放されて自由になる” と、 ”気もちが和らぐ、解される” です。
現代に当てはめれば、"SDGsの思想" につながると思います。



国連の推計では、現在、地球上に80億人の人が生きているそうです。
2050年頃には、100億人に達する試算もあります。
本作は、人口比で10%のAIヒューマノイドが設定事項です。
おまけに、産業用AIロボットも存在しています。

そんな社会が、なにゆえにでき上がったのか。
どういう理由で、人間はそういう暮らしを選んだのか。
人間が、MICHIを存在させ、共生している理由を知りたいと強く思います。


1868年、1945年と、たくさんの血を流して、日本はまさに新世界を手に入れました。
藩が取り壊され、日本が消滅しかけた時代性を学ぶことが、今、重要かもしれません。

AIは、世界に何をもたらすのか。 
AIロボットは、暮らしを一変させるのか。
AIヒューマノイドが人間そのものなのはどうしてか。

MICHIに内在する AI=愛 の概念とは何でしょう。
わたしは、その認識の齟齬の真っただ中にいるようです。
{/netabare}

10話。
{netabare}
出自コンプレックスとともに生きる。

ヒューマノイドが人間にコンプレックスを感じるとしたら、一つには出自ではないかと思います。
もう一つは、マジョリティー側にいる人間との自己同一性の追求かな?
彼らもまた、社会との繋がりと、自己の存在性を自問し、試みているのですね。

その営みは、生命倫理や社会進歩といった人類理知性とは別の次元の、生命の起源の絶対領域に遡るようなものなのかも知れません。

毎話、冒頭で、AIの赤ちゃんが描かれますが、卵子や精子の細胞を電子化する技術は完成済みなのか、未到未達のものなのか。

無機質にも見えるその赤ちゃんは、果たして愛に包まれているのでしょうか。
MICHIは、愛の育みをどう考えているのでしょうか。



今回は、命を奪う、魂を救う二つの役回り。
そんな両極端なヒューマノイドのお話です。

五本木は、ヒューマノイドのくせに、MICHIに反旗を翻し、己の選択と信念を疑いません。
超AIの系譜を引くAIのはずなのに、電脳回路のどんな改組が殺人へと向かわせたのでしょう。

とは言え、生命倫理の概念の形成はMICHIの領域にはなく、個々のヒューマノイドの自由意思に委ねられているっていうのもすごい社会です。
ただ、五本木のように、あまりにも過度な欲望に囚われてしまうと、他者の人権を蹂躙することにためらわないのでしょう。

ヒューマノイドの振る舞いが人間と変わるところはないのが前提の本作です。
余談ですが、令和4年の死因の "他殺" は "213件" とあります。(厚労省、人口動態調査より)

本作のヒューマノイドの人口比は10%のようですから、計算上は約21人が彼らの犯行とも言えそうですが、これをどう捉えるかの判断と評価は分かれるでしょう。

「一人を殺せば殺人者だが、百万人殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる。」
ナチスのヒットラーに対するチャップリンの批判です(殺人狂時代、1947年)。

電子メスの腕前は折り紙付きの五本木。
包丁の扱い方を誤るとは、"覚える君" に弟子入りしなきゃ、ですね。



スピリチュアルもAIの生業?

日本ほど宗教が入り乱れて存立している国はほかにはないでしょう。
まさに八百万の神の住まうお国柄の超高度AI、MICHI。
勅使河原もさすがによく分かってる。

それにしても生と死とを連続したものと説く概念は、人間はともかく、ヒューマノイドにも必要なニーズだったんだと思うと、ちょっと可笑しくなります。

だって、身体のパーツを交換したり、感情さえスイッチ一つで切り替えられる彼らが、AIの理知領域に死後の世界を不安がる要素があるなんて。
超AIが魂を導くなんて勅使河原のご高説、ブッダやキリストもさぞかし驚かれたことでしょう。

人間はその時々において、神仏を求めたり排斥したりするのが常です。
勅使河原もまた、超AIにそれを写すしかないのでしょうか。
あるいはそれで "戦おうとしている" とも見えるのですが。

この奇妙な相似性こそ、AIのディープラーニングに導き出される "来るべき社会" の解答なのかも知れませんね。
{/netabare}

11話。
{netabare}
紋の意味。

脳紋。
パスワードなどの記憶の出し入れという煩わしさから解放してくれるその技術は、そう遠くない時期に実用化されるはずです。

例えば、ATMで出入金する際の、個人認証システムへの活用などです。
電極を埋め込んだイヤフォンを耳に当て(聴覚による刺激とその反応)、ATM画面に表示される認識番号を見る(視覚的刺激による反応)ことで発生する "脳波の変化がそのままパスワードになる" という技術。

さらに、脳紋は、異なる精神的活動を用いれば、更新することができるそうです。
だから、仮にコピーされても、セキュリティーを再構築すれば、サイバー攻撃にも対応できるみたい。

おぉ~!それってかなり近未来的じゃないですか。
私も、早々にお世話になりたい気分ですよ。うん。



そうは言っても、双子の場合は、その技術は使えないそうです。
なぜなら、双子の脳波は、ほとんど同じ反応パターンを示すからなんだそうです。

トゥー・フィーの電脳は、樋口リサのコピー。
人間なら双子の姉妹として "合法的" と認められるわけですが、ヒューマノイドでは許されません。
生まれも育ちも人格も別な彼女たちですが、コピーした側の権利は、社会的に抹殺されてしまいます。

この二人、人間と見なすなら、生まれ年は違うけれど、内実は双子ってことですよね?
そう考えれば、やっぱりこれは異常な事態です。

そう思うと、トゥー・フィーの父親は、かなり恣意的に違法行為を行なったということです。
トゥー・フィーは、その被害者でありながら、無責任な父親の尻ぬぐいを取らされる "二重の苦しみ" を背負うのですね。

子どもは、親の玩具なんかじゃない。



須堂の母親は、電脳的には二人存在しています。
ということは、思考性は同じで、人格的には別の母が、須堂の "もう一人の母" ということになります。

このシチュエーションを整理するのはちょっと難しい。
遺伝子学的には、双子の姉妹を共通の母とする、異母兄弟ってのに近いのかな?

でも、須堂は一人っ子みたいだし・・・。
もしかして・・・、もしかしたら・・・、MICHIって、そうなのかもって仮説もありなのかな?

それって、遺電子的には十分に起こり得るシチュエーション。
須堂は、コピーした側の母と、超AIでもあるMICHIに、どう向き合い、対処するのでしょう。

ようやく、次回が、ちょっとばかり楽しみになってきました。
いつだってクールに装う須堂ですが、その "紋" にうべなう彼の感情の波と、表情の乱れを、ぜひ観てみたいものです、ね。
{/netabare}

12話。(まとめ)

旅立ちの "先" 。

残念ながら、"先" につながる "2期の告知" はありませんでした。
時間をかけて観てきたことを思うと、この閉じ方にはちょっと消化不良ですね。

でも、トータルとしては、思っていた以上に面白く観られました。
少年誌がベースですから、これくらいの緩さが塩梅としては好ましく感じます。

既存の科学技術の知見を参考にしても、予見できる世界観は想像の域を出ません。
社会科学としての未来予測性はもちろんのこと、人文科学であれば振れ幅は相当にあってもいいと思います。

未確定の技術の応用、未確立の社会的価値、未知の人間心理を織り交ぜた作品です。
当然、過去の諸所の作品に照らし合わせれば、「おかしくね?」と評されるのも、「ありよりのあり」です。



でも、本作は、そういう諸々を前提にしたうえで "別の提言" が潜ませてあるように思います。
ひとつは、産業用ロボットや、ヒューマノイドの存在意義を、倫理的な比喩として用いていることです。

倫理というのは、善、行動規範、道徳的言明という意味ですので、人的な価値観ということになります。
となれば、人によって相当に受け止め方の違いがあるでしょう。
その違いがあることを前提にして、"人非ざるものの価値とは何か" と説いています。

人の生き方をサポートしたり、業務を請け負ったりする技術を、社会はどう捉えるのか?
それらの想定を目前にしながら、いまだそれを深く学んでいない我々なのではないか?

「便利ならトニカクOK!」とひと言で括ってしまう是非を、"アイロニック(皮肉を込めた)な問いかけ" として視聴者に向けているかのようです。

例えば、医療用AIは、最善の治療効果を進言するかもしれません。
でも、最高の人生まで担保してくれるのかは、だれにも分かりません。

例えば、ベッドで添い寝する産業用ロボットは、最良の一夜を共にしてくれるかもしれません。
でも、最愛の伴侶として、人生を彩ってくれるのかはまた別の意味合いがあるでしょう。

ヒューマノイドが悩むのは、人非ざるものが、人として認められているからです。
人権が与えられているという設定は、そういうことなのです。

ですから、鑑賞の前提としてそこにひっかかるとなると "あら、まぁ!" としか言いようがありません。



もう一つは、本作を、「ありよりのあり」とするか、「ありえない、くだらないもの」 と捉えるかで、視聴者の心に潜む "人権感覚だったり、人権意識だったり" をあぶり出してきます。

すでに、そうなっている社会であることを、作品として受け止められるか、そうでないか。
2023年から枝分かれする150年後の世界線の一つとして、受け入れられるか、できないか。

これって、一見すると時代の設定こそ違いますが、人権という観点で俯瞰すると、同時代的なんですね。

須堂はリサに「似ている者同士、助け合ってもいいんじゃないか?」と話しかけています。
当然のこと、彼の言葉の意味が、視聴者自身の世界観にかかってきます。

本作各話のディテールは、今の技術革新が予測する未来の可能性を、世界観の一つとして視聴者自身の "見識" に上書きしてくるんですね。
もちろん、それぞれの受け止めは自由です。それは大事なことです。

でも、共生しあうことへの不寛容性や、前述した人権意識の情弱があるとしたら、リアルにも深刻だなぁと思います。
つまり、人間を頂点とする今の世界の構造にも、何らかの悪影響が起きてしまうんじゃないかって思います。

現に、戦争や民族紛争、人身売買(特に子どもの)などは日常的に起きています。
なぜそんなことが当たり前のように起きるのか、いかに人権意識が損なわれた時代に生きているか、その事実と実態から学ぶ必要があるようにわたしは思います。



AIやヒューマノイドがいる日常で、彼らとどう手を取り合うのかが本作の主旨です。

そもそもであれば、知能的、肉体的には敵いっこない彼らでいいはずなのです。
そうでないのは、人間との共生というテーマが大前提にあるからこそ、悩み苦しむ遺電子が、彼らの電脳にアンチテーゼとして埋め込まれているようにも受け取れます。

そんなとき、人間は、何を以って彼らの弱さを受け止め、彼らを強さへとサポートすればいいのでしょう?
想定さえ難しいテーマでしたが、AIやヒューマノイドを、今の80億人を超える人間に置きかえるだけで、答えは見つかるとわたしは思います。

なぜなら、本作の前日譚となるだろうネタが、そこかしこに見い出せると思うからです。



にしても、MICHIの自己改修計画がどんな意味を持っているのか、それがよく分かりません。
もしかしたら、MICHIの、MICHIによる、MICHIのための、自己 "回収" 計画なのかもって、勘繰ってしまいます。

リサは「ヒューマノイドは、人間に似せてないと社会に受け入れてもらえない。」とこぼしていました。
このあたり、相も変わらず蔓延っているルッキズムやディスコミュニケーションのありさまを、鋭く突いているようにも思えます。

愛情と認識の齟齬、あるいはその試みの物語。
それは、自己改修(回収)の物語でもありそうです。

原作は未読ですが、後日談の作品が刊行されているようです。
ちょっと読んでみようかなぁ。

投稿 : 2023/10/03
閲覧 : 464
サンキュー:

19

ネタバレ

TaXSe33187 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.6
物語 : 2.0 作画 : 2.5 声優 : 3.0 音楽 : 2.5 キャラ : 3.0 状態:途中で断念した

それっぽさ

久々にちゃんとアニメ観たので
なんというか、タイトルにした通りの1話だったな

「こうどにはったつしたしゃかいではりんりかんがおいつかない」
もう同じネタで何度見たか分からないテーマ
で、目新しさがない

描く社会の目新しさも、提示したい問題の新鮮さも、純粋な作画の美しさも、今のところ特に感じない出来だった
なんつーか「回答不能な問いを投げかけることで自ずと高尚な立場に立ちたがる」タイプの物語って印象
面白さ以前に社会的な正義、社会的な問題提議が先に来ている本末転倒感

{netabare}
難しいテーマだし、今の社会には響きやすいテーマかもしれない
でも、アニメあるいは物語としての魅力を作れてるかは微妙かな
AIが社会に浸透して、ヒューマノイドが社会に溶け込んで、しかも人権まで手にしている
…と言う割にそこに至るまでの法整備も、人々の意識の変容も一切起きていない
技術の進歩に倫理の形成が追いつかない、という警鐘ありきで「その社会にあるべき秩序」を無視している印象

まだ若い主人公が「嫌な世の中になった」というくらいにはAIの浸透は急速なもののはず
なのにその急速さに対する忌避感は描けてないし、ただの当たり前という扱いでしかない
人格のバックアップが違法云々の話も、懲役刑が存在して実際に使われた事もあるのに社会に認知されてない
テーマとして扱うべきAI周辺のアレコレが、ちょっとビックリするくらい作品世界に馴染んでないよね…

バックアップ前後の人格が同一人物か?とか、裏社会で使われる人格データだとか、単体としては良いテーマだと思う
でも「今の現実世界に(技術進歩のステップ無しで)突然ヒューマノイドが現れたらこんなこと起きそう!」で思考が止まっているせいで、
「この社会」に至るまでに起きた「作品世界の変遷」が感じられない
社会が感じられない作品で社会問題を扱われてもひたすらにチープでしかない

まだ1話だからというのはあるにせよ、逆に言えば世界観無しでも提示できるくらいのテーマしか選んでないとも言える
そういうシナリオの甘さを補うだけの魅力を他に用意できてるかっていうと、作画も楽曲も微妙
ふわっふわした土台で重大なテーマを扱って、そこを支えるものがまるで足りていない
{/netabare}

1話はなんつーか道徳の時間に見る作品って印象
その存在は否定しないけど、「道徳の時間」という一言で片付く程度には単純に「物語として」足りないものが多い
練り込み不足の1話から雰囲気が変わるかがポイントかな

溜め込んでたので一気見中
…だったんだけど3話前半まででもうツッコミどころがエグくて一時中断
物語に対しても考察に対しても、ノイズがあまりに酷くて没入させてくれない

2話冒頭からになるけど、なんでヒューマノイドは人間と同等まで機能を制限されてるの?
人間社会に溶け込めるようにって理由ではあっても、そもそもヒューマノイドが「社会集団の一員として」溶け込む意味ってないよね
むしろ産業ロボット達のがより自然に作品世界に馴染んでいて、ヒューマノイドがあまりにも異物すぎる

{netabare}
例えば少子化対策として、生殖機能を持ったヒトの身体を培養・量産して脳機能の代わりにAIを積んでいるならまだ分かる
人権意識の高まりから見合いや強制的な婚姻・生殖を国民が許さないため、自然な恋愛結婚の選択肢を増やすための苦肉の策とか…
その場合でも諸所の問題はあるけど、少なくともスペックを落として人間に近付ける理由の説明であったり、
商品としての合理的な存在理由がないヒューマノイドへのフォローにはなるはず

でもヒューマノイドって人間との生殖は出来ないみたいだし、それによって人間の個体数が増える要素はない
となると国民数を増やすための政策的な事業にはならず、ヒューマノイドの存在自体に利益がなければならない
でもヒューマノイドは人間のスペックを模していて、成長・教育の年数も人間と同等のため
「人間で代替可能な(=特別な利益のない)存在を、最新の技術を駆使して量産する」
という世界の不整合ばかりが目立ってしまう

この辺の違和が、高校生たちの会話や診療所でのやり取りだけで膨れ上がる
そんな疑問だらけの中でヒューマノイドの悩みを見せられたところで…
{/netabare}

それにあの陸上の話だけど、ヒューマノイドの悩みである意味がないよね
{netabare}性能が決まっているって話を見せられたけど、「この人のカタログスペックはどのくらいなの?」が提示されてない
だからこの話でやってることって「スランプのアスリートが友人の支えで新記録をだした」以上のものがない
そこにヒューマノイドである意味はないし、人間との差異を感じる要素もない

ラストの主人公のセリフ、「人間もヒューマノイドも怠け者」ってやつ
あのセリフは
「性能限界を知らないクセに自分の限界を決めつける」
って部分への回答で、その意味ではアスリートの成長物語に対するオチに相応しいと思う
これがスポーツアニメであったなら綺麗なオチ

でも、この作品はあくまでもヒューマノイドを軸にしたSFで、オチはSFに着地するセリフであるべきじゃないの?
なんでヒューマノイド要素が一切不必要な展開をやってんだよ…
これって2人とも人間で、「タイムが伸び悩む主人公と応援する友人」って話でも一切内容を変えず成立するやつじゃん

例えばオチに「怠け者」って要素を加えたいなら、
「ヒューマノイドは人工物であることに自覚的なため、性能限界を意識してしまいスランプに陥りやすい」
「人間も筋量等の限界はあるものの、性能限界への意識が薄いため精神面が鈍い(=強い)」
って部分を主人公が診療所での検診で語るなりして、ちゃんと物語に落とし込まなきゃダメでしょ

SFの肉付けを担うはずの主人公がほとんど物語に絡まないこともあって、話の軸からSFが抜け落ちてしまっているのが問題
それを補う要素が作中にあればいいけど、実際にはただ陸上選手が陸上競技の悩みにぶつかってるだけ
結果として、見ている側が「これをSF扱いするにはどうすりゃいいの?」って部分を考える羽目になる

単体の物語としてはSF失格な構成のものに、視聴者がゴテゴテと理由を付け加えてあげなきゃ成立しないシナリオ
考察ってのは本来「物語・設定をより深く掘り下げる」ものであって、「物語を成立させてあげる言い訳作り」じゃないんだわ
こんなのじゃあ正直「考察」の段階になんて到達できない
{/netabare}

あまりにも「道徳の授業的」すぎる
ペラッペラな設定すらまともに取り扱えず、しゃーなしで視聴者がSFらしさを捏ねてやるばかり
ペラッペラすぎて捏ねる手間すらろくにねーのは良いんだか悪いんだか…
考察する部分は薄いのにツッコミどころの多さで脳への負担が大きいので、見終えるまでどれだけかかるかなぁ…

投稿 : 2023/10/02
閲覧 : 76
サンキュー:

5

鬼戦車 t89 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 1.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

オマエらなぞ頭の悪いエンドユーザーに過ぎないと、視聴者を馬鹿にしたSF風アニメ

 最終話(12話)まで観ました。2023.10.02

 前回の予想が外れました。なんと、旅立ちの前日譚、ミニスカナース・リサとの別れ云々の話だけで終わりました。

 何か、逃げられた感じです。続きは原作読めと言うことでしょう。

 この作品、視聴者を根本的に馬鹿にしています。要するに、視聴者は末端消費者に過ぎず、商品にブラックボックス部分があっても喜んで受け入れろ!ということです。

 これは、世界観描写のための努力を放棄したことの正当化にすぎません。

 人間は何やわからんからちゃんと描かない。AIも何や分からんからちゃんと描かない。でも、受け入れろ!という甘えです。

 須堂ママのコピーがいる国は内乱状態で、ヒューマノイドが襲われたりしているそうですが、何のためにヒューマノイドがその国にいるんでしょうか?

 人間は、頼んでもいないのに父親と母親が勝手に作って増 え、誕生したからには不本意でも生きるために色々しないといけませんが、人造人間は勝手に紛争地では増えません。誰かが意図的に供給しないといけません。

 自然増しないので、中立な一般市民ヒューマノイドは存在しません。全て戦闘員か戦闘補助要員と考えるのが妥当でしょう。

 何もかもが根本的におかしいです。須堂さんはコピーママを見つけてどうするんでしょうか?オリジナルママと一緒に懲役食らわすの?それとも破壊するの?

 紛争地で生き残っているということは、元が市民でも、今は何らかの方法で戦闘的に生きているはずです。

 そんなの見つけてどうするの?謎です。一つ疑問を持つと謎の世界観のせいで、次々と疑問が生じて、登場人物の一挙手一投足がおかしく感じる不思議なアニメでした。
………………………………………………………………………

 11話まで観ました。2023.09.25

 Aパートはミニスカ看護師リサの掘下げ回ですが、どうでもいいです。両親が居なくなって弱ったリサを須堂が口説いたという悪質なエピソードでした。医師の倫理規範的にどうなのこれ?

 あと、簡単にコピー作れ過ぎなんだよ!フザケてんのか?適当なボディーもそこら辺に有りすぎだろ!ヒューマノイドの存在が軽すぎます。

 Bパートは、須堂ママのコピーの居場所が明らかになったので、須藤さん、ママを探しに行くとか言い出してリサを困らせます。

 コピーを見つけても、流出した元データ見つけないと意味無くない?それとも、1スキャン1複製しか出来ないのかな?
 
 コピーが一体しかいないなら、須堂ママはそんなに価値が無いということじゃね?単なる主婦だし…。

 特殊能力もない奴をコピーして、何の意味がある?金も時間もかかるし、逮捕されるリスクを侵す意味は?有名人なら、コピーしてバラされたく無い記憶を人質にとるとかありますが、パンピーなんてどうすんのよ?

 もし、今の自分が大量コピーされて世界にばら撒かれても、社会にボンクラが増えるだけなんですが…。自分の複製が社会の驚異になるとか、どんだけ自分好きなんだか…。

 だいたい、素人の須堂が行くことある?プロに頼めよ…。意味不明です。

 次回のオチは、どうせコピーも普通に暮らしていて、家族とかいて須堂のアホが葛藤するんでしょ?

 次回予測当たったら、マジでクソなんですけど…。次回最終回、楽しみです…。

………………………………………………………………………
 10話まで観ました。2023.09.16

 何となく物語のテーマが分かって来ました。超高度AIに管理運用される超管理社会で人間らしく生きることの悩みを描きたいというのは分かります。

 ただ…、やっぱりヒューマノイドは必要ありません。登場人物は電脳化された人間だけでも話が成立します。

 何故、作品中で悩むのがヒューマノイドだけなのか?漫画家、ヤンキー、スピリチュアル、同性愛者、精神異常の殺人鬼と、色々なヒューマノイドが登場しますが、全員存在が軽いです。

 人間は管理社会に適応しすぎて何も感じておらず、超高度AIが管理社会維持のためにヒューマノイドを一定数社会に供給しており、そのヒューマノイド達が管理社会の矛盾のためにバグっていると言うならまだ分かります。

 ただ、そんな設定は今まで観てきても無さそうです。SF設定自体が作者の手に余っている感じです。

 また、そんな設定があったら、そもそも主人公のサイバネ医師の存在が物語から浮いてしまいます。
 
 各話結論を出さない作風も、オチを考えてないだけにしか見えないので、視聴者側が考察したりして付き合ってやる気にもならないのは残念です。
………………………………………………………………………

 8話まで観ました。2023.09.03

 異性愛者じゃないレズビアンヒューマノイドのお話…。視聴者馬鹿にしてるの?

 チンポ生やして出直してこいやぁ!以上終わり。

 ヒューマノイドの社会的位置づけが不明なのが感情移入と理解を妨げます。そもそも人造人間ごときに恋愛感情や性欲持たせる意味があるのか?性別も意味不明です。

 人間と人造物を同一視してるのは、どうにかした方が良いです。

 主人公がご自慢の技術でちょいとイジって男形のボディーに換装してやれば5分で終わりだろが!

 クソみたいな手癖で作った様な物語に、当事者にとっては深刻な問題をつまみ食いしているのは、非常に不愉快です。

 考察やエモさを求めているのでしょうが、人権問題をガバガバの設定の世界観の物語で軽々しく取り扱うのは、オチがどうなるにしても許される範囲を超えています。

 もう少し、世界観設定を練り直して出直した方がよろしいかと思います。
………………………………………………………………………

 7話まで観ました。2023.08.19

 Aパートは、ヒューマノイドと人間が混在した家族の悩みを主人公が医療で解決!的なお話でした。

 また、混在家族についての説明がありません。人間も、木の股から産まれてくるの?それをヒューマノイドが拾って育ててる社会なの?説明不足過ぎます。慣れませんねぇ…。

 んでもって、ヒューマノイド爺がDV爺という救いの無いオチで…。人間ならともかく、人造人間なのに性格が悪く、暴力を行使してくる奴なんて、存在する意味が無いだろうが…。前の話みたいに性格も矯正すれば良いのに投げっぱなしです。

 Bパートはクレーマー対策のヒューマノイドの話で…。これも世にも奇妙な物語みたいで投げっぱなしでモヤっとするオチでした。

 何か子供騙しのショートストーリーが続きますねぇ…。主人公のママの記憶を探す話はどうなったんでしょうか?いくらやっても世界観は深まりません。

 寧ろ、矛盾に矛盾を重ねているような気がします。こんな、世界観に芯の入っていない物語、作っていても面白く無いんじゃなかろうか?と心配になります。

………………………………………………………………………
 6話まで観ました。2023.08.13

 コレ…、制作しているスタッフの皆様の頭の健康が心配になるレベルのお話しです。

 人間と見分けがつかないほどの高性能AIを搭載したヒューマノイドが既に居るのに、今更産業用ロボットが人間の技術や生活を学ぶ理由って何です?

 益々ヒューマノイドの存在意義が不明になりました。人工物のくせに人間と同じ様に歳をとり、大した能力もない奴らなんて、要らないじゃん。

 現代社会に覚える君やパーマ君が登場することによる、社会との軋轢を描くなら分かりますが、ヒューマノイドが既に存在する社会では話が成立しません。

 はっきり言って、6話は5話以前の話と矛盾します。ヒューマノイドは社会に受け入れられている!以上説明終わり!で突っ走るつもりの様です。

 SFとは名ばかりの、自縄自縛の設定を無視して話を展開していくのは、視聴者を馬鹿にしているとしか思えません。

 早く、ヒューマノイドの存在意義と意味を作中で説明してもらいたいものです。
………………………………………………………………………

 5話まで観ました。2023.08.09

 相変わらず酷いオムニバス形式の1話完結ものです。出来の悪い仏法説話みたいな気持ち悪さに溢れています。

 そもそも、所与としてのヒューマノイドの存在に納得がいきません。ロボット三原則とかの制約もない製造物が人間社会に跋扈しているなら、その存在理由を明示すべきです。

 ヒューマノイドはアル中だったり、発達障害だったりするのが混じっている上に、性衝動もある危険な連中です。

 連続強姦殺人ヒューマノイドとかが出現したら、製造者責任は誰が取るんですか?

 人間に関係なく存在している妖怪や付喪神とかと共存している社会とは、意味合いが全く違います。

 ヒューマノイドはどっかの工場で作られているんでしょ?それとも勝手に繁殖してるの?だったら物語上で明示しないといけません。

 人格の書き換えが簡単に出来るのも問題です。人間ならアル中は絶対に完治しない病気と言われています。できるのは、だましだまし問題行動を起こさないよう制御して生きていくことだけです。

 そんな難治な病気も、大した設備無しに改善出来るなら、人格改変の悪用も可能です。大量の殺人鬼を野に放つことも出来ます。

 また、主人公のヒューマノイド母が懲役食らっているのも意味不明になります。

 人間なら、自由意志に基づく有害行動に対する罰として有効な懲役ですが、人格改変出来るなら、問題行動しないように書き換えて、釈放すれば良い話です。

 賢者スイッチを搭載出来たり、人格改変出来るヒューマノイドに、自己決定権などそもそもあるのか疑問です。

 自己決定権を重視する近現代社会という概念も理解出来てないアホが原作書いているのでしょうか?それともアニメ化による改悪?

 どちらにしても制作サイドの質の悪さのみが悪目立ちするなろう以下の駄作であることは間違いありません。

 クソアニメ以前の問題で、視聴者を馬鹿にしている、もしくは視聴者など、社会構造を理解していない動物みたいな連中だと思っているとしか考えられません。

 マジで気分の悪い不快アニメです。

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 3話まで観ました。2023.07.23

 やっと話の構造が分かってきました。SF的な設定は、エモい話を作るためのダシでしかないのです。

 少年と玩具AIのクマとの話には少しうるっときますが、ヒューマノイドねーちゃんとセックスロボットとの話はカオス過ぎんだろ!

 性的サービスをする産業用AIを搭載したセックスロボ君は、心が無いから人権も無いらしいです。

 ヒューマノイドは心があるので人権はあるのですが、人間との生殖機能は無いそうです。(2話で言及)

 んで、人間の男とデキたヒューマノイドねーちゃんが、愛用してきたセックスジゴロボをどうすっかなという話が軸の3話ですが…。

 人間の男からしたら、人工愛人の人工女性器をゲットダゼ!避妊しないで中出しし放題ダゼ!でも、子供は出来ないゼ!何のための恋愛?と、思ってたら、人工愛人が人工セックスピストルズを飼っていて、人工男性器と人工穴兄弟に知らずになってたという…。カオスだなぁ。

 そもそも、ヒューマノイドと他の産業用AIとの差がはっきり提示されてないので、アニメで上手く描けて無いです。

 産業用AIは、記憶の上書きや消去が出来るけど、ヒューマノイドはしてはいけない、だから学校で教育をワザワザする。しかも、大して能力も高く無い…。

 オンリーワン性を担保し、人工物の人間ゴッコのために凄まじいコストを負担する社会って何?しかもア・ソ・コの世話までしてやってる…。

 原作マンガは、この辺上手く処理しているのかもしれませんが、アニメでは単なるカオスです。 

 プラスチックメモリーズでは上手く誤魔化していたアンドロイドと人間の性の関係を何も考えずに表に出してしまって、これからどうするんでしょうか?

 変態ロリコン用の幼女型、ショタ型もあるんでしょうか?もう、何でもありですねぇ。

 後、性能を抑えているから産業用AIには心が生じず、人権も認めないというのは、ナチや優生思想のファシストの発想です。

 人権というのは、本来能力で線引出来ません。認知症の老人は自己決定権の制約を受けたりしますが、処分していい理由にはなりません。

 セックス産業に従事する者は人間だろうとAIだろうと劣る存在だと作者は言いたいのでしょう。そして、酷い扱いをしても良いと…。

 馬鹿が人権など、繊細な問題をSFの皮を被った物語で語るから、クソアニメになる典型です。
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 2話まで観ました。2023.07.15

 ヒューマノイドの看護師ちゃんカワイイ!以上感想終わり!

 AIと人間の相克を描きたいのは分かりますが、前提として金と資源をかけてまでヒューマノイドを生産している意味がやっぱり不明です。

 なぜ、人間よりスペックの劣る道具を生産する?ヒューマノイド達は人間と一緒に学校に通っていますが、知能も運動能力も人並みなようです。

 この物語は、道具と人間の関係性を履き違えています。人間の生産する道具は、あくまで人間の能力拡張、もしくは人的損耗を代替するものに過ぎません。

 分かりやすいのは、戦闘車両と兵士の関係です。一次大戦で戦車が発展するのは、歩兵の突撃では人的損耗が激しすぎるので、装甲で防御された機械で突撃し、機械の損耗で人的損耗を代替するプラス兵士の戦闘能力向上という発想に基づいています。

 現代のウクライナ戦争とかでも同様です。戦闘車両がやられても、搭乗員が無事なら良いのです。

 ロシアはいくらでも兵士を動員出来るという発想で戦車を作っているので、兵員の戦闘力向上重視で人命軽視ですが、それも道具としては正しい発想です。

 視聴者がヒューマノイドの精神性を重視するか、道具としての側面を重視するかで、SF作品としての評価が180度変わるのは、良いSFとは言えません。

 看護師ちゃん、道具のくせに嫉妬したりする余分な感情要らんよと思う人は、こちら側ですね。まさに踏み絵…。

 ヒューマノイド関連の設定がもっと納得出来ると良作になりそうなので、今後の展開に期待です。単なるエモい話で終わりそうな感じはしますが。
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 1話追記です。2023.07.09

 本作品の描きたいテーマは何となく分かりますが、設定上の大きな問題は、資本主義を舐めすぎている点です。

 我々の生きる資本主義社会は、マルクスが解明したように、基本的に人間の労働力の搾取の上に成り立っています。

 これは別に、強制労働させられているという意味では無く、企業が労働の対価として、労働者の人間としての再生産費用を全額支払っていないという構造のことです。

 我々は、働いて稼いだ金で生存のために色々なサービスを買ったりしていますが、次世代労働者、いわゆる子供の育成は、ほぼアンペイドワークとして親に強制させられています。

 政府や企業の子育て政策が中途半端なのは、この子育ての費用と手間を完全負担すると、コストがかかりすぎて、労働者からの搾取構造が破綻するからです。

 勝手に人間が増えて、労働力を売る段階まで勝手に成長するのを期待するのが、資本主義の本質です。
 
 歳をとって、労働力として役に立たなくなったら、自己負担で死ぬまで養老院に入るか、家族にアンペイドワークで介護させるのです。

 しかし、ヒューマノイド達は違います。人間と違って完全な生産物です。生産物なら減価償却まで使い潰す必要があります。

 自由意志など持って、フラフラされては、コスト回収が出来ません。

 人間なら、ラーメン屋をやって、究極のラーメン作りを目指したりするとかも許容出来ますが、道具ごときが試行錯誤すること自体、コスト面から許容できません。

 仮にただ同然でヒューマノイドがどこからか湧いて来るなら、もう人間の労働者は必要ありません。ヒューマノイドの労働力を搾取する究極の資本主義の完成です。

 AIがどうこう言う以前に、現代の社会構造に何ら変革が無い状態で、ヒューマノイドと人間が共存している世界などを偉そうに設定している時点で、SF作品としては二流以下です。

 良い感じで、視聴者を泣かせる雰囲気を作れるかに、欺瞞は感じますが、作品の正否がかかっている感じです。
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 1話観てのレビューです。2023.07.08

 待望のSF作品ですが…。AIとか人造人間とか出てくるわりには、あまり社会が進化してません。

 アンドロイド達(以外、ヒューマノイド)と一緒に人類が生活してますが、ヒューマノイドにラーメン屋の親父をやらせたりする意味がわかりません。

 コストをかけてまで、人間とヒューマノイドを置き換える意味がある?もっと、コストに見合った仕事をさせなさいよ!

 ヒューマノイド達の人格がいくらでもコピー出来るのもなぁ。そもそもヒューマノイド達に自分が作り物だという自覚があるんでしょうか?

 自分が人間だと思っているなら、ワザワザ人間を下位互換の人造物に置き換えている意味が益々わかりません。

 ヒューマノイド一体作るためのコストが不明なので、コスト回収度外視で人間ゴッコさせてる意味の説明は作中あるんでしょうか?

 人間だから、自己同一性とかオリジナリティとかが重要なテーマとして物語になりますが、複製出来るヒューマノイドごときが記憶がぁ〜とかで号泣するのは、ぽか〜んです。

 タック二階堂さんも書いてらっしゃいますが、作中人物と視聴者の感情に深刻な乖離があります。

 あまり、期待出来ませんが、SFなので視聴は継続します。

投稿 : 2023/10/02
閲覧 : 317
サンキュー:

9

ネタバレ

Mi-24 さんの感想・評価

★★☆☆☆ 1.4
物語 : 1.0 作画 : 1.5 声優 : 1.5 音楽 : 1.5 キャラ : 1.5 状態:観終わった

矛盾だらけのデタラメな世界

「AIロボットと共存する世界」
らしいが、
・人権を持ち「人」扱いされるAIロボットの「ヒューマノイド」
・産業機械として「物」扱いされるAIロボットの「ヒューマノイド」

この2つのヒューマノイドが混在しているが、何処が違うのか全く分からない。

各話ごとの話しの都合で、人権を持つ「ヒューマノイド」と産業機械の「ヒューマノイド」が登場して、世界観の設定が自己矛盾で崩壊している。

話しの内容も、表面をなぞってそれらしい事を言っているだけで薄っぺらい。


そもそも主人公は何をしたかったのか。
母親の人格がコピーされたヒューマノイドを探す?
そのヒューマノイドは何体いるの?100体?1000体?
そのヒューマノイドを見つけると何が起こるの?
?が大量に並ぶだけで理解不能。


「なんだこりゃ?」
以外の感想が出てこない、酷い作品だった。

投稿 : 2023/10/01
閲覧 : 81
サンキュー:

6

コタロー さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.5 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

AIとの共存 心の準備は出来ていますか?と思わせる作品

AIのある世界はすぐそこまで迫っています。
共存は可能なのか・・・

作品としては今後の現状の延長線にある様な作品で
考えさせられる作品でした。

見るも・見ないも、あなた次第です。!

ファンタジーやコメディー作品が好きな人には
敬遠されるかな。
でも
一度は考えておかなければならない事かもしれない!

いろいろ教えてくれますね
アニメって・・・。

投稿 : 2023/10/01
閲覧 : 56
サンキュー:

4

ネタバレ

teji さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

考えさせられる話でしたね

基本的にかなり好きな話ですね
近いうちに電脳の世界ははじまるんだろうなぁ
ただ 規制とかの問題が難しいでしょうが

投稿 : 2023/09/30
閲覧 : 50
サンキュー:

1

ネタバレ

Bハウス さんの感想・評価

★★★★☆ 3.4
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.5 状態:観終わった

目の前にある問題と向き合い続けた果てに

去年の新生児は80万人
人口減少は政府の予想よりはるかに大きく

数十年後AIが現在人類がついている
職種の70%近く代用することができると言われている今

SFとしての本流を提示してきた
非常に意欲作だと思う

この作品のキモとして出てくるのは
人間、AIとは違う存在ヒューマノイド

パーマンのコピーロボットやクローンとは違い
固有の人格を持ち人間と同等の権利も持っている

第一話からある女性ヒューマノイドが
人格をバックアップしようとしてウィルスに感染
初期化するという話が出てくる

最終話にも再登場するのだが
姿かたちは変わらないが初期化されることで
何かを失う強迫観念は共感できた

その後の話もAパート、Bパートごとに
ヒューマノイドがそれぞれの立場で
人間だったりAIと向き合っていく

この作品のレビューで「古典的なSF」と批判があったけど
確かにフォーマットは星新一のショートショートに近い

終盤になると主人公須藤(人間)と
看護師のリサ(ヒューマノイド)の出会いと
二人の関係性に向き合わされていく

ガワこそSFの要素が大きく見えるけど
本質は落語の人情噺かなと思うのよね

関係性の構築、変化を見せていく展開で
結末はどの話でもきちんとついていたし

ただなぜ須藤は収監されている
ヒューマノイドの母親よりもコピーに執着したのだろう
そこがよくわからなかったし

須藤に姿が似ている管理AI(マザーコンピューターみたいなもの)
ミチが協議会に入る条件として

紛争地帯にある須藤の母コピーをわざわざ
生身で取りに行かせたのだろう

本題の部分があやふやで
リサとの別れのシーンがストンと落ちなかった

投稿 : 2023/09/30
閲覧 : 91
サンキュー:

6

ネタバレ

Witch さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.9
物語 : 3.0 作画 : 2.5 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

【最終】このご時世にこんなSF作品がアニメ化されたのが奇跡かも(面白いかは別問題だが)

【レビューNo.87】((最終レビュー)初回登録:2023/9/30)
コミック原作で2023年作品。全12話。

(ストーリー)
これは、私たちの未来の物語――。 21世紀に始まったAIの圧倒的な進歩は、
社会の発展に寄与する一方、高い知性を持つ機械を道具として使う是非を、人
類に突きつけた。 そして22世紀後半。人々は「産業AI」とは別格の存在とし
て、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしてい
る。 須堂光は、ヒューマノイドを治す新医科の医者として、ヒトとAIの共存
がもたらす「新たな病」に向き合っていく。 時に、裏の顔も使いながら……。
(作品情報より)

(評 価)
・第1話:これメインテーマが全く伝わらないだろうな(2023/7/14全面改訂)
 {netabare}・人間とそん色のない、感情や人格を持ったヒューマノイドがいる世界
 ・ヒューマノイドの母親がウイルスに感染、やがて機能停止。
  → (違法に取得していた)人格のバックアップデータから新たに再イン
     ストールして復旧。
 ・人間の娘は、母が以前料理に工夫を施したことが完全に抜け落ちているこ
  とに涙。
  → 人格を再インストールしたヒューマノイドは果たして元のヒューマノ
    イドといえるのか?
っていう問題提起した話らしいのですが・・・

・世界観の提示が全くないことに違和感
 ・ざっくりいうと
  ・プラメモ
   ・この世界に何故「ギフティア」が存在するのか?
    → 家族を必要とする人たちに家族を提供するため
  ・PSYCHO-PASS
   ・この世界に何故「シビュラシステム」が存在するのか?
   → 人間より高次な存在により社会を管理・運用するため
  ・で本作ですが
   ・この世界に何故「ヒューマノイド」が存在するのか?
     → ???誰か説明できる人いる?
     → この共存のボーダーはどこにあるのか。
       (ヒューマノイドはどこまで人間扱いされているのか)
  正直存在理由が不明なヒューマノイドありきで、しれっと話が進んでい
  く流れに個人的には強い違和感がありました。
 ・その象徴的な存在が、この第1話で登場する家族で
  ・父親:人間
  ・母親:ヒューマノイド
  ・娘:養子で加わった人間
  この歪な「家族」に一体どんな意義があるのかが、全く分からない。特に
  この両親からは子供が生まれないから、養子で埋めるという世界観が気に
  なって、本筋の話に入っていけない感じでした。
 ・この辺りもう少し補足すると、初見では、やってることは
  ・「存在理由が不明な」ヒューマノイドと人間が共存する世界。
   そこにはこういう問題が発生するので提起します。
   → 「こいつ何言ってんだ?!」
  というのが拭えなくて・・・

・「人格のコピーはNG」という大原則の重要性が伝わらない
 ・ただ第1話に関しては、上述でも話は成立します。
  >この共存のボーダーはどこにあるのか。
  が、「人格のコピーはNG」というのでギリ提示されているからです。
  でもこの大原則が頭に入っていないと、逆に話は全くわからないし、本作
  の問題は、これが話の根幹になることが全く伝わってこない点です。
 ・「人格のコピーはNG」の大原則ですが、
  ・人格:人間が「その人たらしめる」(オリジナルであること)を決定づ
      けるもので、この世で唯一無二なもの
  人間では「あなたはあなただけ」が当たり前のように担保されている訳で
  すが、AIだと
  ・人格 →コピーによりこのオリジナル性がいともたやすく崩壊
  という大きな問題をはらんでいます。
  なので「AIの人間性問題」=「人格のコピーはNG」の大原則は、見識
  ある方なら「SFテンプレ」として当たり前のようにセットで頭に入って
  いる話らしいのですが、普通の方はそうではありません。
  だから「これが話の根幹となる」ということをきちんと提示する必要があ
  るのですが、その描写が最悪です。
  ・「人格のコピーはNG」の重要性の説明が雑
   → 人格が不正コピーされ犯罪に利用される等いろいろ問題があるんだよ!
     ・「AIの人間性問題」を語る上での「根幹となる大原則」である
      という重要事項であることが説明されていない
     ・この話だと後述するメインテーマに全く繋がらない
  ・登場人物
   ・父親:「何かあったらヤバイからバックアップ取っておこう♡」レベル
       の見識しかない
   ・主人公・医者:高額報酬のためなら何でもやる「倫理観0」
  こんな状況なので、「人格のコピーはNG」という大原則の重要性が全く
  頭に入らず、この部分が抜け落ちるので、後述のメインテーマで「AIの
  人間性問題」を語られても全く理解できないんですよ。

・メインテーマが全く伝わらない
 ・この辺も他の方のレビューを参考にしたり、nyaroさんに教えを乞うたりし
  て、ようやく自分なりにこういうことかなっとようやくイメージできた感じ
  ですね。
 ・メインテーマとしては
  「人格を再インストールしたヒューマノイドは果たして元のヒューマノイド
   といえるのか?」
  ということで、nyaroさんの言葉を拝借すると
  ・AIにとってはコピーの上書きは死
  ・人格の連続性の断絶
  といったテーマになるようなのですが、これのどこが問題なのかというと、 
  本作だとこの人格の再インストールや記憶欠落により
  ・娘が「これは私の知ってる(本当の)ママじゃない!」と嫌悪感を抱き、
   母親を愛せなくってしまった。
  ・母親が「人格を再インストールした私の存在って一体何?」って自分の存
   在に疑心暗鬼になり、自我が保てなくなった。
  のようなバットエンドを迎えたとすれば、イメージしやすかったのかなっと。
 ・でも本作だと
  ・上述の通り、「人格のコピーはNG」の大原則が頭に入っていないから、
   これが何故「AIの人間性問題」に繋がるのか理解できない。
   (これが頭に入っていないと仮に上述バットエンドを提示されても、何故
    そんな発想に至るのかが理解できない)
  ・問題の描写が問題提起というより、「お涙頂戴」を狙ったかのような演出
   >人間の娘は、母が以前料理に工夫を施したことが完全に抜け落ちている
    ことに涙。
    → 視聴者「そんなこと忘れたこと位で大騒ぎする話?!」
  ・主人公は金儲けのために、積極的に「人格の再インストール」を実施w
   (作中では
    ・治療直前に「フォーマットするぞ」と機械的にいい放つ。
    ・母親びっくりして「フォーマット怖い!」で再インスト―ルを中断
    ・ウイルスが進行して機能停止
    で結局本人の承諾がないまま、再インスト―ルを実行しちゃうんだよなあ)
  って視聴者をミスリードしているようにしか見えないんだが?!
  私も初見では、何が問題になっているのか全く理解できませんでした。

 という感じで、メインテーマが理解できると確かに「AIの人間性」について
 問題提起したエピソードだなって話になるのですが、構成や描写などいろいろ
 残念すぎて、最後に「娘よ、そんな事ぐらいで何で泣いてるねん?!」という
 感想しか残らないんですよね。
 これSFのリテラシーがかなり高くないと、全く理解できんやろwww
 私の理解力が低いのが問題なのかもしれませんが、もうちょっとどうにかなら
 んかったんかいなって感じですね。
 nyaroさん、いろいろとありがとうございました。

 あと本作は主人公を巡るドラマも展開しており、この主人公のドラマに絡めて
 上述のような、ヒトとAIの共存がもたらす「新たな病」をオムニバスで見せて
 いくらしいのです。

 ・主人公・須堂 光について説明
  ・自ら医院を開業しているヒューマノイド専門医の人間
  ・裏では「モッガディート」と名乗り、高額報酬で違法治療も請け負う
   「闇医者」
  ・幼少期の頃自分の治療費のために、ヒューマノイドの母親が騙され、
   「自分の人格コピーの売買」(この世界では人格コピーは違法)
    加担させられ、母親が重罪人として25年服役中。
    → 母親のコピー人格を探すことが彼の目的でもある。
  この主人公の目的も最初はよくわからなかったのですが、
  ・母親のコピー人格を探している
   → 元を絶たないと永遠に悪用される可能性があるから、闇組織から回収
     したいってこと?
  ・その調査には多額の金がいる
   → だからヤミ医者稼業で高額報酬を要求しているってことかな?
  この辺は今後の展開に期待ってことで。{/netabare}

・第2話:単純に面白くない →ヒューマノイドの必然性が感じられない
 {netabare}・第1話はSF作品としては古典的で定番といえるテーマらしいのですが、
  それだけに(出来は最悪でしたが)「AI社会へ問題提起する作品」とし
  ては成立していたのですが・・・
 ・2話を観るとこの作品は
  >この世界に何故「ヒューマノイド」が存在するのか?
  ・はじめからドラゴンやエルフが共存する世界として受け入れろ!
   → はじめから人とヒューマノイドが共存する世界として受け入れろ!
  という「(SF)ファンタジー」の世界なのかなっと。
  所謂「手塚治虫」の世界ですね。
  それならそれで「人とAIの共存する世界」のドラマを面白く描いてくれれ
  ば問題ないのですが、これが面白くないんだなあw
  ※作品の大局的な話は、数話観ないと判断しねるので、今回は2話のメイン
   エピソードについてレビュー

 (エピソード要旨)
 ・ジュンはバイオ系のヒューマノイドで陸上短距離選手。
  途中まで筋肉等も成長するので記録を伸ばせたが、以降「スペックの壁」
  があり、予め設定された上限により記録が伸ばせずに苦悩していた。
 ・そんなジュンに人間の親友マサは「諦めるな、頑張れ!」と発破をかける。
  「お前に俺の苦悩なんか分かるわけがない!!」と反発するジュン。
 ・最後はマサの応援の甲斐があって、ジュンは自己ベストを更新!

 ・率直にいえば何を見せられたのかが、よくわからない。
  ①ジュンは頑張ったが、結局スペックの壁は越えられなかった。
   → ジュンがヒューマノイドである必然性あり
   人間と同様の向上心があるもの、スペックの壁が立ちはだかることに
   絶望するヒューマノイド。
   → SF作品として成立
  ②ヒューマノイドが偏見視され、人間との間に溝がある世界
   ・マサ「ヒューマノイドがいくら頑張っても無駄なんだよ。」
   ・ジュン頑張って自己ベスト更新。
   ・マサ「ヒューマノイドもやるじゃねーか!」 
   → ジュンがヒューマノイドである必然性あり
   人間とヒューマノイドは歩み寄ることができる。   
   → ファンタジー作品として成立
  ③で本作ですが
   → ジュンがヒューマノイドである必然性がどこにあるのか?
  正直
  ・これが人間だとテンプレすぎて目新しさがないから、無理やりヒュー
   マノイドに置き替えただけでは?
  ・特に前半「車のレースと同じでマシンの性能がアップしなきゃ限界が
   ある」とかもっともらしいことを言ってたのにそれは・・・
   → 主人公「人間もヒューマノイドも怠け者だからなw」???
   結局ヒューマノイドって何なのか?
  ・(ヒューマノイド等を差し引いても)この物語を面白くみせる工夫な
    どが皆無。単純にチープで面白くない。
  あくまでも2話単体の評価になりますが、「ヒューマノイドで無理やり話
  しを成立させよう」という力業だけが目に付き、この話のどこに共感ポ
  イントがあったのかが理解できなかったですね。
 
 有体にいってしまうと
 ・本来は話を面白くするために「SFを上手く活用すべき」ところを
 ・「SF作品を作ること」自体が目的になってしまっていないか?!
 という疑念を感じる第2話でしたね。
 今後の展開でこの疑念は払しょくされるのでしょうか。

 (追 記)
 >ジュンがヒューマノイドである必然性がどこにあるのか?
 ・あえていうなら「スペックの壁」を言い訳に、ジュンは無意識に努力を怠
  っていたが、ひと皮むけた。
  → ヒューマノイドはそれだけ高度な人間性をもち、そういうAIが現れる
    とこういう自分の限界を勝手に決めてしまうこともあるという暗喩み  
    たいな?!
  それでも無理やり感があり、やはりSFとしてもファンタジーとしても面白
  さが感じられないかな。{/netabare}

・第3話:やはり作品として「世界観の提示」がないのは違和感
 {netabare}・やはり1話のレビューで書いた通り個人的には、作品として「世界観の提示」
  がないのは違和感ハンパないという印象ですね。
  ・プラメモ
   ・人間とそん色ない「ギフティア」を家族として提供するのが産業とし
    て成立。
    そして「ギフティア」には絶対的な機械寿命が設定されている世界。
    → それゆえに家族やツカサとアイラの「別れ」が心に刺さる。
  ・PSYCHO-PASS
   ・人間より高次な「シビュラシステム」が社会を管理・運用し、それが
    大多数に支持されている一見完全に見える世界
    → それゆえに常森が突きつける「『シビュラシステム』の抱える矛
      盾」が心に刺さる
  SF作品としてその世界観の中できちんと物語が成立しているのですが、
  ・で本作
   ・「存在理由が不明な」ヒューマノイドと人間が共存する世界
  なので、作品に根幹となる軸がないので、「SFっぽい思い付きの何か」を
  ただただ見せられているという印象で、どこに共感を見出せばいいのか分か
  らないんですよね。  

 ・しかも今回は、これまで散々人間とそん色のないヒューマノイドを登場させ
  ておいて、今更「ロボットに心があるのか」という超古典的なテーマを描く
  ために、心のない「産業用恋人ロボット」や「おもちゃのクマ」を出してく
  るとか、もう何でもアリかと。
  (2話の話をちゃぶ台返しするような違和感がハンパないのだが・・・)
  しかも2つの話を交互に見せながら何か仕掛けがあるのかと期待させといて、
  そこに深い意味はなかったし、話自体も特に目新しいさがあるわけでもなく
  正直どこに面白さを見出せばいいのか・・・
  (それとも深い何かを私が見落としてるのか?) 

 ・「世界観の提示がない」のは、下流で「SFについていろいろなテーマを広
  く描きたいから」下手に上流で縛りを設けることができないという感じがす
  るのですが、それだけに作品全体の歪感がハンパねーなあと。
  「この世界の人間はどこを目指しているのか」が分からないまま、とっちら
  かった問題を見せられてるような感覚がなんとも・・・
 ・こういうSF作品はこの描写からいろいろなことが読み取れるから、それを
  考察するのが楽しみ方なのかもしれませんが、レベルの低い私には向かない
  のかも。
  個人的はそれなりのレベルのモノを見せられた上での、そういう話なら納得
  ですが、2,3話を見る限りでは、下手な物語が無駄に伏線だけバラまいて、
  回収できずに丸投げで終わるみたいな、思わせぶりにそれっぽく振舞ってる、
  「雰囲気アニメ」の印象が強いですかね。
  (1話だけは1本筋が通ってるっていう納得感はありましたが)
  TaXSe33187 さんの
  >「回答不能な問いを投げかけることで自ずと高尚な立場に立ちたがる」タ
    イプの物語
  という言葉が一番しっくりくるかな。
  根本的に私とは楽しみ方のスタンスが違う作品なのかもしれません。
 
  まだ「MICHI」の話等本丸が動いていないので、その辺りで面白くなり
  手のひら返しとなるのかですかね。

 (追 記)
 >そこに深い意味はなかったし
 ・あえて3話について意味を見い出すなら
  ・完全フォーマットで顧客の秘密保持を徹底している産業用恋人ロボット
  (とはいえ、サーバーで5年間保存して復活できるというある種のリスク
   は抱えているのだがw)
  ・それに対しデータ消去が不完全なため、前の持主が特定されてしまった
   おもちゃのクマ
  話の中では美談風に描かれているが、実は対比で情報社会の闇を描いてい
  るのかなと感じたというのはあるのだが、その考察が楽しめたかといえば
  正直「??」でやっぱりイマイチ面白さが分からんかなっと。
  むしろ「逆張り的に物語を見ようとしてる自分ってどうなの?」って感じ   
  がどうも好きになれないというか・・・{/netabare}

・第4話:作画以外はアニメ作品として面白く構成されていた
 {netabare}・2,3話で何が不満だったのかというと、2話でも触れましたが
  ・本来は話を面白くするために「SFを上手く活用すべき」ところを
  ・「SF的なテーマ提起」ありきが前面にきていて、それに脚本や演出等
   が追いついておらず、単純にエピソードとして面白くなかった。
  30分の話を観て面白ければ、「コメディ」でも「テーマ提起」でも何で
  もいいのですが、「テーマ提起」したことに満足して、作品を面白くする
  という部分がおざなりなっているのか、面白いと感じられなかったんです
  よね。
 ・今回の4話はその点上手く構成され、面白くできていたかなっと。
  「4つのケース」ということで
  ・「手塚治虫」よろしく「SFファンタジー」色の強い世界観で物語を展
   開すると始めに提示。
   → 「ケース1」のリサと友達・レオンのコメディ劇がアペリティフと
      して上手く機能し、後続の今回のメインテーマに上手く誘導。
  ・それを受け「ケース2」「ケース3」もコメディ色強めながらも
   ・「ケース2」では、先日話題となった「AIアイドルグラビア」といっ
    た今らしいテーマ(AIの画像処理技術の飛躍的向上)を、未来では
    VRの世界まで拡張し、身近な問題として上手く見せてくれていた。
   ・「ケース3」では
    ・人間とそん色のないヒューマノイドとはいえ、作為的に感情を制御
     するのは(割合簡単に)可能
    ・でも人間の「心変わり」は最新技術でもどうにもなりません!!
    という対比が上手く表現されていたかなっと。
   ・これを今回「ブラックジョーク」めいたオチでみせてくれたのも、
    私の好みでしたね。1話でも触れましたが、
    ・「問題があります」→「ブラックジョーク」で顕在化
    という図式の方が受け入れやすいかなと感じました。
    (この辺も話の内容等によると思うので、上手く使い分けて欲しいと)
  ・「ケース4」のレオンが抱える、ヒューマノイドながらも「人間らしい 
   悩み」も、この流れの中でみせることで「4つのケース」の締めとして
   スンナリ落ちてきましたしね。

 ・あと前回触れた世界観の話ですが、これも話の構成の問題で
  ・主人公がナビゲーターの完全オムニバス(世にも奇妙な物語等)でやっ
   てくれるなら、その都度そこに見合う世界で話を進めてくれればいいか
   ら問題なし。
  ・また今回のような「SFファンタジー」でいきますなら、こちらも「全
   て受け入れます」の腹づもりで観るので問題なし。
  ・ですが、(私の価値観だと)本作を観てると(構成の問題か)ところど
   ころ「じゃあ、なんでわざわざ人間とそん色のヒューマノイドを作って
   共存してるの?」というのが気になってくるんですよね。
   恐らく上述した通り「テーマ提起」ありきが前面にきてるようにみえる
   からだと思うのですが。
  ・作品としては
   「SF的なテーマを提起して、後は視聴者がいろいろ考えてくれたらOK」
   という類のモノなのかもしれませんが、個人的には「テーマ提起」が前面
   に来るなら、
   「そのベースなる前提条件を提示してくれないと、いくらでも問題が捏造
    できてしまうやん?!」
    → テーマ提起の部分にこの作品としての独自の工夫をみたかった。
   という感じなのかなっと。
   (だから個人的には
    「物語を進めるために存在する」ヒューマノイドと人間が共存する世界。
    そこにはこういう問題が発生するので提起します。
    → 「そら問題発生するやろw →ただのマッチポンプやんけwww」
    に見えてしまうみたいな。)
  ・この辺りも結局アニメ作品として面白いと思える流れになれば、解消され
   る話かなっと思うのですが。

 別に「コメディ展開」だったから面白いということではなく、やはり
 「この作品をどう面白く魅せるか」
 ここがしっかりできているかどうかだと思うのですよ。
 そういう意味では今回は
 ・今まで鼻についた「SF的なテーマ提起」ありきが薄れ
  → 物語を面白くみせるためのスパイス →「名脇役」として機能
 ・全体像を崩さず、それでいてしっかりテーマ性も伝わるよう脚本等魅せ方も
  上手かったように感じた。
 面白くないから、レビューも面白く感じられない理由の粗探しっぽくなるわけ
 で、作品として面白ければそこは素直に評価したいですね。
 
 ただ作画が・・・今までのちょいちょい怪しかったですが、今回かなり酷かっ
 たですね。{/netabare}

・第5話:引き続きバランスよく物語が構成されていた
 {netabare}4話に続き「世界観」「テーマ」「魅せ方」等がちゃんと調和していて、視聴
 しやすかったかなと思います。
 ・5話は「調律」ということで、人間に極めて近い存在のヒューマノイドは
  人間と同じような悩みや問題で苦悩しますが、ヒューマノイドだからこそ
  人間とは異なるアプローチでの治療も可能な訳で・・・
  ・元アルコール依存症のダメヒューマノイド
   まず「アルコール依存症のダメヒューマノイドって何やねん?!」って
   ツッコミを入れたくなりますがそれはさておき、これについては須堂の
   大学時代の友人瀬戸が「記憶操作」というかなり強引な施術を行ってい
   ます。
   治療の効果があって真人間(?)になったものの、副作用が出ているの
   で須堂のところに通院して、2人は相対することになるのですが、瀬戸は
   瀬戸なりに自分の治療方法が最善であるという自負を持っているようです。
  ・感情の制御ができない(発達障害っぽい?)ピアノ少年
   「情動系の調律」ということで、須堂曰く
   → ようするにクランケの性格を無理やり変えちまうって話www
   慌てて相棒の医療用AI「ジェイ」がフォローw
   → 人間だと投薬や習慣改善カウンセリングで治療するが時間がかかる
   → ヒューマノイドならば情緒のメカニズムそのものを微調整し、人間
     の治療より安全かつ効果的に治療可能
   まあモノはいいようですなw
   はじめは須藤の言葉に驚きを見せていた母親も、度重なるクランケの問
   題行動に治療を受け入れる訳ですが・・・

  作中ではヒューマノイドはほぼ人間扱いされていますが、医療については
  まだまだ手探りの部分も多いという世界のようですね。
  2話で無理やりヒューマノイドで話を成立させようとしたのには辟易しまし
  たが、今回はヒューマノイドだからこそ話に面白さがあり、2つのエピソ
  ードにもきちんと狙いがあり、これも3話の展開よりはしっかり作られてる
  なという印象ですね。
  また前回は「ブラックジョーク」めいたオチで問題を健在化させていまし
  たが、今回は須堂の終始歯切れの悪い言動が、テーマに深みを持たせ上手
  い演出だと思いました。
  こうやって変な欲を出さず、「アニメ作品として面白く魅せる」というこ
  とに注力してくれれば文句はないのですがね。{/netabare}

・第6話:単話としてはよかったが、そうなるとヒューマノイドの存在意義がねえ
 {netabare}今回は「ロボット」ということで、再び産業用ロボットの登場です。
 ・Aパート:伝統工芸の技を記録するために鍛冶屋に弟子入りした「覚える君」
  Bパート:将来の介護業務に向けて人との交わりを学ぶために小学校に転校
       してきた「パーマ君」
 ・個人的には
  ・「(SF)ファンタジー」という枠組みの中で、物語を面白くすることに
   注力して、変に本格的SFを主張することなく、話の流れに違和感がない。
   それでいて、嘘(ファンタジー)の世界にひとさじの真実(SF的テーマ)
   を加えているから、物語がしっかり引き締まりバランスもよい。
   (変に押しつけがましさがなく、スッとテーマが入ってくる感じが〇)
  ・テーマも「AIの学習」ということで、今やディープラーニング等AIの
   発展と学習については密接な関係にあるわけで、そこに目を付けたテーマ
   のチョイスが現在にマッチしたものになっているのは高評価。
  ・この時代に伝統工芸というものを残したセンスだったり、パーマ君のメカ
   デザインがちょっと愛嬌のあるロボットっぽいのも遊び心があり、個人的
   にはアリかな。
  ・そしてこのような学習方法 →「それに見合うコストは大丈夫なのか?」
   産業用ロボットならではの視点もきちんと組み入れてる点は、真面目に作
   品創ってるなあって感じでこちらも高評価。
  ・そして最後は「ファンタジー」世界らしく、産業用ロボットと人間の心の
   交流や彼らの成長が人間の心にもたらすものという綺麗な形で締めくくっ
   ている。
  今回も主人公が「産業用ロボット」であるからこその面白さがちゃんと担保
  されており、物語的には尺の都合上少し駆け足気味なところはあるが、無駄
  な要素がない分視聴しやすさもあり(それに下手に深堀すると作品の全体像
  が崩れそうなので)概ねよかったかなと思います。

 ・ただね・・・こういう産業用ロボット出しちゃうと
  ・産業用ロボット
   → 役割が明確で存在意義がはっきりしている。
  ・ヒューマノイド
   → ますますこいつらの存在意義って何なの?
  って、どうしても比較してしまうわけですよ。例えば設定では
  「ヒューマノイドは全人口の1割」
  という話だったので、
  「まだヒューマノイドとの共存を模索している実験段階」
  というような話なら、こちらも受け入れようもありますが、これだけガッツ
  リ人間扱いされてると、もうそういう段階は終わってるよなっと。
  そりゃ他のレビュアーさんから、ヒューマノイドの存在が酷評されるのも当
  然だわなって感じですね。
  (しかも出てくる奴らは(物語を進めるために)そろいもそろって問題児と
   いうwww)
  こういうのって6話作ってる時に「製作陣が疑問に思わないのかなあ」って
  逆に心配になってきますねw
 ・個人的には
  ・4話以降ファンタジー色が強い路線になった。
   → 例えば「鉄腕アトム」に「アル中のロボット」が登場したとして誰も
     それを咎めたりしないだろw
   ってことで、4話以降はこちらも大人の対応として、そこに目をつぶれば
   「アニメ作品として面白い」モノになってきたので頭切り替えてますが、
   そうなると1-3話の「SFの本格的なテーマ提起してる俺スゲー」みたい
   な作りが浮いちゃってる感じですね。
 ・この辺は超高度AI「MICHI」が、人間およびヒューマノイドの世界を
  コントロールしているらしいので、そこで何か提示されて逆転劇を見せてく
  れるのかに注目ですかね。{/netabare}

・第7話:最後の演出で明暗分かれたA/Bパート
 {netabare}今回のタイトルは「人間」ということで、結構テーマ性が前面に出てきた
 ので大丈夫かと思いましたが・・・
 ・Aパート:ヒューマノイドの電脳治療
  ・「青少年育成団体の世話人」を務めるヒューマノイドの老人が、事故で
   電脳に障害を負ってしまい、以前の人間性を失ってしまった。
   専門医は超高度AI「MICHI」での治療を勧めるも、家族は拒否。
   ちょうど孫娘の歌で彼が快方に向かい、それが美談扱いに。
  ・それに「ヒューマノイドの人権団体」が異を唱える。
   「電脳を治す手段があるのに治さないのはネグレクト」だと。
   で、超高度AI「MICHI」での治療に拒絶感を示す家族に対し、
   須堂医師による治療をと白羽の矢が立ったのですが・・・
  「この浅い作り込みの世界で本格的なテーマ提起?!」と辟易しかけた
  のですがのですが・・・
  ・須堂の治療は完璧
   → 名士という表の顔とは別の裏の顔「家庭内DV」まで復元www
  いやー、いい意味でのちゃぶ台返し!!
  最後はパンチの利いた「ブラックジョーク」できっちりファンタジー世
  界で終わらせてくれました。
  特に自分の主張や信念こそ正義だとゴリ押ししてくる「ヒューマノイド
  の人権団体」の横っ面を張り倒すような描写はスカッとしましたw
  ある意味現在社会にもいるそういう団体への痛烈な皮肉だったのかも。

 ・Bバート:クレーム処理担当のヒューマノイド
  ・誠実なクレーム処理担当のヒューマノイドがモンスタークレーマーに
   「ヒューマノイドじゃ話にならん、人間の担当者を出せ!」
   と罵倒され、ストレス性の症状が体に現れる。(須堂の元を訪れる)
  ・事態を重くみた会社は重度のクレーム処理を外部の専門家にアウトソ
   ーシング。
  これも前半だけ観ると
  「ヒューマノイドで無理やり社会派的な話を作ろうとしてないか?」
  という懐疑的な見方だったのですが、このエピソードのオチは
  ・誠実(すぎる)対応を心掛けるヒューマノイド
  ・マニュアルの沿った演出で合理的に対処した人間
  という対比の構図がバッチリハマって、ここで終わっときゃいいのに
  → 「・・・あなた方は人間ですよね。」
  → 「企業秘密ですw」
  → 「確信はないですが、彼らはロボットだと思うんです。」
  なんでこんな余計なものつけちゃうかな~。
  ここの面白さはあくまで
  ・人間より人間らしい対応をしようとしたヒューマノイド
  ・(人間を出せといったクレーマーに対し)人間性を放棄して対処した
   人間
  という「人間」だから「ブラックジョーク」が冴える訳で、ここをロボ
  ットにしちゃうと、話が台無しやん!!
  それとも最後に社会派SFでも気取りたかったのか?
  正直制作陣の意図が理解できない。
  (そもそもタイトル「人間」で、最後にロボットで終わらせるってなんだよw)

  A/Bパートとも、4-6話とは少し流れが異なり結構テーマ性を前面に出し
  てきた上、そこにいろいろな要素(ヒューマノイドの人権団体など)も
  入ってきたので、込み入って視聴しにくかったのですが、これを力技の
  「ブラックジョーク」で見事にひっくり返すという爽快感が、個人的に
  はツボでしたが、最後の演出で明暗を分けたかなっと。

  あと「社会派的なSFテーマ提起」を否定する気はないですが、それを
  本格的にやるならやるで、それが面白く見えるよう作品の全体像の整合
  性をしっかり取ってくれって話ですね。
  ざっくりいうと「ガバガバなファンタジーベースの世界観」の上で、
  「社会派的なSFテーマ提起」を強く主張されても作品の構造として
  破綻してるから、無理やり感が先立ち面白さがないだろうっと。
  個人的には以前レビューした通り、この作品の最適解は
  「嘘(ファンタジー)の世界にひとさじの真実(SF的テーマ)を加える」
  あくまでも「SF的テーマ」は作品を面白くするための最高のスパイス
  として活用というバランスなのかなって感じがしますね。
  まあ面白ければ何でもいいんですが、ここまでの話を観る限り
  ・面白いエピソードは全体像が理に沿っており
  ・外れのエピソードはやはり理から外れているのかなあ
  というのが、率直な感想ですね。

(追 記)
>「確信はないですが、彼らはロボットだと思うんです。」
今思いついたのですが、これはクレーム処理担当のヒューマノイドの
・ヒューマノイドのくせに人間らしさが邪魔をして上手く割り切れない自虐ネタ
・人間のくせにあっさりと人間性を捨てた彼らへの皮肉
的な意味が込められているのか?!
だとしたら、なかなか高度な言い回しだなw
でも物語の全体像を考えると蛇足感が強く、やっぱり「ブラックジョーク」の
切れ味で締めるべきだったと感じるかな。{/netabare}

・第8話:個人的には「手塚治虫の描いた『笑うセールスマン』」という目線
 {netabare}今回のタイトルは「告白」ということで、バレンタインイベントは未来にも
 継承されてるどころか、そこにヒューマノイドまで乗っかっているというw
 ・4話で明らかになったレオンが抱くリサへの想いに苦悩し、須堂の元に
  「恋愛感情を消去してほしい」
  っていう話ですが、
  ・ヒューマノイドだからこその対応ではありますが、この手の感情コント
   ロールの話は5話の「調律」等で何度もやっているので今更。
  ・「女性が女性を好きになる」これもこの作品でなくても、巷には百合作
   品等で溢れている。
   (他作品ではこれをメインでやるわけだから、本作では勝負にならない)
  ・で、この組み合わせでの面白さがあるのかといえば、リサ等の説得によ
   り予定調和のオチで何の面白さも感じられない。
   → 本作独自の面白さを出すには施術するしかないが、さすがに今回は
     製作陣も良心が痛み、視聴者側も引くだろうっと。
  「感情が簡単にコントロールできてしまう」というガバガバ設定に乗って、
  ヒューマノイドで無理やり話を作りましたって感じが前面に出てて、ネタ
  切れ感がハンパないですね。
 ・この回唯一の救いは、リサからの手作りチョコレートケーキを貰って食し
  た須堂の感想
  「上手いまずいでいえばロボットに作らせればいい。でもリサが一生懸命
   作ったというストーリーはロボットに作れない。」
  浅いテーマ提起かと思いきや、「で、味はどうでした?」と迫るリサに
  → リピートで返答www
  まさかの笑いに使ってきたのは、一本取られたなっと。

 個人的には4話以降はある意味
 「手塚治虫の描いた『笑うセールスマン』」
 という捉え方をしていて、そう考えるとこのガバガバな世界観もまあ笑って
 許せるかなっと。でも締めは上手く魅せてくれよと。
 今回のように予定調和の小綺麗なオチでは、どこに面白さを見い出せと?!
 というのが率直な感想ですね。{/netabare}

・第9話:だんだんネタ切れ感が否めない
 {netabare}今回は「正しい社会」ということで
 ・「不健全」と思われるアニメを作ってるクリエイター
 ・AIを拒否して人の指導による公平を目指した小学校に採用された教師
 が主役で、テーマ的には
 ・AI社会における人間性や倫理観とは何か
  (正しさを追求し、「悪」を切り捨てる社会は果たして「善」なのか等)
 っぽいのですが・・・

 正直何を見せられたのかが理解できない。
 ・世界観との整合性がとれていない
  前提として、AIを推進し過ぎた結果そういう価値観が主流となった世界観
  というものが提示された上で、今回のテーマが展開されたならまだ説得性
  があるのだが、そういう世界観は皆無。
  なので観ていて
  「それってあなたの思い付きですよね」  
  って感じで、「ただそれっぽいことを言って高尚に見せかけたいの?」と
  いう薄っぺら感が強い。いろいろ詰め込み感も凄いですし。
  で、今回の主役2人が共に人間じゃなくヒューマノイドって点も
  「えっ、人間性について考えてるのは人間じゃないんかい!!
   この作品で何をやりたいんや?!」
  ってのに拍車をかけてるというwww
 ・そもそもAI関係ないやろ
  個人的には未来の話というより
  ・BPOへの過剰なクレーム等で、どんどん規制がかかり面白さがなくな
   ってきたアニメ作品
  ・ゆとり教育導入で「みんなが一等賞」的な歪だった平等性
  等むしろ現在社会で起こっている問題への風刺という感じがして、そこへ
  「AIガー」っていうと「人間性とは?」でそれっぽくみえるやんって無理
  やりくっつけた感が凄く、やはり浅い作品かなって印象が拭えないですね。

 ここ2話位はネタ切れがハンパなく、以前書いたように
 ・本来は話を面白くするために「SFを上手く活用すべき」ところを
 ・「SF作品を作ること」自体が目的になってしまっていないか?!
 に逆戻りしてるやんって感じがしますね。何か
 「『AIガー』で人間性がとかそれっぽいことを言っておけば『SF的なテーマ
  提起した』考察しがいのある奥の深い作品として、視聴者が満足するやろ」
 みたいな。
 個人的にはガバガバで「これがSF作品?」って言われていても
 「手塚治虫の描いた『笑うセールスマン』」
 的な以前の路線の方が味があって好みですかね。{/netabare}

・第10話:「女子無駄」→「今から凄いこと言っていい?」との違いは?
 {netabare}今回のタイトルは「来るべき世界」。
 ・今更ですが・・・
  本作は他の方のレビューにもあるように、ストーリーを楽しむというより
  「大喜利」的な提示されたお題について、アレコレ考察を楽しむ作品。
 ・「AIと人間の共存」というSF的なテーマを扱いつつも、
  「AIの進歩によってもたらされる未来像」
  というよりも、そのフィルターを通して
  「『では人間とは?』という今一度人間自体のありよう的ものを問う」
  みたいな? 結構哲学的要素の強い作品だったのかなあ~と。

 ただ個人的には「アニメ作品」として面白いかどうかが先に気になるわけで
 ・・・上述の「テーマ提起」というスタイルが面白くないというより、やっ
 ぱり見せ方が合わないのかなあっと。
 ・上流の作り込みがないガバガバの世界観なので、どうしても「提起できる
  テーマ」が即興で出せるレベルの踏み込みの浅いケーススタデイ的なものに。
 ・個人的には交通安全のKYT(危険予知訓練トレーニング)っぽい
  「これからあなたの運転する車が交差点に進入します、予想される危険は?」
  的なものを見せられているという感覚なんですよね。
 ・それに何というか文字通り「『大喜利』のお題を上げました」だけみたいな?!
  例えば今回だと
  「超高度AIによって維持管理され(飼いならされて)停滞してしまっている
   人間社会」
  的なテーマが提起されますが、それを構成の方で上手く演出して見せてくれ
  てるなら納得ですが、あるヒューマノイドがそう叫んだから
  「そのテーマで確定!」
  みたいなw(何か言ったもん勝ちみたいな?!)
  個人的には「ただの『Aさんのケース』というだけやん」という否定が先に
  きて、それ以上話が入ってこないんですよね。
 ・これを30分枠アニメで見せる意味って。
  それこそこのレベルのテーマ提起だけでいいなら、YOUTUBEでアップされて
  るようなショートアニメでもええやろっと。
  そこにそれっぽい語りをいろいろねじ込んだり、須堂やリサの話を入れたり
  して1話のエピソードにしてるが、「点」の詰め込み感が否めず物語の歪さ
  が目立ち面白さが感じられない。
 ・しかも(今回はマシでしたが)ここ数話はもう
  「『自称』ヒューマノイドを出したからSF作品ですよ」
  というやっつけ感が凄い。何度か指摘してますが
  「『SF作品を作ること』自体が目的になってしまっていないか?!」

 極論でいうと
 ・「女子無駄」のアバンタイトルでの「バカ」のお約束
  → 「今から凄いこと言っていい?」
 ・本作「今から凄い知的なことをいっていい?(AIガー、人間性ガ―)」
  正直大差がないのかなあっと。
  今回は特にそれを感じてしまいましたね。

 受信感度の高い方ならこれで十分楽しめるのかもしれませんが、鈍感な私には
 作りのまずさの方が先に目に付いてしまい、折角の哲学的要素も楽しむことが
 できないようです。
 個人的にはやはり4-7話のような
 「嘘(ファンタジー)の世界にひとさじの真実(SF的テーマ)を加える」
 ような構成のバランスのよさとか、ブラックジョークの切れとか、そちらの方
 に面白さを見出してるという感じですね。

 あとは物語も終わりを見据え「MICHI×須堂」も実現しそうなので、それ
 だけは見届けようかと。{/netabare}

 (2023/9/17追記)
 >やっぱり見せ方が合わないのかなあっと。(一番のひっかかり)
 {netabare}「アニメ作品」である以上、例えば同じ言葉やセリフでも
 (世界観といえば大袈裟ですが、まあ作品のもつ空気感や雰囲気ですね。
  それに演出といえば、タイミングやシチュ・キャラ描写にそれまでの流れ
  だったりと)
 その言葉やセリフが映える「環境作り」が出来ているかどうかで
 ・それがピタリとハマり、心に響く。
 ・その言葉やセリフの上滑り、空回りを感じてしまう等。
 と、受け取るこちらの印象もガラリと変わるわけで・・・
 本作はどうもその部分を軽視しすぎでは?と感じてしまうんですよね。

 で、その一番の要因がやはり「ヒューマノイドの扱い」で
 ・彼らもつ高度な「人間性」
 ・とはいえ人間とは異なる「機械性」
 この2面性を合わせ持つ特異な存在であるというところまではいいんですよ。
 問題はこの2面性が
 ・作品を面白く見せる方向に上手く活用されているのか
 ・それとも製作者都合のためにガバガバな「便利屋」運用されていないか
 って話で、ここで致命的にやらかしてちゃっているのかなあっと。

 >「大喜利」的な提示されたお題について、アレコレ考察を楽しむ作品。
 作品の主旨からすれば、テーマ提起さえできればOKなのかもしれませんが、
 そのやり方が
 「そういう言葉を並べたから、しっかりテーマ提起できている深い作品」
 は、ちょっと違うだろうと。
 「テーマ提起」の前にまずは「アニメ作品」であるわけですから、その部分
 で違和感を覚えてしまう仕事ぶりはどうなの?
 と、個人的には感じてしまうんですよね。{/netabare}

・第11話:須堂の物語がよくわからなかった →次回で解明されるのか
 {netabare}今回のタイトルは「トゥー・フィー」
 ・「トゥー・フィー」はリサの妹の名で、その正体は離婚した父親がリサ
  の「人格コピー」をインプットしたリサの代用品のような存在で、彼女
  は父親を殺した後、リサに成り代わるためにリサに近づいたようですが、
  実行できずに逮捕されました。
 ・一方須堂の方にも大きな動きがあり、「MICHIの大規模改修計画」
  の審査会に須堂を引きずり出すための交渉材料はやはり、
  「母親の人格コピーの情報」
  ということで、交渉は成立した模様で、そのヒューマノイドが海外にい
  るらしく、会いに行くためにリサに別れを告げて終わるという・・・

 今更感もありますが、ある意味1話の「バックアップ」の回収的な部分も
 あり、1話の締めよりはこちらの方がその問題性がわかりやすく提示され
 たのはよかったと思います。
 リサの掘り下げ回という流れにも上手くマッチしていましたし。
 (まあこちらも今更感がありますがw)
 ただ須堂の方は少しわかりにくかったかな。
 ・須堂が探していたのは、「元となる人格のバックアップデータ」だと解
  釈していたのですが・・・
  (元を絶たないとイタチごっこになるだけでは?)
  → その人物に会うことで、そこにたどり着く手がかりとなるかもって
    ことなのか?
    でもその者にとって一番いい道を探したいとも言ってたしな。
    (そもそもMICHIならば、そちらを探し出すことも可能な感じ
     がするのだが)
 ・海外へいくということは、「MICHIの大規模改修計画」の審査会は
  終わったという解釈でいいのか。
  → 「MICHI×須堂」は本作の一番の見どころっぽいのですが、来
    週やってくれるのか?
    (単純に情報を先に受け取り決意しただけで、これから審議会が始
     まるってことなのか?)

 次回で終わりのようですが、「MICHI×須堂」位はそれなりに見せて
 欲しいところですね。
 (やってくれるんかは知らんけどw){/netabare}

・第12話:全部ぶん投げて終わりやがったwww
 {netabare}今回のタイトルは「旅立ち」。
 須堂が母親の人格がコピーされたヒューマノイドを探しにいくまでの物語
 を描いていましたが
 ・「須堂新医院」は5話で登場した瀬戸に譲渡。
  → 看護師のリサもそこで継続雇用。
 ・リサとも最後に和解して、リサも送り出すことを了承。
 となりましたが、
 ・どうも「MICHIの大規模改修計画」の審査会は始まっていないっぽい。
  → え―――っ、思わせぶりに引っ張っておいて結局何もなしですか?!
 ・母親の人格がコピーされたヒューマノイド捜索もこれからだ!END。
  → まあこれは仕方のない部分もあるが、作中でこちらのコピーの方も皆
    「須堂の母親扱い」にしている点が気になった。
    今の私の感覚だと「ただのコピーロボットやん」というところですが、
    この世界だと母親の人格を有する以上「収監されている母親」と同格
    扱いなんでしょうか。
    この辺の価値観はかなり興味深いですね。
 ・この人格のコピーについては1話で涙した娘も出てきて、ヒューマノイド
  がほぼ完全に人間扱いされている世界だと、そういう価値観になるのかと。
  須堂との会話を含め、この作品らしい世界観が提示されてるようでそこは
  よかったのでは。
  こういうところを初めから丁寧にとやってくれればよかったのですが。
 しかし「MICHI×須堂」は最後に見せて欲しかったが、これまでぶん投
 げで終わるとは・・・{/netabare}

(最 終)
締めの言葉として、須堂のモノローグ
「ある学者がいった。人間は終わりなき進歩の奴隷であり、AIこそが人間を解
 放する。~中略~ 人間の望みとは何なのか?」
もっともらしい言葉ですが、
・そのAI/ヒューマノイドがアルコール依存症や家庭内DV等問題児ばかりで、
 進歩とは程遠い存在に感じたのは私だけ?
 (別の意味で人間らしく進化してる部分はあるがwwwそれが人間の望み?!)
・そもそも「人間らしい悩み」を抱えていたのはヒューマノイドばかりで、人
 間なんてほとんど描いてなかったやんw
 (で、最後の語りで「(昔ながらの)人間」をやたら強調しているというw)
>・「AIと人間の共存」というSF的なテーマを扱いつつも、
  「AIの進歩によってもたらされる未来像」
  というよりも、そのフィルターを通して
  「『では人間とは?』という今一度人間自体のありよう的ものを問う」
  みたいな? 結構哲学的要素の強い作品だったのかなあ~と。
まあそんな悩み多きヒューマノイドを通して、「人間とは何か」今一度考えよ
うってことなんでしょう。

本作について言いたいことは、10話のレビュー(+追記)でほぼ書いたので、
そこは省略しますが、11.12話で1話「バックアップ」について面白い見せ方を
しているのを観ると、浅いお題だけ上げて終わりみたいな各エピソード構成は
いささか残念であったかなっと。
(個人的には4-7話の
 「嘘(ファンタジー)の世界にひとさじの真実(SF的テーマ)を加える」
 みたいな作風はよかったと思うのですが)

ただ他のレビュアーさんがおっしゃっていたように
「このご時世に少年週刊誌で、このようなSF作品が連載されている奇跡。」
というのは、かなり的を得たご意見でこれには大いに納得させられました。
そういう意味では、こんな作品がアニメ化までされたのは評価できるのかも。
まあ面白かったかどうかは、また別問題ですがw

投稿 : 2023/09/30
閲覧 : 623
サンキュー:

20

JTcLr67882 さんの感想・評価

★★☆☆☆ 2.0
物語 : 2.0 作画 : 2.0 声優 : 2.0 音楽 : 2.0 キャラ : 2.0 状態:途中で断念した

展開が単調

人間なのかAiなのかわからない、最初は目で判断してましたが、それもごちゃまぜになってます

投稿 : 2023/09/19
閲覧 : 57
サンキュー:

0

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AIの遺電子のストーリー・あらすじ

これは、私たちの未来の物語――。 21世紀に始まったAIの圧倒的な進歩は、社会の発展に寄与する一方、高い知性を持つ機械を道具として使う是非を、人類に突きつけた。 そして22世紀後半。人々は「産業AI」とは別格の存在として、人権を持った「ヒューマノイド」を当たり前に受け入れ、共に暮らしている。 須堂光は、ヒューマノイドを治す新医科の医者として、ヒトとAIの共存がもたらす「新たな病」に向き合っていく。 時に、裏の顔も使いながら……。(TVアニメ動画『AIの遺電子』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
TVアニメ動画
放送時期
2023年夏アニメ

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