薄雪草 さんの感想・評価
3.9
物語 : 5.0
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 3.5
キャラ : 3.5
状態:観終わった
嘘から出た実(まこと)
私は、"君愛" を先、本作 "僕愛" を後に観ました。
まず、"僕愛" の主人公は、暦というより和音だろうと感じました。
嘘から出た実(まこと)という諺がありますが、高校生の和音は暦への傾倒を「ここから85離れた世界線からやってきた。そこでは私たちは恋人同士だった。」と大噓をつき、そのあとも放置プレイと徹底したツンデレぶり。
でも、間違いなくそれは "僕愛" の燃料・推進力になっていたと思います。
和音の人を食ったような乙女心の打ち明け方は、キャラ立ちとして意外性を感じましたし、ストーリーライン的にも、視聴者に別の世界線を信じこませる心憎い演出でした。
でも、当の和音にしてみれば、暦への執心に未来の可能性を含めていたようでしたし、嘘でもつかなければ、嘘をついてでもいいからと、覚悟を決めての手合いだったのかも知れません。
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"僕愛" の和音は、結果的には暦の妻としての生涯を全うするのですが、物語の終盤、 "君愛" の和音からの衝撃的な告白に直面し、ある悩みを抱え込むことになります。
それは "君愛" の世界線では暦の伴侶にはなれなかった和音の人生への深慮であり、"君愛“ の暦がついた嘘に対する "僕愛" の暦が抱えていた(かも知れない)約束への対処です。
"僕愛" の和音と "君愛" の和音は、言わばそれぞれの世界線でパラレル&タイムシフトの研究に生涯を捧げた同志同門。
真理探究というマインドに問いかけられるテーマ(それは何に使われるべきか)を共有しうる立場にあります。
平行世界を見渡せば、暦と結婚できた "僕愛" の和音と、ついに結婚できなかった "君愛" の和音が同時に存在していて、帰一する着地点には暦と栞の悲恋のストーリーが存在しています。
"君愛" の和音は、研究対象としての虚質の栞を、いったいどんな感情で受け止めてきたのか。
"僕愛" の和音は、プライベートな案件としてどこかに実存する栞を、いかなる心情で受け入れるのか。
二つのシナリオに触れあう覚悟を共有し合うのです。
"僕愛" の和音の人生に割り込んでくる "君愛" の和音、暦、栞の世界線。
それは無意識が意識化され、二律背反しながら同化も促される並行世界の虚質の実相。
これこそが本作設定のコアを成すアイディアであると私は思いましたし、鑑賞のガイドマップになりました。
結果として、"君愛" の和音は、ぼんやりと目に映る "君愛" の幽霊の栞に対しては節義を重んじます。
"僕愛" の和音は、縁もゆかりもない "僕愛" の年老いた栞に対しての律儀を通すのです。
そこには、それぞれの暦に対する、それぞれの和音の深い慈愛が描かれてあったように私は思いました。
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終盤、"僕愛" の世界線の暦が、"君愛" の世界線の栞と瞬間的に出会う場面が描かれ、そののち "僕愛" の栞と言葉を交わすおだやかなシーンが描かれます。
つまり、両者が見ず知らずの、出会いがしらの者として邂逅するシチュエーションです。
暦にしてみれば、「必ず迎えに来る」という嘘の約束が真になったわけですし、栞の立場で言えば「名乗るほどの者でもない」とのジョークが真になったというギミックです。
それはそれで面白いフックなのですが、個人的には栞が暦の名を尋ねたときの暦の答えの方にグッと引き寄せられました。
栞は、暦の姓を {netabare} "日高" {/netabare}として理解していますが、暦が口にしたのは {netabare} "高崎" {/netabare}だったからです。
"僕愛" で世界線を違えた2人には、"君愛" での約束を思い出すことはもちろん、思いつくこともさらさら無理だったわけです。
それを承知としても、"君愛" の暦と栞が望んだ、両親が離婚しないという世界線の選択が、"僕愛" の暦と栞が全くの他人としてすれ違いする切なさに帰結するという因果応報には、得も言われぬ感傷が押し寄せました。
何よりも、栞の {netabare} 薬指には、リングはありませんでした。{/netabare}
そんな栞は「私は十分に幸せな人生を送りました。」と暦に話し、暦は和音に「幸せな人生を送ったと言う女性に出会い、僕もそれを心から喜べる。」と語ります。そして「そう思えるのは和音がいてくれたからだ。」と言うのです。
そんな彼を受け止める和音の心意気も素敵に感じられて、物語としてしっかりと筋が通り、完成しているように思いました。
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ところで、"僕愛" の和音に描かれたファクターは、結婚、子ども、孫という家族の姿、そして穏やかな老後と、思わぬ横道でした。
横道・・。
"僕愛" の和音は、子どもを巡って、法を犯してまでオプショナルシフト(世界線を意図的に選ぶ技術)を行使します。
そんな彼女の判断と行為に、私は難しい感情を抱きました。
また、"僕愛" の和音がそうであったように、"君愛" の和音もまたオプショナルシフトを活用して、暦と栞の関係性を手紙という形で "僕愛" の和音に明示し、"君愛" の「二人の約束」を "僕愛" の世界線で成就させてやってほしいと依願しています。
これらは それぞれの和音らしいスタンドプレーぶりであると同時に、しかし重大な禁忌行為(第三者による時空への干渉)でもあり、科学者としてのモラルハザードと、パートナーシップとしてのやむに止まれぬ想いの衝突とが、シビアに表現されてあったと思います。
"僕愛" の暦は、それぞれの和音の思いも、"君愛" の栞の存在も知らないままに、しかし、"君愛" の栞への約束をついに果たすことになります。
「あの人が幸せなら、僕も幸せだ。」
それは "僕愛" 、"君愛" に関わらず、「僕が愛したすべての(平行世界の)君へ」への確固たる暦のスタンス。
その言葉は、時代を切り開いた気鋭の科学者として、あらゆる平行世界に、あまねく知らしめる高らかな宣誓だったと受け止めています。
そして、暦に長年寄り添ってきた "君愛" の和音と "僕愛" の和音のそれぞれのスピリットの協調があればこそ、暦の人生は(そしてそれぞれの和音の人生も)、大団円を迎えられたのだろうと思います。
平行世界にはさまざまな和音がいて、心の弱さも強さも、人生の揺らぎも確立もあったと推察できます。
そんな彼女の、科学者として真理を探求する姿勢、パートナーとしての心理を定める態度が、"僕愛" の味わいとしての真骨頂であり、汲み取るべきテーマではないかと思いました。
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最後に、パラレルシフト、オプショナルシフトの怖さについてひと言。
「誰にでも起こりうる、ちょっとした虚質のずれ。」
本作ではごく自然に語られる言い回しですが、ふつうに勘違いや記憶違い、物忘れなどと同じく括られているのは、ちょっと怖いなと思いました。
なぜって、そんなのは日常的な暮らしに自覚できるシチュエーションなわけで、それを平行世界の根拠にしたり、虚質(意識)の移行だとかと設定するなら、いうなら毎日?のように体感しているわけですね。
オプショナルシフトに至れば、自分の知らないうちに、ピンポイントで "ほかの平行世界の自分の虚質=意識" が肉体に入り込んできて、例えば恣意的な理由で結婚相手を決めたりできてしまうわけです。
反面、その時の、元の自分の虚質(意識)は、どの時代の、どんな境遇の、もう一人の自分の肉体に宿っているかなんて想像すると、思わず冷や汗が流れる気分です。
この技術は、ド〇え〇んでもパトロール隊の監視がつきものの世界観に似ています。(肉体自体がさまざまな時空間にシフトするので、本作以上に超次元的な技術。パラレルシフトは時間移動はせず空間移動のみのようです。)
にもかかわらず、開発者自ら( それぞれの和音)が、個人的な思惑でその禁忌を犯してしまうとは・・。
先に "君愛" のエピソードを知っていたおかげで、"僕愛" の和音の葛藤や心情などがいくらか理解でき、どうにか共感も持てましたが、科学者の倫理観と、社会一般のそれとの整合性や合理性といった観点の落としどころについては、なんともかんとも後味がビターテイストというか、複雑な味わいでした。
後日、原作も読みましたが、いくつかのエピソードが盛り込まれてあったり、逆に大事な情報が表現されていなかったり、アニメ版とは違う箇所がいくつかありました。
私は、それらもパラレルシフトにみられる可能性の一つのものとして受け止め、おまけ感覚で楽しむことができました。
ちなみに(2原作×2アニメ)×3周で、ようやく全体像を把握できました。
ついでに言うと、私はアニメ版のほうが好きでした。
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思い付きで "僕愛"、"君愛" と使い分けてみたのですが、ずいぶんと読み取り取りにくかったかと思います。
その点は、私の文才のなさです(汗)。
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