ひろたん さんの感想・評価
4.3
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.5
音楽 : 4.0
キャラ : 4.5
状態:観終わった
夢はパンドラ、ほら開けたくなる~、パリピもパンピもみんなでチキチキバンバンでゴーゴー
最近は、アニソンばかり聴いています。
アニメの影響、絶大ですね。
でも、その前は、結構、EDMを聴いていました。
この物語では、主人公「英子」が世界最大規模のEDMフェスに出場するのが夢です。
私は、EDMフェスには行ったことはありません。
でも、いつかは行ってみたいと思っていました。
今年は、「ULTRA JAPAN」があります。
でも、雰囲気が分からないからちょっと怖いなぁって躊躇していました。
でも、この作品を観終わった直後にチケットをポチってしてしまいました。
アニメのチカラ、恐るべし。
フェスに行き慣れている人にとっては、なんてことないなのかもしれませんが・・・。
でも、初めての私にとっては、やっぱり勇気がいるんです。
この作品は、そんなささやかな夢に対しても背中を押してくれました。
■「夢はパンドラ、ほら開けたくなる~」
{netabare}
物語の中で、英子が何度か越えなければいけない一線を踏み越えるシーンがあります。
決断と言うやつです。
英子にとって、その線は、今まで踏み越えたことがない線。
でも、夢は、その先にしかない。
だったら、その線は踏み越えるしかない。
ここで逃げたら、夢のまた夢。
必要なのは、勇気と勢い。
踏み越えたら、後は、なるようになる。
そんなの分かっているけど・・・。
でも、普通の人は、なかなか踏み越えられず、その手前で立ち止まってしまう。
その一線を越えたら、もう後には戻れないかもしれない。
もうやり直しもきかないかもしれない。
夢が壊れる現実を見せつけられるかもしれない。
夢を夢のままにしておけば、壊れるところを見ることもないのに。
綺麗な夢のままなのに。
そう思って、引き返してしまう。
そして、いつしか、その線の前まで来たことすらも忘れてしまう。
きっと、大きな夢をつかもうとする人の前には想像を絶する一線があるのでしょうね。
でも、それを実際に踏み越えられる人は、いったいどれだけいるのでしょう・・・。
この物語で面白いのは、そんな大きな決断の前には小さな選択がいくつもあること。
その小さな選択の連続の先にチャンスが訪れただけのこと。
日頃から夢に近づく選択をしてきているのなら、その決断に迷うことはありません。
英子は、鳴かず飛ばずですが、夢に向かってできることはしてきていました。
逆にチャンスの時に決断に迷う人は、日ごろの選択が曖昧なのかもしれませんね。
そんなことをこの物語を観ながら思いました。
「夢」は、パンドラです。
みんな開けてみたいんです。
でも、本気でそれを開けようと思っているのかどうかと言うことなんでしょうね。
{/netabare}
■OP曲「チキチキバンバン」
{netabare}
どこか懐かしい感じがするアレンジで耳に残ります。
ハンガリー語の原曲に対して、空耳になるように日本語の歌詞を付けた曲だそうです。
でも、意外とその歌詞が侮れない。
「夢はパンドラ ほら開けたくなる~」
→ そう、その通り!早く開けたい、でも、怖い。
「今夜フジヤマ 登らにゃわからな~い」
→ やってみなきゃわからない、そんなの、分かっている・・・、だけどね、
「いつも 理性はどうして 臆病がちで」
→ そう、問題は、これ!
「前だけ向いてりゃ 良いでしょ?」
→ そうだよね、なに臆病にあっているんだろう、私・・・。
「明日が来るけど 機嫌はどうだい?」
→ おっ、なんか元気出てきたよ、大丈夫。
「ほらほら 次回にスポット当てんな」
→ うん、分かった!もう一度、挑戦してみる!!
と言う感じで、前向きになれる歌詞だと思います。
{/netabare}
■背中を押してくれる存在
{netabare}
その一線を越えるか越えないかは、最後は、自分の意志なんですが・・・。
でも、この物語には、その背中を押してくれる存在が登場します。
それは、もちろん「孔明」ですが・・・。
実は、孔明だけではなく、まわりのみんなもだなって、しみじみ思いました。
いいなぁと思いました。
羨ましいなぁと思いました。
でも、この作品は、私の背中も押してくれたんですよね。
この作品を観ていなかったら、私は、新しい景色を見ることはなかったかも。
人だけではなく、歌でも、アニメでも、本でも、なんでも。
なにかしら自分の背中を押してくれる存在って嬉しいですし、大切ですよね。
{/netabare}
■出会ってしまった本の中の偉人が自分とともに行動してくれる感覚
{netabare}
この物語の孔明は、どう言う結末を迎えるのかは分かりません。
最後は、消えてなくなる夢のような儚い存在だったらと思うとちょっと心配です。
過去の偉人を始め、本の中だけでしか出会えない人がいます。
人生の中で、そのうち何人かは自分にとって衝撃的な出会いをすることがあります。
そして、その人に魅了されたのなら、その人が目の前に現れたように思えます。
本を持っているだけで、その人がまるでいつも自分のすぐ横にいてくれるようです。
その人(本)は、今の自分に対して「こうしなさい」とは言いません。
実際は、自分で解釈し行動するだけのことです。
それでも、その人(本)が自分の背中を押してくれているような感覚になれます。
この物語の孔明も実はそんな感じです。
決して英子に「こうしなさい」とは言いません。
「お助けします」と言うだけです。
何をやるべきかを考え、理解し、納得して、最後に実行に移すのは、英子自身です。
孔明は、そのきっかけを与えてくれるにすぎません。
でも、英子は、いつも孔明がそばにいて、信じてくれているから頑張れました。
出会ってしまった本の中の偉人が自分とともに行動してくれている。
この物語では、そんな感覚をファンタジーとして描いてくれました。
{/netabare}
■まとめ
「パリピ」+「孔明」・・・、これは、キワモノ?さわっちゃいけないやつ?
最初、そう思いましたが、意外と王道な「DREAMER」コメディでした。
面白かったです。
なお、「DREAMER」とは、英子が物語の中で作詞作曲した曲です。
ちなみに私は、「パンピ」。(言葉の使い方あってます?)
そんな私の夢は、所詮、些細な夢。
今は、ただそれだけ。
でも、何もしなければ、いつか、きっと、後悔するのは分かってる・・・。
そんな臆病な自分の背中を押してくれる、そんなアニメが私は好きです。
この作品は、パリピもパンピもみんなで一緒にチキチキバンバンでゴーゴーでした。
ところで、チキチキバンバンとは、ミュージカルに登場する車の名前です。
歌詞によると、「夢おいかけて 空へはばたく 世界一のくるま」のことだそうです。
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