当サイトはアリフィエイト広告を利用しています

「平家物語(TVアニメ動画)」

総合得点
77.6
感想・評価
356
棚に入れた
1113
ランキング
613
★★★★☆ 3.9 (356)
物語
3.9
作画
3.9
声優
4.0
音楽
3.8
キャラ
3.8

U-NEXTとは?(31日間無料トライアル)

レビューを絞り込む
☆の総合評価
文字数
サンキュー数
視聴状況
表示形式
キーワード
この条件で絞り込む

平家物語の感想・評価はどうでしたか?

ネタバレ

毛玉 さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.8
物語 : 2.5 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 2.5 状態:観終わった

平家にあらざれば人にあらず

(なんだこの高畑勲を意識したような無駄に盛り沢山な要素は)
と気持ち悪く思いながら観た
森見作品の匂いもする
テンポや演出、椿の落ち方とか
ざっくりと淡々に描き
最後は“語ろうぞ”
どうもおかしい
女の“感情”で歴史改変的な
狸に化かされてんじゃないのか
取り敢えず涙腺叩いて泣かせてくるのは毎度お馴染み

観終えて調べると高畑勲が短編作ろうとしてて亡くなった事
制作が森見の夜は短し歩けよ乙女を作ってた所と判明

(高畑氏の短編と言われて、制作を初めても一本の映画に何年も掛けて粘って持って行きそうな恐ろしさを感じたが)

こんな話があるのでは意識して作らざるを得ないだろうなと感じた
高畑氏ではなし得ない、決まったコストでこれを作るということ
期待値が高まり過ぎた物をとにかく終わらせること
だからこその誰もが期待する制作スタッフ(山田氏、吉田氏等)
兎に角、終わらせる事だったろうと

高畑氏を追い続けたからこそアニメ離れが進んだ私でも、高畑氏の描いた世界を拝見したかった、と少なからず思う


頭を過ったワード

たぬき
かぐや
森見
寂光院のしば漬け
天台
澁澤
1番言いたい事は一番最初に
1話タイトル
「平家にあらざれば人にあらず」

投稿 : 2022/08/13
閲覧 : 120
サンキュー:

3

えたんだーる さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

平曲(語り本)としての平家物語のPV、みたいな…?

観終わってだいぶん経つけどようやくレビューを書く時間ができ始めたのでいまさらのレビューです。

とりあえず「平家物語」や「太平記」みたいな軍記物語は、それ自体が大衆娯楽としても伝承されている物であって必ずしも史実が書かれているわけではありません。そういう意味では「小説」あるいはテレビの「大河ドラマ」みたいな物だと思った方が良いですよね。

なので、大河ドラマがそうであるように史料に現れない人物(本作だとびわ」)が都合よくいろいろな場面に居合わせることにツッコむのはナンセンスなのかなと思います。

原作の「平家物語」自体が、それぞれの場面が臨場感たっぷりに琵琶法師が語るけど「それ、おまえ全部見たんかい」という物なわけです。史実にないことも載っているかもしれません。史書としての「三国志」と小説としての「三国志演義」みたいなもんですね。
(まあ「三国志」も書いてあること全部ホンマか知らんけど。)

といった辺りを踏まえて「平家物語」の魅力の一つに「琵琶での弾き語り」というものがあって、そこを悠木碧さんが情感たっぷりに上手に謡ってくれるのが本作の大きな魅力だと思います。

逆にストーリーについては原作の手堅さはあっても「めっちゃ面白い」っていう感じでもないだろうということで評点は4にとどまっていますが、映像作品として出来は間違いなく良い方だと思います。
(Blu-rayの特典が平曲11曲のCDっていうのは凄く良くわかってると思う。)

でも、「つまらん」とか「観たくない」って人は間違いなくいるだろうなって感じですよね。

余談: 天皇、上皇が生きている間も謚(おくりな)で呼ばれるのはすごく気持ち悪かったんですけど、人物名のわかりやすさ優先だったんですかね…。

投稿 : 2022/08/01
閲覧 : 355
サンキュー:

35

ネタバレ

マーティ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

祇園精舎の鐘の声

 全11話。原作は一部既読。といってもあれです。中学・高校の古典の授業で読んだものです。

 びわが平家の平重盛から拾われ、主にびわ視点で語り継がれる物語。前半は仲良くなった重盛の子たちや徳子などとの交流、そして平家が栄えていく様子が映し出されていました。

 しかし、重盛や平清盛の死あたりだったと思います。そこから少しずつ平家が崩れていきます。それがなんと切ない・・・。滅亡の一途をたどる中、身投げする人もいました。びわの周りで生き残ったのは徳子だけっていうね。。このあたりの感覚はわからないですね。「生きてたらそのうち良いことあるよ!」が通じない時代だったんでしょうか…

 ところで源氏の様子も少しありましたね。源義経とか弁慶などは想像通りでしたが、一番ギャップを感じたのは頼朝ですね。そんな頼りないキャラなの?とは思いました。妻の北条政子はしっかりしてたのにね。あれはあれでインパクトはありました。

 演出とか光の使い方とかが京アニっぽい感じがしましたが、監督は吉田玲子さんだったんですね。演出はすごく好きでした。

 ただ1クールしかないので、とばしとばしになっていたところはありました。1.5~2クールくらい、もうちょっと尺は必要だったのかも?

 これにて感想を終わります。ここまで読んでくださりありがとうございました。

投稿 : 2022/07/23
閲覧 : 288
サンキュー:

36

ネタバレ

NO99 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

おもしろい!!!!

小説などでは 登場人物が同じような名前ばかりで
混乱しますが
やはり 視覚で覚えると
面白いです

投稿 : 2022/07/21
閲覧 : 130
サンキュー:

6

ネタバレ

たまき さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

悲しい物語

史実の平家物語を主人公の琵琶法師の女の子の視点から追っていく物語です。

主人公のびわは、ひょんなことから平家に拾われ共に過ごしていくわけなのですが、歴史の授業で習った通り平家の最後は見えており、びわが平家の人達と次第にうちとけ家族の様に仲が良くなっている姿をみると、非常に胸が辛くなって行きました。

歴史が好きな人からすると色々思うところがある作品かもしれません。私は授業で勉強した大筋しか覚えていなかったのでそこまで気にはならなかったのですが、ラスト数話はやや足早感はあった気がします。

作画はデジタルでありながらも、細い線に優しい色使いでとても良かったです。ややクセがある様にも見えますが、歴史物とマッチしていました。

投稿 : 2022/07/15
閲覧 : 153
サンキュー:

8

ネタバレ

ヘラチオ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

平家物語そのまま

特に改変せず平家物語だった。
琵琶法師の視点で語られる物語だが、びわという不思議な目の色をした少女を主人公にして{netabare}平家側の非道な行いで父を殺されたところから始まる。そんな彼女も平気の人間と接していくうちに情が移って滅びるぞざまあみろといった感じから死んでほしくない人間が増えるに至る。{/netabare}
強調する人物は異なっていたかもしれないが。徳子とのやり取りは結構協調されていた気がする。シリアスな点もコミカルに描いている点もあってメリハリがあって視聴しやすかった印象。{netabare}母との再会シーンはあっさりしていて拍子抜けした記憶が…{/netabare}

清盛のほうは割とさらっと。死ぬシーンなんて灼熱で壮絶だったはずなのにね。
平家は傍若無人ともいえるようなことをしていたが、そんなことしていはのはごく一部で大半は善良でなんなら弱気で位は違えど同じ人間だったということがありありと伝わってくるそんな気がした。

女性の強さはかなり描かれていると感じた。死ぬよりも生き抜くことのほうがよっぽど辛いこともあろうが、尼になっても生き抜くって素晴らしい。割と徳子に感情移入しちゃったけど、子供を失って辛いでも生きて祈りを捧げる。なんて尊いのだろう。

アニメで歴史的な文学作品に触れるきっかけになるのも良いですね。


OP
光るとき 羊文学
ED
unified perspective agraph feat.ANI (スチャダラパー)
羊文学全く知らなったですね。割と新進気鋭のグループなんでしょうね。独特な雰囲気。
EDのメロディは意外と頭に残るんですよね。スチャダラパーの名前が。聞いたことあるグループなんだけど、楽曲はそんなに知らなったなあ。聞いたことあるけど、気づいていない可能性が高い。


以下はアマゾンプライムから引用のあらすじ。
《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》 平安末期。平家一門は、権力・武力・財力あらゆる面で栄華を極めようとしていた。亡者が見える目を持つ男・平重盛は、未来(さき)が見える目を持つ琵琶法師の少女・びわに出会い、「お前たちはじき滅びる」と予言される。 貴族社会から武家社会へ--日本が歴史的転換を果たす、激動の15年が幕を開ける。


1. 平家にあらざれば人にあらず
平安末期の京都。平家一門は、権力・武力・財力、あらゆる面で栄華を極めようとしていた。天皇をもしのぐ勢いで野心を募らせる父・平清盛を危うく感じる長男の重盛はある夜、邸内で琵琶法師の少女・びわと出会い、平家の滅亡を予言される。重盛とびわには、ともに見えないものが見える「目」を持つという共通点があった。

2. 娑婆の栄華は夢のゆめ
資盛が天皇の摂政に無礼を働いて制裁を受け、それに清盛が報復したことで、平家に対する批判が噴出する。重盛は資盛を伊勢に謹慎させ、自身も職を辞することで少しでも批判を治めようとするが、それがおもしろくない清盛。そんな中、徳子が後白河法皇の息子・高倉天皇に入内することが決まる。

3. 鹿ケ谷の陰謀
維盛・資盛・清経らとともに、厳島神社に赴くびわ。入内して6年になるが子を授かる気配のない徳子のために、一行は厳島神社に祈願の舞と祈祷を捧げる。一方、重盛は藤原氏と延暦寺のいさかい、これをもてあます後白河法皇に頭を悩ませていた。さらにその裏では、源氏の力を借りて平家を討つ密議が交わされようとしていた。

4. 無文の沙汰
待望の御子を授かったにもかかわらず、病床に臥せってしまった徳子。見舞いにきた重盛が片目で周囲を見ると、密議の陰謀で処分された者たちの怨霊が蠢いていた。恩赦によって流罪になった者たちが解放され、徳子の息子が無事産まれるが、平家の立場はいっそう難しいものとなっていた。

5. 橋合戦
重盛の死を受け、「未来が見えても変えることはできない」と嘆くびわ。その左目は、いつの間にか重盛の目と同じ色になっていた。重盛に代わり弟の宗盛が平家の頭領になるが、後白河法皇は平家の勢力を削ごうと動き始める。これに反発した清盛は、三種の神器とともに幼い安徳天皇の即位を急ぐ。

6. 都遷り
平家への風当たりが強まるなか、京からの遷都が決まり、慌ただしく引っ越しの準備をする資盛・清経・びわ。たどり着いた福原の海岸で、兄弟たちはいとこ違いの敦盛と出会う。月を見ながら笛を吹き、束の間の交流を楽しむびわたちだったが、清盛の邸では物の怪による変事が相次いでいた。

7. 清盛、死す
伊豆に流罪になっていた源頼朝が、遂に後白河法皇の院宣を受けて挙兵した。総大将に任命された維盛率いる平家の兵は富士川の戦いであえなく敗走し、いよいよ没落の色を濃くするのだった。年が明け、高倉上皇が危篤状態に陥る。清盛は徳子に今後の身の振り方を提案するが……。

8. 都落ち
清盛の死を受けて動揺する一門を離れ、母探しの旅に出たびわは、各地で平家と源氏の戦の状況を耳にする。奮闘する知盛や重衡らを尻目に、頭領の宗盛は京で宴三昧の日々を送っていた。源氏側につく者が増えるなか、維盛は木曽義仲に大敗を喫し、引き返せないほど精神的に追い詰められていく。

9. 平家流るる
京を捨てて西に逃れる平家一門。入れ替わりで源氏の白旗がはためく京に戻ってきたびわは、静御前らとともに丹後をめざす。後白河法皇が後鳥羽天皇を擁し、かつて重盛に仕えていた者たちも次々と源氏側に寝返っていく。福原を落ち、大宰府からも拒否され、疲弊しながら歩き続ける一門は、とうとう海まで追いやられる。

10. 壇ノ浦
旅のすえに母と再会したびわは、改めて自分も平家の行く末を見守り、祈り続けることを決意し一門に戻る。しかし、清経の入水に続き敦盛が一ノ谷の戦いで戦死、捕らえられた重衡は鎌倉に送られ、平家はひとりまたひとりと欠けてゆくのだった。苦しみに耐えかねた維盛は出家を決意し、最後にびわと短い会話をかわす。

11. 諸行無常
年が明けて季節は冬から春へ。決戦は屋島の戦いから壇ノ浦へと向かう。追ってきたのは源氏の若き総大将・義経。激しいうず潮に源平の舟が入り乱れるなか、イルカの大群が押し寄せ、遂に風向きが変わる。平氏の敗北と滅亡が垣間見えるなか、みなを勇気づけ闘う宗盛と知盛。三種の神器とともに帝の手を取る時子。びわはそのすべてを目に焼き付けようとしていた。

投稿 : 2022/07/09
閲覧 : 162
サンキュー:

16

オカ さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

祇園精舎の鐘の声

時代背景や絵柄のせいか、声優のせいか、ものの怪を最初、思い出した。

重盛がカッコいい。
忠義の侍でした。

平家物語。
びわが平家の行く末を見届け、語り継ぐ為の物語。

栄華を極め、滅び行く平家は哀しく儚い。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き者も遂には滅びぬ
ひとえに風の前の塵に同じ

投稿 : 2022/06/29
閲覧 : 158
サンキュー:

8

ゲリオ さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

大河と並行して視聴

鎌倉時代の古典「平家物語」を題材とした歴史アニメ。
主人公兼物語の語り部役にびわというオリジナルキャラを用いているが、内容は古典に沿った極めて真面目な作風。未視聴の方からすれば「そんなの退屈な学術作品なのではないか」と感じてしまいそうなところだが、いやいやそんなことはない。
個々のキャラの生き様や死に様、喜びや悲しみが、明瞭かつ繊細に現代アニメ風の演出で表現され、れっきとしたアニメーション作品として引き込まれた。
戦国時代等そこそこの歴史好きを自称している自分だが正直この時代は馴染みが薄く、とっつきにくさで敬遠していたが、本作を見て急激に興味が沸くことになる。
他アニメと毛並みが違うので比較することは出来ないものの、個人的には生涯を通じて記憶に残る傑作アニメと評しても過言ではないと思った。

放送の時期も良かった。
と言うのも、本作と同じ平安末期を扱う今年の大河ドラマ"鎌倉殿の13人"が非常に面白く「源氏側の視点を大河ドラマで、平氏側の視点をこのアニメで」という何とも贅沢な楽しみ方が可能となったからである。
義務教育程度の知識しかない自分は、源氏と言えば頼朝&義経くらいで配下の武将など知る由もなかったし、さらに平氏は平清盛がなんとなく剛腕&強欲な悪役という印象しかなく、清盛以外の一門は名前すら知らなかった。
ところが本アニメを視聴し、例えば平家には重盛という清廉潔白な武将もいたということを知る。維盛、清経、敦盛という若くして散った悲劇の男たちがいたということを知る。
アニメ冒頭で栄華を極めていた平家も、支柱であった重盛の死から衰退を辿り、第9話以降は一気に滅亡へと向かう諸行無常が描かれた。
いやはや、この度のアニメ&ドラマを通じ、歴史の流れの中で当時を生きた名将たちがどのような足跡を歩んだのか知れた。ほんとにこれまで馴染みが薄かった中世時代が自分の中で一気に興味深い時代と邁進したと思う。

作画は極めて優秀。
最新アニメの派手なエフェクトはほとんど用いず、ひらすら丁寧な美しく淡いタッチでアニメーションを描き上げた美術点の高い作品だった。
キャラデザについては、古典作品を題材にしただけあって"まんが日本昔ばなし"の延長線上にある感じ。変に今風のデザインにされても困るし、おそらくこれはベストだったのだろう。
その他視覚演出について、おそらく素人ごときに語れないほど綿密な工夫が成されてると感じ、ともかく1シーン1シーンが実に素晴らしい。こればかりは刮目して視てくれとしか言えん。
監督や美術班の強い拘りが随所に感じられ、"鬼滅の刃"などとは別のベクトルから現代アニメーション技術の粋が詰まった作品と言えるだろう。

主人公のびわについて。
「未来が見える」という古典に無い唯一のSF要素を組み入れた件は、まさにこれぞアニメ作品ならでは。歴史ドラマでこれを入れたら絶対NG。アニメだから許される設定だし、そもそも見た目が全然変わらなかったり、なんで孤児が平家一門に家族扱いされてるのかだったり、びわの存在に関しては突っ込みどころが多いのだが、すべてがギリギリのところで許された。
むしろ古典作品にエンタメ性を付加する上でびわの立ち位置は必要で、未来を知っていても傍観者・観測者でいるしかない立場はまさに視聴者目線である点も着目。
そして悠木碧さんをびわ役にキャスティングしたのも完璧。現在の有象無象の女性声優の中でただでさえ演技力が抜きんでてるのに、さらに琵琶語りによる口上まで圧倒的迫力で演じ切る。本作で役者としての格を更に上げたのではないだろうか。

以上により、ただただ素晴らしいアニメだったという感想に尽きる。
長編アニメの何らかの賞を受賞しても全く不思議ではないと思う。
例えば文化庁が主催してるアニメ大賞とか、まさにアレって本作のような作品を推挙すべき立場なんじゃないの?
むしろ学校の授業でこのアニメを流すのも有りじゃね?と。
自分が中学生のころ大嫌いだった古典の授業も、仮にこのアニメを見てから学んでいたら大好きな授業へと変貌した可能性もある。
本当に視聴して良かったと思える作品だった。

投稿 : 2022/06/28
閲覧 : 168
サンキュー:

14

ninin さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

おもしろかろう

原作未読 全11話 「けいおん!」や「たまこまーけっと」「聲の形」「リズと青い鳥」の山田尚子監督作品

平家の繁栄を滅亡を琵琶法師の少女「びわ」を通じて描かれている作品です。

某局で放送している源氏お話と一緒に観ていました。

制作会社はサイエンスSARU、独特の表現でキャラを描いていましたね。

もちろん平家物語は知っていましたが、細かいところまで覚えていません。

平家一門、清盛は知っていましたが、その他の平家の人たちの人となりを知れて良かったです。

実質平家は滅びたのですが、その中でも生き残った人たちもいて、その後ことも触れていたのは良かったですね。

OPは羊文学さん、EDはagraph feat.ANIさんが歌っています。

最後に、「祇園精舎の鐘の声」で始まる平家物語、中学の時に習いましたが、内容を忘れてもこの一節は今でもすぐに出てきます。

投稿 : 2022/06/27
閲覧 : 329
サンキュー:

35

ネタバレ

タマランチ会長 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

武家らしからぬ呑気で気の抜けた会話と壇ノ浦の悲劇のギャップ

原作未読。
 1話の引きがすごすぎて、作品世界にどんどん引き込まれてしまった。山田尚子監督の本気の絵コンテ、すごすぎる・・・
 しかし、2話、3話はそこまででもなく、集中して観れなくなってしまい、しばらく放置。
 で、もう一度見直そうと1話を再視聴。やっぱり面白い。今度は2話。3話もしっかり見て、複雑な人間関係を把握しながら楽しめた。
 平家の人たちの武士らしからぬ、勇ましくも雄々しくもない気の抜けた会話が実に親しみやすく、親近感を感じた。それゆえ、壇ノ浦の戦いで、こんな普通の人たちが身投げして死んでいく様が胸を打つ。
 自分は平家物語とか授業で冒頭暗記したくらいでその後全然読んだことないし、多分古典の平家物語はこんなリアリティはないのだろうと勝手に思い込んでいる。いいものを観ました。良作とします。

投稿 : 2022/06/26
閲覧 : 175
サンキュー:

15

さんの感想・評価

★★★★☆ 3.8
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

期待していたのですが

どれだけ脚色があるのだろうかと期待して、先入観を持たないように努めて視聴していたのですが、一般教養であるストーリーラインをエンタメとしてとらえられるほどの魅力・脚色はありませんでした。
(六七八話の演出は上手いなあと思ってみていましたが)
豪華なメンツを揃えて平家物語を作成したというところが重要なのでしょう。
声優さんは売れっ子ばかりで上手でしたが、期待を上回るほどではありませんでした。

お金をかけて色んな箔をつけてアニメなのにさも高尚な作品っぽく仕立てている構造が内容よりよっぽど平家物語感あるなと思いました。

投稿 : 2022/06/26
閲覧 : 169
サンキュー:

7

ネタバレ

フィリップ さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

目を開いて祈ること

アニメーション制作:サイエンスSARU、
監督:山田尚子、シリーズ構成・脚本:吉田玲子、
キャラクターデザイン:高野文子(原案)、小島崇史、
音楽:牛尾憲輔、原作:古川日出男訳『平家物語』

無常観が物語の根底にある。
見ることしかできなくても、
現実をしっかりと見て、今を生きていかなければならないという、
自身への励ましのようにも思える。

諸行無常―――
全てのものは変化し、移り変わっていくもの。
変化したことをいくら嘆いても、そこには空虚しか残らない。
仏教的な無常観というらしい。
『平家物語』のなかで、山田尚子監督は「びわ」という
架空の琵琶法師を生み出し、自身を重ね、
「見ることしかできない」と語らせる。
栄華を極めた平家の一端を目にし、
そこにも気の良い人々や現実に苦しむ人々を見る。
美しいものもたくさん網膜に焼き付ける。
{netabare}壇ノ浦の戦いでは間近で戦場を目にする。{/netabare}
最初は「見たくない」と目を塞いでいた
びわが最終的には全てを見ようとする。
目を塞いでいるだけでは、何も変わらないし、
何も変えられないのだと気付く。
最後には「祈ることだけができること」と悟る。
それは、武士の社会で生きた女性の多くが
やがて出家をする境地に似ている。
{netabare}徳子のように。{/netabare}

山田尚子監督が作品でいちばん重視したもの。
平家の世で生きた人たちが普通の感覚を持つ人間だったこと。
心のある現実感のある人々だったということを
描きたかったのではないかと感じた。
平家物語としていつまでも語り続けられた
特殊な時代であっても、そこにはごく普通の
人たちが必死に、そして楽しく生きていたのだということ。
京都アニメーションもまた普通の人々が
楽しく、しかし必死になって生きていた。

京アニ放火事件によって、
とんでもない災厄に見舞われた山田尚子監督。
多くの仲間が亡くなり、
もうアニメを制作するのはやめようと考えたに違いない。
しかし、見事に復帰を果たしてくれた。
復帰第一作として『平家物語』の話が舞い込んだのは、
ある意味、必然だったとも思える。
また、山田尚子監督の決意を表していると感じる。
彼女にとって哀しみを受け止めて「祈ること」とは、
「アニメを、作品を制作すること」なのだ。

消えゆく栄華、流れゆく煙、散りゆく花。
美と無常観が画面上で流れていく。
今回は、歩んでいく人々の「足」は、
あまりクローズアップされない。
生きとし生けるものは全て滅んでしまうという感情が
物語自体の根底にあるからだろう。
しかし、山田尚子監督の表現として残されたものがある。
それは「鳥」だ。
序盤から頻繁に登場する鳥。
これはおそらく『リズ鳥』で山田尚子監督が
イメージしたものが表現されている。
監督に僅かながら残っている「未来」への感情。

飛び立つもの。
向かうもの。

何に向かっていくのかは分からない。
しかし、彼女のなかにある世界は、
現段階ではもう「諸行無常」だけではないのだ。
それが、この物語のいちばんの救いなのかもしれない。
(2022年4月23日初投稿)


山田尚子監督と音楽(2022年6月25日追記)

山田尚子監督といえば、音楽好きで知られている。
実際、作品のなかでどう考えても
山田尚子監督が引っ張ってきているだろ、と思わせて
本当にその通りのことがかなり多い。

例えば、『リズと青い鳥』のHomecomingsや
ダブル・ルーリードの表現。
『平家物語』の羊文学『光るとき』と
agraph『unified perspective』。
どれもいかにも山田監督らしい。
羊文学はいかにも山田監督が好きそうなロック。
どこかHomecomingsに通じる透明感のあるサウンドが魅力で、
これは誰が聴いてもその良さは分かるだろう。
より山田尚子監督の特異さを思わせるのはエンディングだ。

彼女は、フュージョンやテクノにも造詣が深く、
学生のころから電気グルーヴやヨーロッパのテクノを
聴いていたそうだ。
そんな趣向があるのは知っていたが、
スチャダラパーのANIをフィーチャーした
牛尾憲輔のひとりユニット、agraphの曲を
エンディングに持ってきたのには驚かされた。

音を絞ったエレクトロサウンドにANIのラップが
静かに響き渡る。
ラストの高揚感から一気に終息に向かう展開と
アニメーションが物語と劇的にシンクロしているようで、
「音」自体に意味があるように感じさせるのはさすがだ。

先日発売されたユリイカ7月臨時増刊号の
湯浅政明監督と山田尚子監督の対談を読んだ。
ふたりとも牛尾憲輔を重用しているところが
ひとつの共通点。湯浅監督は、牛尾憲輔に
「僕と山田さん、どっちが大事なんだ」と
冗談でよく問い詰めていたそうで、
ある日、酔っていたときに牛尾氏が
「僕は山田派です!」と言っていたことを
山田尚子に告げて、いじっていたのが面白かった。
湯浅監督からすると、自分は音楽について、
それほど深くは知らないので、
山田尚子監督と牛尾憲輔がツーカーなのが
少し羨ましいらしい。

山田尚子監督と劇伴を務める牛尾憲輔氏。
このふたりのコンビが、これからもどんな
化学反応を見せてくれるのか、期待しかない。

投稿 : 2022/06/25
閲覧 : 511
サンキュー:

58

ネタバレ

oneandonly さんの感想・評価

★★★★☆ 3.7
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 3.5 音楽 : 4.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

日本史を学ぶきっかけとして

世界観:6
ストーリー:6
リアリティ:7
キャラクター:5
情感:6
合計:30

<あらすじ>
800年の時を超える祈りの物語
《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》
平安末期。平家一門は、権力・武力・財力あらゆる面で栄華を極めようとしていた。亡者が見える目を持つ男・平重盛は、未来(さき)が見える目を持つ琵琶法師の少女・びわに出会い、「お前たちはじき滅びる」と予言される。
貴族社会から武家社会へ――日本が歴史的転換を果たす、激動の15年が幕を開ける。
(公式サイトより)

アニメ視聴は引き続きリハビリ中。最近の作品で見るべきものがないか調べたところ、監督が山田尚子さん、脚本が吉田玲子さんであること、自分は受験で世界史を選択していたため、日本史は詳しくなく、平家物語についても一般教養範囲でしか知らなかったこともあり、本作を視聴することにしました。

まず、良かった点からですが、OPの「光るとき」は、さわやかな曲調に、響きのよい歌声が心地よく、最後までスキップすることがありませんでした(関係ないですが、何となくハルカトミユキさんの「17才」を聴いた時のことを思い出しました)。羊文学(ひつじぶんがく)がバンド名であることすら知らない状態から入りましたが、本曲の歌詞を読んで興味を持ち、塩塚さんの制作時の対談なども拝見しました。
とても高い視座から、歴史において滅んでいった人たちを鎮魂するとともに、現代に生きる我々までをも含めて鼓舞するものとなっている良い歌詞です。
ラップは門外漢なのでEDは刺さらなかったですが、OP曲は今年のベストかもしれません。

この、高い視座は、平家物語という本作において、歴史を既に知っている我々と同じであり、他の方のレビューで、未来を見通す目を持つ主人公のびわは、我々の視点を持って物語に登場しているといったものを拝見しましたが、まさにそのような役割を主人公が担っています。

そのため、出自の不明なびわが、当時の権力者であった平家の屋敷で清盛の息子や孫たちと楽しく生活したり、重盛に重宝されたり、源平合戦の最終局面の壇ノ浦まで平家方の船に乗り込んでいるといった場面にはリアリティを感じられないのですが、より客観的に物語を追うことができ、本作を新鮮な形で視聴者に提供するための仕掛けとしては十分に機能していたと思います。

{netabare}物語は、基本、史実や原書に沿った展開となっているため(徳子が生き残って出家するという本作の展開も、一方流系諸本を採用しているようです)、大きな驚きはありませんでしたが、源義経の鵯越の奇襲や、「人間五十年~」で有名な敦盛など、所々で自分の知っていることとつながる面白さがありました。厳島神社が清盛によって整備されたこと、兵庫県の福原に一時、都が移っていたことなどは知らなかったです。その他、物語上の出来事が、史実のものか確認したり、登場人物の名前がややこしいので、平家の家系図を見て頭の整理をしたり、日本史の勉強になりました。

あと、個人的に感動したことは、京都の祇王寺の由来が知れたこと。中学時代の修学旅行で京都に行った時に最も美しく風情を感じた寺で、大学時代に再訪し、庵の中でしばらく休ませていただきました。それ以来行けていないのですが、その存在を由来とともに思い出すことができました。(苔寺は予約が必要ですが、ここは予約不要で、こじんまりとしていますがおすすめです)

さて、本作の物語に話を戻しますが、大量の原作の分量からして1クールアニメにここまでコンパクトにまとめられたことは凄いです。ただ、登場人物が多すぎであることは明らかにマイナスの影響があります。清経の身投げや、維盛の出家の上での身投げ等、それぞれに感情移入することは難しく、歴史的なイベントを辿る展開が中心に感じてしまった部分がありました。

日本の歴史に基づく物語として見る価値があると思いますが、フラットに様々な優良作クラスのアニメと比べて、強く推奨できるだけの面白さがあるかと問われると、正直微妙な面は否めません。

キャラクターデザインは好みの系統ではないものの、独自性があるのは良かったと思います。顔をアップするシーンでは眉毛が一本一本描かれていたことも印象的でした。一方、重盛を史実以上に良い人に描いていたり、宗盛がいかにも凡庸そうに描かれていたり、源頼朝が北条政子の尻に敷かれた優男にデフォルメされていた点は、登場人物の識別をしやすくするためにやむを得ないかもしれませんが、少し安易に感じました。{/netabare}

平安時代から鎌倉時代(武家社会)への歴史の転換点を、少し学んでみたい方におすすめの作品です。

(参考評価:3~11話3.7点)
(視聴2022.5~6)

<2022.6.18追記>
1つ書き忘れたこととして、本作を見て、昔の日本には「出家」という人生のスタイルがあったのだなと思いました。
戦や病で家族(子ども)や恋人を失うことも現代よりもずっと多かったはず。世俗での様々なことが嫌になったり、やるせなくなったり、そういった時に仏門に入り、祈り奉仕することに人生を捧げるのが自然な選択として存在していました。
今はその機能がほぼなくなっていると思いますが、それゆえにひきこもりや鬱などの精神疾患が社会問題となったのではないか。昔の人間のほうがメンタルが強かったというわけでもないのではないか、と。

投稿 : 2022/06/21
閲覧 : 335
サンキュー:

26

ネタバレ

素塔 さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 4.0 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

平家幻想記

この極めて特異な創作物を受容する際に、私たちはごく自然に
二つある出発点のいずれかを選んでいるはずだ。
原典たる『平家物語』か、あるいは京アニの至宝、山田尚子監督か。
別の言い方をすれば、テキストと演出、そのどちらに軸足を置くか。

アニメ作品として鑑賞する場合は、後者の方が正しいのだろう。
山田監督のリリカルで繊細な演出による再現を味わい、さらに踏み込んで、
物語が最後に到達する、"祈りを込めて語り継ぐ"という究極の境地に
監督自らが体験した悲劇を重ねあわせる深い理解のかたちを
他の方のレビューによって教えて頂いた。

おそらく監督は、この一大古典をめぐる目の眩むような経験の堆積を
まずは括弧に入れ、まっさらな気持ちでテキストに向かったことだろう。
だから今、テキスト派の急先鋒である自分もまた、敢えてこの名前を括弧に括り、
純粋にドラマツルギーの観点から、この創造の真価を問うていきたいと思う。


Ⅰ 序・物語の亡霊
{netabare}
本作の原典が豊かにはらむ、叙事詩的な物語の雄大なうねり。
自分は多分、それを無意識に追い求めてしまっているのだろう。
現代風なアレンジの妙味や作家性の観点での評価ができない。
つまり本稿は、アプローチの出発点を原典においている。

原典との対峙によって生み出されるべき、物語のダイナミズム。
そこを捉えることにしか興味が向かわない自分は、そのための作業として
印象を整理し、抽出したシェマティックな解読格子を用いて
全体のフェーズの転換を巨視的に把握しようと試みた。

自分は原作の側に立ち、このアニメにどんな創意が見出せるか、
それが古典を素体とした作品創造としてどれほどの域に達しているかを
吟味しようとするのだが、この評価の尺度自体が全くの主観に過ぎない。
そんな空想めいた我流の着眼を憚ることなく推し進めた本稿は
きわめて個人的な「幻想(妄想?)」であることを予めお断りしておきたい。
要するに、本人以外には意味不明だろう、ということです。

              *

古典とは歴史の亡霊である。
とりわけ伝承文学は、消えていった無数の声によって形づくられ、
物語の中の人物には焼印のようにその痕が刻まれている。

我々とは根本的に組成が異なる彼らの行為、彼らの運命を
つかさどるものはすでに、心情や一般的な法則ではなく、
物語をとおして表出される歴史の情念(パトス)なのである。
眼の眩むような時の堆積を引き受ける覚悟をもって
相当骨太に描かなければ、その存在感は引き出せないものなのだ。

「平家物語」という素体の特異な性質上、
史実と物語との関係やバランスは特に熟考されていなければならず、
(物語内部の人物と実在の人間が異質な存在である点も含めて)
「物語」のもつ強烈なオーラを流し込むための創造的な方法がないまま、
ただ普通に現代的な心情を持ち込んで、人間ドラマに仕立てるのであれば、
結果としてプロットだけが平家の、単なる史実寄りのドラマ化でしかなく、
中身はごく月並な人情劇になってしまうだろう。

古典とは本来、我々にとっては理解困難な異物のようなものであるはずで、
そこに現代との回路を開くものはただ創造的な飛躍あるのみ。
その意味で本作の、異形性、異界との親近性の設定は必須だったと言える。

びわ。平重盛。
呪われた眼をもつ少女と、呪われた一族の後継者。

重盛の死を転機に、この着想の潜在力は発揮され始める。
疑似父娘関係を解消し、怨霊をも見る眼を備え、平家物語の、
あるいはすべての「もの‐がたり」のデモーニッシュな闇を掬い取る
選ばれし語り手となっていく成り行きが是非観たいと思う。

単なる予知能力というよりは、破滅の運命を予言することにおいて、
彼女にはギリシャ悲劇で神託を伝える巫女の面影がある。
童形であるのは神性が女性的なものに勝っている暗示だろうか。
折々挿入される成長したびわの弾き語りも、まだ強い印象を残さないが、
彼女が今後、大化けしなければこの作品は不発に終わるとさえ自分は思っている。
{/netabare}

Ⅱ 夏椿と揚羽蝶―びわ
{netabare}
激しく琵琶をかき鳴らし、熱っぽく橋合戦の段を語るびわの
おそらく作中では初めて、真正面から捉えられた顔を見てハッとなった。
亡父の眼を受け継いだかのように、彼女の両眼は灰青色に濁り、
盲目の琵琶弾きとなった姿がはっきりと認められたのだ。

何時、どのような経緯でびわが失明したのか、まだ明かされていない。
この変容を今まで何となく見過ごして来たおのれの迂闊さに驚くとともに、
自分の主観はそこに、時代を超越した物語生成の秘密と、
一人の少女の人生とが複眼的に捉えられた、本作の核心部を見たのである。

この直観はまず、全編の幕開けを告げる冒頭の、あの映像への回帰を促した。

無心に虚空を舞う、アゲハ蝶。
合間に挿入されるカットは、例の「沙羅双樹」の花らしい。
要するに「平家」の有名な導入をもとに、映像によって無常観を表現した
ありふれた手法だと当初は受け流していたのだが、やはり気にはなっていた。

バグのように明滅する光の滲み。この効果は何を伝えようとしているのか?
何となく、誰かの視像のような気配があると感じてはいた。
そして、漸く確信できた。・・・凝視しているの多分、びわなのだ。
それも、失明する前に見た記憶の中の光景が、揺らぎを帯びながら
いま、立ち現れているかのようだ。・・・おそらくこれは、
彼女の内部に閉じられて消え残った「世界」の残像なのだろう、と。

・・・まぼろしのように咲く、沙羅双樹の花。
日本にあるのは本種ではなく、分類上は異種であるナツツバキなのだそうだ。
沙羅双樹よりも飾らない、この名の方がむしろ似つかわしい。というのも、
実はこの花、重盛の屋敷の庭前に咲いているさまが作中に描かれているのだ。
つまりこれは、仏教的無常観に基づいた大仰な文学的修辞をなぞったものではなく、
びわの記憶の中の花、一人の少女が過ごした懐かしい日々の思い出が重ねられた
現実の花として描かれているのである。

そして、はかなげに飛翔するアゲハ蝶について。
考察勢はとっくにネタにしているだろうが、遅れて自分も思い当たった。
平氏の家紋は「揚羽蝶」であり、従ってこのイメージの象徴性は明白なのである。
仮に、それを見つめている眼差しがびわのものであるとすれば、
すべてが終わった現在、ないしは無時間的な場所でまさぐられている、
哀惜と情愛のこもった心象ということになるだろう。

すなわちこの冒頭は、盲いたびわの心象世界を表現した
エンディングアニメーションと呼応しており、その要約と見なせるものだ。
流れる雲と波、海鳥、水底の泡沫など、海のイメージに置き代わっているが、
その中には夏椿の花もあって、象徴するものはアゲハ蝶と同じである。
それは、儚く滅び去った懐かしい人々にまつわる遠い日の光景、
心の中に果てしなく去来する、失われた「世界」の記憶だ。

エンディングに関してもう一つ、付け加えておきたいことがある。
彼女が灯火を吹き消すシーン、これを自分は以下のように解釈したい。

「Ⅰ」で言及した突飛な連想の繰り返しになるが、
ギリシャ悲劇「オイディプス王」の始まりと終わりを画す、
運命を予言する者(巫女)と、運命の果てに盲目となる者(オイディプス)、
この両者がびわの中に共存していることに気づき、自分は衝撃を受けた。

彼女に備わった禍々しい明視。失明はその呪われた力の帰結なのかも知れない。
もしそれが彼女自身の固有の運命であり、その成就であったとすれば、
彼女こそは滅びゆく者たちの真の同伴者だったと言えるのではないだろうか?
「平家」でも特に有名な、「見るべき程の事をば見つ」という台詞がある。
入水する知盛が最期に遺したこの言葉はそのまま、悲劇の観察者であった
びわの言葉にもなり得ただろう。自ら灯りを吹き消すエンディングの動作には、
運命の果てに彼女が到達した心境が表明されているように思われてならない。

真理を見た者はその代償に、世界から乖離し、孤立した存在になる。
だがその時、認識は表現へと転位し、「物語」がそこに出現するだろう。
芸術創造の秘儀をめぐる、ある普遍的な真実がここには潜んでいる。
本作がきわめて独創的な「平家物語」誕生譚ともなり得る契機が
ここに予示されたと考えるのは、妄想に過ぎないだろうか…。
{/netabare}

Ⅲ 落日の母性―徳子
{netabare}
びわ。―この機能性に富んだオリジナルキャラクターの創案が
本作の最大の独創であることは言うまでもない。
さらにびわと一対にするかたちで、清盛の娘にして安徳帝の母たる徳子を
本作の主人公として設定した着想もまた、特筆すべきではないだろうか?

勿論、彼女が主人公の要件を満たしているかには異論もあるだろう。
確かに、現代的な自我を感じさせる言動で、作中では例外的な存在だと言えるが、
そのポジションからして、主体性と能動性が示される機会がないために、
その言葉がどこか内実を伴わずに浮いてしまっているきらいがあった。
静的な形であっても、彼女個人の主体性をどのように描き、現出させるか、
そこが難題となっていたと思われる。


第八話に至り、ついに瞠目すべきシーンに出会った。
都が源氏の手に落ちようとしている状勢を嘆く弟の資盛に対し、
徳子はしずかに、決然として言い放つ、

「いいえ。帝がいらっしゃるところが都よ。」

たった一言。だが、これまでのモヤモヤを晴らすのに十分だった。
これまでも彼女の心の想いが吐露される機会はいくつかあり、
懐剣を手に清盛に反抗する激しいシーンなどもあった。が、
心底、揺さぶられたのはこのセリフが初めてだった。

未来の見通せない、大きな危機に直面する現状において、幼い帝の母という、
自らの置かれた現実を真っ直ぐに見据え、その中で発せられたこの言葉は
自らの当為への能動的なベクトルを孕んだ、揺るぎない信念と覚悟の表明に他ならない。

このセリフの感銘をさらに深める背景がある。
第七話で彼女は後白河院にこのように語っていた、

「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ。
 望みすぎて不幸になった者たちを多く見てまいりました。
 得たものの代わりに何を失ったかもわからず、ずっと欲に振り回され…。
 わたくしは泥の中でも咲く花になりとうございます。」

「望まぬ運命が不幸とは限りませぬ」。
彼女はすでにこの時、自らの運命の主体となる望みを表明していた。
その願望が今や、現実のものとなったのである。
彼女が言った、「帝がいらっしゃるところが都よ。」という言葉はまさしく、
運命がもたらした自らの現実を、無条件に肯定する言葉なのである。すなわち、
「いま自分のいる場所が、自分が本当に生きるべき場所なのよ。」
このような意味合いがそこには込められているのだ。

他人に強いられた道であろうと、それを自らの道として受け容れ、
母であることを自らの運命として選び取り、彼女は自分自身になっていった。
つまりこの言葉に、徳子の人間像が最終的に定位していると感じられたのだ。
この時、彼女は真に本作の主人公になったのだと思う。

自分の見る限り、本作で自らの信念を生きる人物は清盛と徳子の二人である。
動と静の極端な違いはあるが、やはり彼女は清盛の娘なのだ。
清盛の死により父性の軛から解放され、自立が実現された時、
その内面の強さが表れ、輝きを増してゆくのは自然である。

そしてここに、物語のフェーズの巨視的な転換が認められるだろう。
父性的なフェーズの中に埋没していた「母性」の位相がせり上がる。
主人公となった徳子の母性が物語の軸を形成し、悲劇の核心となる。
父性の物語から母性の物語へと、作品の本質が顕現したのである。

我が子との平穏な生活だけを一途に願う徳子の心境が語られるにつれ、
作中に徐々に浸透してくる母性。それはまた、こじつけのようだが、
自らの道を歩み始めたびわの、母探しの旅にも及んでいるのかも知れない。
びわが抱く母への憧憬と、徳子が母として抱く憧憬、この二つの心情が遠く呼応しあう。
徳子がかつてびわに語った、世界の苦悩の源となる一切への「赦し」。
この言葉の思想的な深みはおそらく、母性の文脈でしか開示できないものだ。
すなわち、本作の最終的なテーマはこの線上に求められるのだろう。


この転換に同期して、作品内部にも変化が生じたように感じられた。
今回の第八話に至って、心情の新しい地平がひらかれたように思われるのだ。

絶対的な支柱であった「父」を喪うことにより、一門の者たちは不可避的に
「残された者」という共通の存在規定を一律に受け容れることになる。
その結果、それぞれが「喪失」と向き合い、覚悟であれ、逃避であれ、
自身の選択を迫られることにより、当てがわれた役回りを超えた「個」がそこに現れる。
維盛を筆頭に資盛、さらには宗盛に至るまで、人物に陰翳と深みが加わってくるようだ。
逸脱を承知で、これを実存的契機の発現と呼びたい衝動に駆られる。

中世のテキストに現代風の心理模様を導入するための方策として
敢えてドメスティックな関係性の中に限定した心理表出を用いることで、
いわば古典の中にホームドラマを組み込む形で、現代との折衷を試みている。
こんな推測を自分はしてみたのだが、この見方に即して言えばついに今回、
ホームドラマから本格的な群像劇へと、脱皮が遂げられたと言えるように思う。

それは終局に待つ"滅び"へと向かう、心のドラマの始まりである。
作品の表層を漂いつつ、しずかに高まる哀感は来るべき悲劇を準備する予兆のようだ。
{/netabare}

Ⅳ 物語の定位―びわと徳子
{netabare}
本作終盤の張り詰めた、悲壮な高揚感は見事というほかない。
第八話に引き続き、この第九話も実に感銘が深かった。
率直な感想が不得手で、ついまた理屈に走ってしまうのだが…。

「定位」という語を用いて説明してみたいと思う。
平たく言えばものの位置が定まることだが、
本来の orientation に引きつけた「方向づけ」の意味に
自己流のニュアンスを加え、作品解釈のツールとしているものだ。
その場合、方向を指し示すかたちで位置が確定すること、
さらに、作品内部の多様な運動が最終的に一つの方向に収斂し、
帰結点を示す段階に達したこと、といった事態を言い表している。

その意味で、第八話にははっきりと定位の瞬間が捉えられた。
「Ⅲ」に記述したとおり、徳子の主人公としての位置が明確に定まり、
結末に向かう道筋が示される。そこに開示される「母性」こそが
悲劇を超克する原理となることが予感されるのである。

「父性/母性」のシェーマは読解のために仮に抽出したものだが、
大筋としては、ドラマの深層部の力学的な発現を次のように捉えることができる。
序盤。清盛の強大な「家父性」に対比される重盛の「慈父性」、
これら対称的な二つの父性の対立と拮抗により、物語は膠着する。
中盤。重盛の死により、清盛の父性の暴虐が極まるが、清盛も死ぬ。
「父性」の完全な退場。そして、母性の物語へとフェーズの転換が生じ、
「Ⅲ」で言及したとおり、物語の焦点は徳子に絞られてゆく。

図式的な整理のようだが、内容の深化にも対応している。
徳子の姿勢が、受動的な在り方から能動的なそれへと変化するのは
父性の支配からの母性の脱却に即した、つまりは、
「清盛の娘」から「安徳帝の母」への、彼女の本質規定の転換であり、
この転換を軸に、物語の位相そのものが転回したと見ることができる。

そして、第九話。ここにまた、一つの定位が認められた。
前話が徳子による主題面での定位だったのに対し、
今回はびわを介しての、作品の構造面での定位が果されたと言えるだろう。

彼女はこう宣言する、

 平家の行く末を見届けようと思う。
 見届けて、祈りを込めて琵琶を弾く。
 そなたらのこと、必ずや語り継ごうぞ・・・

見届けて、祈りをこめ、語り継ぐこと。
この決意がびわのキャラクターを最終的に決定することは言うまでもない。
もともと彼女にはいくつもの機能が付託されており、
ストーリー展開における視聴者視点の導入という表層面に加え、
深層面でも上記の、重盛の「慈父性」を発現させる役割を担っている。

もっとも、ここに構造面での定位を捉えるのは、
原典に軸足を置いている自分ばかりの見方になるのかも知れない。
自分の目には本作が出発点から二重性を孕んでいるように見えていた。
中世と現代。古典のテキストと現代風ドラマ。乖離する危険を帯びた
この異なった二つの位相の調和ないし融合が本作には求められるはずで、
その処理法の一つが、折々挿入されるびわの弾き語りだったわけだ。

今話のびわの開眼はこの問題への根本的な解答となるものだ。
「語り継ぐ」者の誕生、それはすなわち「平家物語」誕生の瞬間であり、
「平家」のテキストが最終的にアニメ側のドラマに統合されたことを意味する。
それにより、物語の発生を語るドラマとして本作の定位が果たされ、
いわばオリジナルな「平家物語」創生譚としての本質が明らかになったのである。

「作者」としてのびわにその存在意義が収斂する時、
創造行為というものへのひそやかな眼差しがそこに垣間見えそうな気もする。
通常の現実観察の限定的、断片的な記録の域にとどまらずに、
全てを見る能力によって、語るべき物語は彼女の内部ですでに完成している。
自らが語るその物語の中には、かつての自分もまた息づいている。
この自己言及的な、再帰的な完結性こそは「見者」の呪われた宿命であり、
表現こそがその使命となる。・・・といった、芸術発生の秘儀をめぐる
「Ⅱ」の個人的妄想を想起して、少し感慨深かった。

祈り。語り継ぐこと。そして、赦し。
いずれも現実に対して直接作用しない、無力な営為に思われるだろう。
だが、決してそうではないのだ。それらはしずかに周囲に働きかけ、
眼に見えないかたちで世界を存続させている「魂の行為」なのである。
本作は、それらが究極的に二人の女性に具現されることにより、完結を迎える。
自分はここに、この「平家物語」の到達点を見出したように思う。

「父性」に対する超克の地平としての「母性」。それは
悲劇の彼方に、それと向かい合うための「救済」の力として要請されるものだ。
徳子の「赦し」は世界の苦悩の源となる一切に及び、それを包もうとする。
また、びわの「祈り」は、見るだけで何もできなかった自らの苦悩を
救済する道でもあったことに注意したい。ここに表れている心情は
現代の我々の感性にも訴えかけてくるものではないだろうか。
{/netabare}

Ⅴ ドラマツルギー覚書
{netabare}
最終二話についての所感はついにまとめ切れなかったが、
取り敢えず、頭の中に残った想念を覚書風に書きとめておく。

まず、作品全体から受ける印象として言えるのは、
感覚的な愉悦が主であり、精神的な充足感が意外に希薄であることだ。
勿論、一個人の感じ方だと言われればそれまでだが、自分はここに
ドラマツルギーの方向性に関する根本的な問題が認められるような気がする。

「ドラマツルギー(作劇法)」については、
参照したコトバンクの解説に、以下のような二つの傾向が指摘されていた。

 ① 一つは論理的な筋の展開を重んじ、知的、構築的、求心的である。
 ② 他方は音楽性や視覚性を採用して、感覚的、絵画的、遠心的である。

演劇とアニメの違いはあるが、本作が②のタイプに合致することは確実だろう。
卓越した美的センスと繊細な感性に裏打ちされた演出が最大の見どころとなる。
それだけに、原典にまつわる「滅びの美学」といった固定したイメージを
ただ美しく上書きするだけの作品に終わるのではないかという危惧もあった。

因みに自分はすでに削除したレビューの中でこんな難癖をつけている。

 今話は冒頭から冬椿の赤い落花が執拗に反復されていた。
 ポトリと花の落ちる様は斬首と死、その色には流される血や戦火、
 さらに平家の赤旗に絡めて、一門のたどる運命が暗示されているわけだ。
 「Ⅱ」で触れたナツツバキ-沙羅双樹の清浄な白との対比が鮮やかだ。

 ただ、こうした演出の効果が十分に発揮されているかはかなり疑問である。
 記号的な布置が有効に機能するためには、相関する心情と呼応し、
 共鳴が生じなければ、張り詰めた意味の磁場は形成されず、説明的な技巧に終わる。
 小手先とまで言ったのはちょっとひどかったが、あまり利いていない印象はある。

ふたたび上の解説に戻ると、次のように続く、

「どちらも作品としての統一性や全体性を意識し、リズムを考えるが、
 前者は戯曲そのものに示される知的内容の緊張と解放のリズムに、
 後者は演者が加わって始動する上演のリズムに重きを置く傾向がある。」

要するに、ストーリーと舞台効果の、いずれに主眼をおくかということだが、
言語の論理を介さず、感覚に直接訴えかける表現という具合に後者を拡張すれば、
本作の特徴を言い当てていると言えるだろう。反面、どこか緊張感に乏しく、
ストーリー展開がしばしば停滞し、弛緩する傾向もあったように思う。

さてそれでは、今ここに①のタイプ、即ち
「知的、構築的、求心的」なドラマへの志向が極端に強い人がいて、
本作を視聴しながらレビューを書こうとしていると仮定しよう。
おそらく彼は、自分の志向性に即して物語の構造を読み解きつつ、
あるべき展開を推論し、そこに有機的に連関したテーマを措定することだろう。
そして図らずもその実例となるのが、上の四編のレビューなのである。

・・・そう、それは私です!
もうお分かりだろう。もっともらしいことを述べているようだが、
意図するところは実は、自分がレビューした内容に関する釈明なのである。
本来②のタイプである作品の本質を見誤り、見当違いの解釈をしていたという訳だ。

「平家幻想記」と称する上の文章の「Ⅲ」と「Ⅳ」において、
徳子に具現される普遍的な「母性」による救済がテーマ的な収斂点になると考え、
最終話にその集約となる場面があるはずだと予想していたのだが、
原典どおりの「大原御幸」が淡々と描かれるばかりで、見事に空振りに終わってしまった。
とは言え、すべて的外れだったかというと必ずしもそうではない。
びわが内包する「表現者」の運命への直観にもとづいた「Ⅱ」の読解が
ほぼ正しかったことは、壇ノ浦のラストシーンで証明されたように思う。

徳子の場合もびわの場合も、推論のプロセスは同じである。
即ち、モチーフと設定が孕む潜在的な劇性を最大限に引き出すこと、ただそれだけだ。
それこそが理論以前のドラマツルギーの大前提であり、根源的な要請だとする
ナイーブな信念によって、自分のこれまでのレビューはすべて書かれている。
今回、一方が正解で、他方が無茶振りに終わった理由を考えると、
本作には最初から思想方面の志向がなかったという結論になるのではないか。

象徴的なのは、全編を締めくくるラストシーンである。
多くの人々の想いが縒り合わされて、一筋の祈りの糸となり、
「祇園精舎」の冒頭句が連禱のように唱和され、その声は響き交わし
すべてが祈りへと昇華されてゆく、息を呑むような荘厳さの中で物語が結ばれる。

テーマ的な収斂点であるはずの「祈り」はこのように、実に感覚的に表現される。
②の「音楽性や視覚性」の採用は最後まで徹底しているわけである。
その内容も徳子自身の来世と一門の冥福に向けられた限定的なものであり、
前に示唆された「赦し」の普遍的な抱擁性からも逸脱してしまっている。
テーマ面での不徹底さが逆に露呈している部分だと思う。

最後に、上で引用した一節はこう締めくくられている、

「どちらかといえば、西洋の演劇は前者の、
 東洋の演劇は後者の傾向が強いといえよう。」

「平家物語」を扱うのなら、西洋的な論理性よりも
東洋風の感性的アプローチこそが自然であり、最良であることに異論はない。
若い時分に外国の文学と格闘し、西洋式な見方がこびりついている自分は
やはり偏向しており、本作を十分に味わい得なかったことを率直に認めよう。
思想性云々はさておき、本作が比類なく美しいアニメであることに間違いはない。

以上を踏まえて本作を次のように総括したい。
確かに「山田尚子の平家物語」としては、一定の評価を得るだろう。だが、
自分が期待していたような、現代的な視角を導入して古典に生命を吹き込む、
我々のための真に新たな「物語」の創造には至らなかったようである。
{/netabare}


主観的なイメージを虚しく追い求め、結果的に座礁したこれらの雑文は
削除して然るべきものだが、考えようによっては一種の思考実験とも言えそうだ。
身贔屓のようでも、当面はこのままにしておきたいと思う。

タイトルの「幻想」の含意も変化している。以前は単に、
誘発された想念を好き勝手に書きつける、といった程度の意味合いだったが、
今は少し違う。これらの記述は、あるいは別の世界線に存在したかも知れない(笑)、
もう一つの「平家物語」をめぐる、ささやかな幻想の記録なのである。


(2022.2.3、初投稿。6.20、修正完了。)

投稿 : 2022/06/21
閲覧 : 2500
サンキュー:

29

ネタバレ

ぺー さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 3.5 作画 : 4.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

雰囲気の功罪

そのまんまお馴染みの古典をモチーフに山田尚子氏がメガホンをとり、複数作品でタッグを組んだ牛尾憲輔氏が音楽を担当。さらにシリーズ構成/脚本に吉田玲子氏を迎えるとなると期待せざるを得ません。声優陣も盤石な配置。
一方でこれだけ化物級の古典となると、史実との辻褄合わせもさることながら合わせて原本とダブルでの整合性を求められる難しい側面もあったりするのが悩みどころです。

 エンタメとの両立ができるか?

長年読み継がれてきた原典はその事実をもって価値ありと断言できましょう。面白みは最高の素材をどう作り手が咀嚼してるか次第です。面白いとなっても以下のような受け止め方になろうかと思います。
 第一形態:辻褄はともかく単体で面白い佳作
 第二形態:元ネタの匂いを感じる良品
 最終形態:原典へのリスペクトを感じる名作


もともと『平家物語』作者は信濃前司行長とされてますが、琵琶法師の口伝が元ネタとの論も根強く、本作で琵琶法師の少女びわ(CV悠木碧)が観察者視点で物語に関与している点は小町…じゃなかった、、、ペー的にポイント高いです。
細部はともかく源平の顛末を知らない人はさすがにいないでしょう。結末を知ってる上での全11話を終えての感想。古典で答えに窮した時の模範解答↓

 {netabare}趣きがある{/netabare}

冒頭の答え合わせをすると“第二形態”となりましょうや。
結末を知っているのは我々だけではなくびわも一緒という設定。平家視点で描かれる群像劇は彼らに肩入れしながら知っていてもなにもできない無力感とセットです。琵琶を鳴らしながらの悠木さんの芝居も素晴らしい。納得のキャスティングでした。ヒロイン的な役どころは早見さん担当になるのでしょう。品が出ますね。
また良い意味での雰囲気お化け山田監督の映像に芝居させる手法も健在。やや平面的なデザインは絵巻物のようでこれまた趣きがあるといったところでしょうか。平家カラー赤色の椿が千々になるカットが幾度挿入されるのも印象的です。沙羅双樹の花の色は一説では白味がかった黄色と聞きますが、楽器琵琶の黄色味と語り手びわの白髪との配色で盛者必衰の理をあらわしてたのかもしれません。
{netabare}びわといえばやっと見つけた母が呼んでた実名“あさぎ”にも感慨深いものがあります。≪浅葱≫はやや青みがかった色を指し、母と同じオッドアイの着色と一緒。そんな母との繋がりを成り行きからか未来視できる己を疎んだかびわはあさぎ呼びを否定しますが、口とは裏腹に浅葱色の眼を平家の行く末を語り伝えるために使うと覚悟を決めたのはこの再会からでした。さらにあさぎ呼びを拒絶し「お達者で」と母と今生の別れを済ませながらも肌身離さなかった琵琶は≪浅黄≫薄い黄色すなわち沙羅双樹の花の色でもあったのです。うーん、掛詞。{/netabare}
映像だけではありません。今期OPとED双方を早送りしなかったのは本作のみでした。世が乱れようがきっと「世界は美しい」と歌いあげてる羊文学さんの曲も読経のようなスチャANIさんのも本作に合ってるのですよ。

保元・平治の乱以降、福原京への遷都そして屋島・壇ノ浦そして{netabare}大原御幸{/netabare}までをこの尺で取捨選択しながらやるのは至難の業だったと思われますが程よくまとまっていたと思います。
視点を平家に置いて浮気せず、平○盛ら盛々シリーズを程よく拾いながら徳子(CV早見沙織)を彼らより少しばかり前に出して平家方の“迷い”と“覚悟”を語らせる。ここがブレません。安徳天皇の故事をここで知って歴史に興味をもつなんてこともありそうです。


■まとめ:第二形態の理由

今クールの中でもトップクラスに良い作品。
抒情的な演出が得意な監督の芸風に沿った全11話とも言えます。作り手の咀嚼っぷりも魔改造してなくて一安心。そりゃ個別では首傾げるとこありましたが『平家物語』と銘打つ以上独自解釈に思いっきり舵を取るのは危険と判断したのでしょう。
その一方で抒情性に身を委ねたいわりにはどうしても故事(事件)の挿入っぷりが叙事的であっさりしていること。「○○があった」以上以下でもないと見えるのは良し悪しでしょうね。これは好みだと思います。いちいち拾うものなら資盛と徳子に仕えてる伊子(建礼門院右京大夫)のネタだけで3~4話できますもん。白拍子三人娘の片割れ(静御前)なんかもそう。モブが豪華すぎるのが悪いです。



※閑話休題

■はるばる壇之浦

数年前に壇ノ浦古戦場訪れた時紙芝居やっていました。演目は『耳なし芳一』。おじさんの迫真の芝居とプレイヤーから流れる琵琶の音色で娘がガン泣きしたのは良い思い出です。
今思えば安徳天皇陵ある赤間神宮行っておけばよかったです。隣接してる春帆楼には行ったのに。



視聴時期:2022年1月~3月 リアタイ

-----


2022.03.29 初稿

投稿 : 2022/06/15
閲覧 : 629
サンキュー:

60

ネタバレ

masasan さんの感想・評価

★★★★★ 4.2
物語 : 4.5 作画 : 4.0 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

見事!

「敦盛の最期」をどう描くのかが、観る前からずっと気になって
ました。このくだりは中学2年生の国語の教科書に載ってます。

物の見方によっては、ホモセクシャルのような印象を与えてし
まうので、そのあたりを吉田玲さんがどう解釈するかを楽しみ?
にしていました。

見事でした。平家物語の無常観と悲哀が伝わってきた!

次は「宇治拾遺物語」とかやってほしいですね。古典はオチ
がないので難しいとは思いますが。

投稿 : 2022/05/27
閲覧 : 194
サンキュー:

10

ネタバレ

たわし(爆豪) さんの感想・評価

★★★★★ 4.3
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

滅び行く者たちへの鎮魂歌

今更、「源平合戦」の話をするのは「第二次世界大戦」の話をするのと同じくらいむず痒さがするもので、

なぜなら「当事者」ではないからである。

昔話として聞かされた。。あるいは歴史の授業でといった形であり、

僕の世代より若かったりすると尚更だったりする。

しかし、アニメーションという技術で当時の出来事を取り扱う際、歴史的整合性より、当時の人々の感情をよりダイナミックに表現できるという意味では、大河ドラマよりも相性が良いのかもしれない。

しかも、西洋的な「何かを成し遂げて勝利を目指す」ような正にメシア(キリスト)の復活譚より、「人間の命の貴さ、儚さ」を謳う日本の精神性がこの作品をより文芸の域まで押し上げている。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。

色即是空、空即是色。

何事も始まりがあり、終わりがあるのです。

投稿 : 2022/05/14
閲覧 : 645
サンキュー:

29

take_0(ゼロ) さんの感想・評価

★★★★★ 4.6
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

びわは私たちですね・・・。

・平家にあらずんば、人にあらず・・・。
・驕る平家は久しからず・・・。
・祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・。

まぁ、日本人なら必ず聞いたことのあるフレーズではないかと思います。
主に授業で、かもしれませんが。


恥ずかしながら、私はいわゆる「古典」というモノにあまり興味が湧かず・・・。
授業でも現代文あたりは得意だったのですが、古典というとからっきし・・・。
某NHKのマンガで読む枕草子で納言ちゃんの力を借り、やっと古典というのも面白いかな、と実感した実績の持ち主ですw。

その後も、源氏物語くらいは・・・読んでおかねばと思い挫折し、オーディオならいけるかもと平家物語の朗読を聞いていて、語りがあまりにもおどろおどろしいもので挫折したりと散々でした。

もちろんどの物語も、あらすじというか、概略は知識として知ってはいるのですが、全体のストーリーを通読したことは無いという次第でして・・・いやはや、お恥ずかしい。

で、この作品でやっと通して話をひととおり通して観たという事になるのかもしれません。


私はこの作品は、なんとも不思議な作品だという印象を持ちました。
古典を読むと言うと、文字ばかりが目についてあまり人物の印象が湧かなかったのですが、この作品の平氏の皆さんはとても表情豊か、そして歌い、笑い、踊り、嫌味を言い、そして知性や教養も感じられる穏やかな話しぶり。
「驕る平家~」のワードであたかも悪人とは言わないまでも、自業自得というイメージが先行していた私はカルチャーショックを受けました。
もちろんアニメ作品の中での話なので、実際の過去の人物たちがどうだったかは知る由もありません。
あくまでも、この作品から受けるイメージです。
ですが、本当に雅で風雅なイメージを受けたのです、確かにおごり高ぶった我が世の春がいつまでも続くような慢心も感じられましたけどね。

当たり前の話ですが、実際もいろいろな考えの人が存在していたのでしょうね。
ホントのところは解りませんね、伝わってきているお話からしか想像することはできませんし。


さて、物語的にはびわの視点が重要になってきていました。
正に「視点」です。
最初はその目に悩み、翻弄されていたびわですが、母に会えたことによって自身の「やるべき事」を決めました。
それまでは、見る事しかできな自分に戸惑い、悩み、苦悩をしていました。

ある意味びわは私たちかもしれませんね。
私たちもこの「平家物語」という作品を観るにあたっては、既に平家の運命を知っています。
それぞれの人物がどうなるか、既に知っているのです、そしてそれは変えられない。
監督の山田尚子さんならIFの展開を使って、変えられたかもwなどというメタな冗談はさておいて・・・。

そうなんですよ、私たちもこの平家物語を見始めた時から、何も変えることが出来ずに、ただ見ているだけ、そして、この物語が印象に残れば、後に伝えていく・・・。
正にびわと同じ立場です。
ただし、実際にその場で同じ空気を吸い、人生の一時を共にしたであろうびわと全く同じとは言えませんが。

てな事を思った訳です。

それにしても、びわ役の結木碧さん、凄いですね。
とても多彩な表情を見せる魅力的なキャラクターでした。
演技、表現も素晴らしかったです。
本当に多彩なキャラクターを演じられるものだと関心をしました。

あと音楽。
OPの「光るとき」
素晴らしい曲でした、涼やかで、軽やかで、華やかで、そしてほんの少し物悲しい。
「最終回のストーリーは初めから決まっていたとしても~♪」
正に、この物語のための曲という感じがしました。

ED・・・まさかラップ調とは!!
しかしながら、よく考えれば平家物語のびわ付きの朗読と少し似ているかも・・・と思ったら、意外なほどあっさりと受け入れられました。

OP/EDとも、物語とマッチしていたと思います。
素晴らしかった。


あと、あえて言うならば、古典が苦手の私が言うのも何なのですが、もう数話プラスして、有名どころの合戦の描写があっても良かった気がしたかなぁ。
もう少しボリュームがあっても良かったというか・・・。
でも、合戦メインじゃなくて、平家の人たち≒人物の流れに焦点を当てたかったのかなぁ、という思いもしました。

全体的にとても優れた作品だったと思います。
機会があったら、ぜひ視聴をしてみて欲しいと思いました。

投稿 : 2022/05/10
閲覧 : 341
サンキュー:

39

Ka-ZZ(★) さんの感想・評価

★★★★☆ 3.9
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.0 状態:観終わった

そなたらのこと、かならず語り継ごうぞ…

山田尚子監督のこの作品…
「けいおん!」、「たまこまーけっと」、「映画 聲の形」、「リズと青い鳥」など、京都アニメーションを代表する数々の作品を輩出してきた方です。
改めて書き出さなくても、ご存じの方は多いと思います。

多分、この作品を視聴する前に私が一番ビックリしたのは、この作品のアニメーション制作が京都アニメーションでは無かったことです。

この作品のアニメーション制作は、サイエンスSARUさん…
これまで、「映像研には手を出すな!」「DEVILMAN crybaby」「日本沈没2020」などを手掛けてこられた会社です。
そう言われてみると、確かに映像研とこの作品では作画の雰囲気に共通項があったかもしれません。

そもそも山田監督は、京アニの監督さんじゃなかったんですか…!?
と思ってwiki先生をチラ見しましたが…正直良く分かりませんでした。
wikiには「現在の所属は不明」とだけ記載がありました。

あくまで個人的見解ですけど、いま京アニは必死に立て直しを図っているのだと思っています。
あの事件で多くの優秀な人材を失いましたので…
そんな時こそ、会社の顔となる山田監督の大きさが皆さんの支えになると思っていましたが、同時に対応できる作品にも限りがあるでしょうから、ただこの作品を京アニ以外の制作会社と一緒に作っただけと捉えれば、何の違和感も感じませんよね。

また、山田監督の京アニ作品が視聴できるのを楽しみにしています。


800年の時を超える祈りの物語

《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》

平安末期。平家一門は、権力・武力・財力あらゆる面で
栄華を極めようとしていた。

亡者が見える目を持つ男・平重盛は、
未来(さき)が見える目を持つ琵琶法師の少女・びわに出会い、
「お前たちはじき滅びる」と予言される。

貴族社会から武家社会へ――
日本が歴史的転換を果たす、激動の15年が幕を開ける。


公式HPのINTRODUCTIONを引用させて頂きました。

義務教育の過程で誰もが学んだ平氏と源氏の物語…
その中でも繁栄の限りを尽くしていた平氏が、徐々に衰退に向かう様が色濃く描かれており、終始興味深く視聴することができました。

私は日本史では戦国時代が圧倒的に大好きだったので、平安末期の日本史は、教科書をなぞる程度しか勉強しませんでした。
そのため、恥ずかしながら平清盛の親戚では、存じ上げない方が沢山おりました。

ですが、動かし得ない大きな歴史の流れの中で、然るべき出来事や登場人物が、躍動していたのはしっかり感じさせて貰いましたよ。
あおちゃんが演じていた「びわ」は、アニメのオリジナルキャラクターとの事ですが、物語の展開が全体を俯瞰できる「びわ」の視点だったからこそ、「平家物語」を感じることが出来たのだと思っています。

また、はやみん演じた平 徳子が、こんなにも波乱万丈な人生を過ごしていたことを、この作品を視聴して知りました。

平氏、源氏や源平合戦などは誰もが知っているけれど、本当に好きな人以外は歴史を深掘りしておらず、視聴層は私の様に歴史の上辺しか知らない方が過半を超えていたと思います。
それでもしっかり堪能できる作品に仕上がっていたのは、山田監督の手腕にほかならないのでしょう。
気になる方は是非本編でご確認頂ければと思います。

オープニングテーマは、羊文学さんによる「光るとき」
エンディングテーマは、agraph feat.ANIさんによる「unified perspective」

1クール全11話の物語でした。
視聴前は作画に抵抗が無かったと言えば語弊がありますが、一旦視聴を始めたら一気見できる作品だったと思います。

声優さんの演技も素晴らしいので、少しでも琴線に触れるモノがある方は視聴を躊躇わなくても宜しいかと思います。
私はしっかり堪能させて頂きました。

投稿 : 2022/05/06
閲覧 : 336
サンキュー:

36

ネタバレ

天地人Ⅱ さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:観終わった

私的アニメ感想簿45

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
の有名な一節から始まる平家物語のアニメです。
栄華を誇った平家が壇ノ浦の戦いで滅んでしまうまでの物語を描くのですが、結論から言うと期待以上でした。
転生したり過去に戻って歴史を改変する訳じゃないですから、結果はもうわかっているのですが、日本人ってやっぱり滅びゆく物語が好きなんでしょうかね。

第1話
宴会をする平家一門
清盛
「んーフフッ」
時忠
「アニメを語るに、あにこれ以外に人はおらぬのかというほどの昇りつめ方」
「いや!このあにこれ投稿者でない者なぞ、人にあらず」
数年前の、あのあにこれの人気が僅か数年でこんなに過疎化するなんで、まさに盛者必衰のことわりをあらわすと言え(ぎゃ~~~っ)

はっ、俺は何を言ってたんだろう(おいっ)
まあ気を取り直して(汗)頼朝、木曽義仲挙兵など途中から物語は一気に進んでいきます。
一応皆が知ってると思われる出来事はサラッとですが、描かれており、平家の落ちぶれていく様が、悲しみを一層引き立出せていました。
海の上ならば平家に利がある
というか、中国の「南船北馬」ならぬ「西船東馬」でしょうか。
それさえも最後の壇ノ浦の戦いでは数で源氏が上回り、更に源氏に付く豪族が現れ、潮の流れが変わるとともに滅んしまいます。

おまけ
知盛
「平家物語の感想は今日を限り。者共、退く心を持つな!投稿を惜しむな、ネタを惜しめ!」
そ、そうなんだ。よしここは俺もネタを惜しまずぶち込んで(違)

おまけ2
後白河法皇
「どうすれば、あにこれの過疎化を越えることが出来るのかのう」
徳子
「投稿を・・・わたくしにもまだ、忘れられぬ思いがございます。ですのでただ、ただこうして作品を、愛するアニメを思い、その感想を書いているのでございます。」
「ただそれが、私に出来る事。」
「そう教えてくれた天地人もまた、アニメのためにネタを、人々に語り継いでくれております。」

そ、そうだったのか、よし今後もアニメのネタをどんどん(うぎゃ~っ)

投稿 : 2022/05/04
閲覧 : 213
サンキュー:

19

ネタバレ

101匹足利尊氏 さんの感想・評価

★★★★★ 4.5
物語 : 4.5 作画 : 4.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

諸行無常を悟るための叙情詩

原作となった古川 日出男氏の訳本は未読。

【物語 4.5点】
叙事詩でなく、叙情詩を……との山田 尚子監督らの方針により、
歴史の再現より、琵琶法師たちが時代を越えて語り継いで来た物語を重視。
現代人にとっては迷信である神仏や呪いも、
当時の人々があると信じて語り継いで来たなら、ある物として可視化される。
歴史上の有名人も多数登場するが、
時代を作った偉人としてではなく、より人間味溢れるキャラとして描写する。

作中は和暦、西暦含め年号もろくに出てこない。
夜の場面はいつも満月と月齢も無視。

無味乾燥になりがちな年代記としての要素を排除し、
人間ドラマ成分で加湿する姿勢が徹底している。


【作画 4.5点】
アニメーション制作・サイエンスSARU

必ずしも美男美女ばかりではない。
キャラクターデザイン・高野 文子氏の時に面長にデフォルメされた顔立ちが、
絵巻物風のフィルターで構築された映像にマッチ。

家族としての平家などを描く場面では人物描写もコミカル。
まさか『平家物語』で、びわちゃんのグルグルパンチが繰り出されるとはw
対して落花の瞬間の如く、命が摘み取られる合戦シーン、入水シーンなどは、
背筋が凍るほど呆気ないリアル志向で盛者必衰の理を思い知らせる。

硬軟織り交ぜた芸術的な映像表現で作品を引き締める。


背景美術で目立つのが花。
これだけ意味有りげに見せつけられると花言葉とか調べたくなります。

平家のおごりを示唆する水仙(スイセン)とか。
戦場に散った髑髏(しゃれこうべ)に咲き乱れ、
平維盛にトラウマ忘却を許さない紫苑(シオン)とか。

そんな中、一番印象に残ったのが都忘れ(ミヤコワスレ)
{netabare}9話。びわと母の再会シーンにて。「別れ」などが花言葉の都忘れだが、
その由来は源平合戦より時代が下った承久の乱。
佐渡に流された順徳天皇が都に咲いたこの花を想って詠んだ和歌より。
ここでも時代超越の方針が貫かれています。{/netabare}
奇しくも今年、視聴中の大河ドラマも中世・鎌倉時代の北条氏が主役ですが、
後の回で都忘れに"再会”できるかどうか。
このアニメのお陰でますます楽しみが増えています。


【キャラ 4.5点】
古典『平家物語』の元となった多数の琵琶法師の視点。
それらを、主人公の琵琶法師・びわに集約させ、各場面を行脚させる。

狂言回しポジションの架空主人公は、
諸事情に関わるけど、結局何もできず、埋没しがち。
が、びわの場合は、未来を見通す瞳という能力設定(後には{netabare}平重盛の過去を見る瞳を統合{/netabare})まで与え、
むしろ全て見えるが、何もできないもどかしさを強調。
その葛藤を乗り越えることで、平家一門の行く末を見届け、語り継ぐ意義を悟らせ、
古典『平家物語』成立の意義をも再定義させる力強さ。


人間味を強調した平家一門で心に残ったのは戦にビビる若い連中。
戦場で人を殺す畏れを“武士の誇り”のメッキで誤魔化さず描いた点。
この辺りは平家主役のドラマですらも、文弱な平家はもはや武門にあらずと嘆く所。
このアニメは悪夢も交えて、そりゃ戦は怖いよね人間だものというレベルにまで良い意味で落としてくる。

武士としては源義経や木曽義仲の方が有能には違いないが、
本作の源氏は人間としてあるべき歯止めが幾つか欠けている
サイコパスな感じが伝わって来ますw

この人間と武士の仮面の狭間の濃密な人物描写の極みが、
{netabare}9話『敦盛』のエピソード。{/netabare}古典の名場面がさらに高まり、琴線に触れました。


【声優 5.0点】
主人公びわ役の悠木 碧さん。
平資盛をイジってふざけたかと思えば、琵琶を手に圧巻の語り口で歌い上げたりする。
濁声を使い分ける技術は円熟の域。

平徳子役の早見 沙織さん。
お馴染みの透明度の高いボイスに
「許して、許して……許すの」だけど割り切れず溢れ出す涙とか、
煩悩を深く織り交ぜる好演で、悟りの境地に到達。

このお二人が中堅ベテランの域に入る声優界の未来が楽しみでなりません。


平家主役の作品ではいつも鍵を握る平重盛役も櫻井 孝宏さんで盤石。
京の都では平清盛役の玄田 哲章さんと、後白河法皇役の千葉 繁さん、両ベテランが化かしあい、
逃げる平家を一匹残らず駆逐しに源義経役の梶 裕貴さんが飛んで来るなど、
キャストは一部の隙きもない豪華布陣。


【音楽 4.0点】
劇伴担当は牛尾 憲輔氏。
ロックに電子音も飛び交い、和楽器に絡み合う独特な構成。
後白河法皇が今様にうつつを抜かし喉を痛めたりするw
フリーダムな中世世界に切り込んでいると言えばいえるのでしょうが。
京に政変ムードが漂う時にギターを疾走させる「unknown plan」とか本当に独特w

これだけなら奇をてらっている?となりますが、
琵琶演奏には監修を付け、戦場と日常で音色を使い分けるなど、
笛の音色とも合わせて、ここが中世だと思い知らせてくれます。


OP主題歌は羊文学「光るとき」
これも現代バンド音楽だが、“何回だって言うよ、世界は美しいよ”と歌詞はテーマを芯で捉える。

ED主題歌は牛尾 憲輔氏のソロ・プロジェクトagraph(アグラフ)「unified perspective」で、
ラッパー・ANIが古語で韻を踏みだすw
だが、過去・現在・未来、多くの語り手……びわの視点へと統合されていく作品の流れには乗れている。


【感想】
シャカが祇園精舎と訳された寺院にて説法していた頃、
諸行無常とは、移り変わる世界のありのままを受け入れる仏法の真理であり、
そこに人生を儚んだりする心理はなかった。
が、古典『平家物語』は無常に悲哀の心情を重ね、
祇園精舎にありもしなかった鐘の音まで設定し、平家の命運を嘆いたのだ。

というのが私が義務教育にて『平家物語』を学んだ際の印象。
『平家物語』は仏法には不必要な感情を込めてしまった悟れない古典という感想を抱きました。

が、アニメ『平家物語』にて豊潤な叙情詩を受け止めた後だと、
人間、精一杯、笑って、泣いてからじゃないと、
穏やかな諸行無常の真理には到達できない。
物語を語り継ぐことは愚かではないと諭された気分です。

この時代の出家も、どちらかと言えば、世を儚んだ、逃げの一手の印象でしたが、
{netabare}徳子や白拍子・祇王とかつて清盛を奪い合った女たち、{/netabare}
尼となった彼女たちの澄み切った境地には心を洗われました。

何よりラストただの暗記文だった「祇園精舎の鐘の声~」で泣かされるとは……。

アニメの芸術性だけでなく、古典の価値をも高めた逸品です♪

投稿 : 2022/05/02
閲覧 : 513
サンキュー:

50

ネタバレ

シン☆ジ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.6
物語 : 3.5 作画 : 3.5 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 3.5 状態:観終わった

諸行は無常。。盛者は必衰なり 

 
 世の万物は常に変わり永遠に変わらないものはない。
 栄えるものはいつかは衰退してゆく。

 今も昔も、東も西も、
 人間はなんと、殺し合いを避けられぬ生き物なのでしょう。
 その愚かさこそが普遍かと思えるのは皮肉なものです。

 奢れる者は久しからず。。
 某国の虐殺大統領に聞かせたい。
 力で得たものは必ずどこかで歪みを産み、
 安易に定着しないことは歴史が証明しているというのに。

さて・・
そんな想いに耽ってばかりもいられませんね。
作品に関して触れていきましょう。

で、ナゼに平家物語なのでしょうか。
同時期に某局大河ドラマで源氏の物語が放映されていることと無関係であるとは考えにくいですね。
誰かが源平の物語が注目されると考えたであろうことは、想像でしかないとは言え否定する方が無理があるように思えます。

そして、そこに山田監督を当てた。これは理解できる判断だったかと。
そして、そこに山田監督が応えた。これも納得できることかと。

いや、何よりも・・
山田監督が元気そうでよかった・・ホント。
(個人的な想いなので畳んどきましょう)
~{netabare}
けいおん!など数々の名作をこの世に送り出した山田監督。
さらに利府映画館の舞台挨拶でナマ山田を拝見した時から崇拝に近い対象となってしまいました。

その山田監督が、アノ放火事件後にどういう状態にあるのか、とても心配していましたが、本作品の監督ということを知り、そのPR動画を拝見し、お元気そうな姿を見て、本当に・・本当に安堵いたしました。
京アニを辞めたのかも思いましたが、京アニからもご本人からも発表なし。ということは、辞めてはいないのでしょう。
京アニで仕事をする以上、否応なしに事件を思い出すこともあるでしょうから、外の仕事で再起をして様子を見ているのでは、と勝手に思っています。もちろんその結果、京アニを出る選択も有り得るとは思います。どんな選択であれ私は山田監督に対し感謝し応援するのみです。。
{/netabare}~

■原作
 鎌倉時代の軍記物語(作者不明)・・
 これを元に現代語訳した同名作品が原作。

■制作
 サイエンスSARU・・といえば
 映像研~は面白かったですが
 日本沈没2020は作画的に、う~ん・・でしたねぇ
 山田監督の手掛ける作品にケチがつかないようにと願いましたが、
 まあ、悪くはなかったかと。

■監督:山田尚子 シリーズ構成・脚本:吉田玲子
 このコンビ。期待しかない。
 そしてその期待に応えてくれました。

■感想
 冒頭でも触れましたが、
 第三次世界大戦すらも絵空事とは言えないような今、
 この物語が世の中に浮上してきたことは何かを暗示しているのでは
 とさえ思えてしまいます。

 権力、栄華、差別、格差、憎しみ、戦争・・そして滅び。
 これを伝える昔の日本の物語が、
 今の日本の文化であるアニメという形で、
 また人々に伝えられました。

 何も知らず単体のアニメとしてだけ見れば、
 無理のある展開のような気さえしますが、
 これが史実に基づいた物語というのだから、
 歴史というのはいかに無残で有り得ないような物語の繰り返しであることか。

 もちろん伝承の過程で脚色などがあった可能性は否めませんが。
 この作品は他のアニメ作品と単純に比べるのではなく、
 メディアや形態を変えた日本の史記の伝承の一つとして
 捉えた方がいいかもしれません。

 とはいえ、手放しで褒めるのも違うかな・・
 ~{netabare}
 ・主人子ビワが唄うとき、字幕が欲しかったw
 ・キャラクター登場の際、名前を出して欲しかったw
 ・ちゃんと略奪シーンも描いたのは良かった
  ほんの少しだけだったけど。。
 ・争いの悲哀が中心で暗めだったのは仕方ないとして、
  キャラの顔がギャグ寄りでちょっと感情移入しづらかった
 ・物語に関係ない猫のエピソードを入れるところなんか、
  人々の日常を思わせる効果も含めてさすが。
  ただその猫が可愛くないのは残念。
  まあ敢えての判断でしょうけど。
 {/netabare}~

声優陣も蒼々たるメンバーでした。
悠木さんはハマリ役だったかと。
そして、はやみんの声が唯一と言えるほどの癒しでした。

さすがの監督と脚本のコンビだけあって
背景や表情や声や音などを組み合わせ、
アニメとしても見どころのある作品に仕上がっていたかと。

でもこれがもし京アニが手掛けた劇場版だったら・・
きっとクオリティーは違っていたでしょうね。
まあ観客数が見込めるかと言われれば疑問なので
これが最善の形だったとも思えます。

これがきっかけで、源氏物語とか枕草子とか、
もっと史記や伝記がアニメ化され、
バリエーションも増えてくれればいいなーと思える一作でした。
 

投稿 : 2022/05/02
閲覧 : 233
サンキュー:

29

ネタバレ

カミタマン さんの感想・評価

★★★☆☆ 2.5
物語 : 2.5 作画 : 2.5 声優 : 2.5 音楽 : 2.5 キャラ : 2.5 状態:観終わった

最終回のストーリーは,始めから決まっていたとしても

2022/04/27 初投稿

アニメ本編と関係ないことを長々と書いてしまったので,たたんでおきます。
{netabare}
「平家物語」と言えば皆さんそうでしょうが中学校の時,暗唱させられた
これ↓
祇園精舍の鐘の音,諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色,盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず,ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ,ひとへに風の前の塵に同じ。

ブツブツ文句を言いながら仕方なしに暗唱しました・・・

しかし,今思うに名文ですね。
音の響きやリズム感の良さ(琵琶法師の語りはリズム感皆無^^;琵琶法師よりむしろラップ調に読んだ方が原文の良さが生かせると思いますw)
祇園精舎,沙羅双樹といった想像力を刺激する単語
上記2語と対になる,諸行無常,盛者必衰の仏教的四文字熟語
音・内容全てにおいてパーフェクト
声に出して読みたい日本語筆頭です。(強力なライバルとして「方丈記」の冒頭がありますが,出だしのパンチ力では圧倒的に「平家物語」だと思います。いい文章が続くのは「方丈記」のほうですが・・・)

自分の中に財産として残っている感,クエストをクリアするみたいな達成感。
暗唱する価値はあったと素直に思います。


残念ながら「平家物語」はこの後の
「遠く異朝をとぶらへば~」
からは急速に興味が持てなくなる駄文に感じます・・・


なぜ,駄文と感じるのかというと,自分の国語力の無さかも知れませんが

軍記物というジャンルに分類されているにもかかわらず,戦いの手に汗握るスリル感が無いこと。
テーマが諸行無常にもかかわらず,滅んでいく平家側の心理描写が弱いためあまり感情移入できないことが理由では無いかと思います。

おそらく,これが古典の限界なのかも知れません。
現代に比べて,物語を作る人間の母数が全く違います。
蓄積された表現のための経験値も全く違います。
冒頭以外は,率直に言って文学的に稚拙な作品と個人的には感じてしまいます。おそらく,現代の「なろう系」と比較しても表現的に大したことないだろうと思います。(あくまで個人の感想です。)
{/netabare}

そんな無闇にネームバリューが大きく,弱点を抱えた原作をどのように料理するか,かなり興味を持って見ました。



すごかった点

羊文学によるOP曲「光るとき」
曲もさることながら歌詞が秀逸でした。
出だし「あの花が~」を聞けば必然的に,沙羅双樹の花がイメージされます。実際の沙羅双樹の花はイメージできないのですが・・・中学時代に暗唱して頭の中にある沙羅双樹の抽象的なイメージが(笑)
「最終回のストーリーははじめから決まっていたとしても」と滅亡が確定している,平氏の現在姿をポジティブに爽やかに歌い上げながらも諸行無常,盛者必衰を感じさせます。そして,諸行無常の作品テーマを受けて
「永遠なんて無いとしたら,この最悪な時代もきっと続かないでしょう」と現代社会に生きる我々へのメッセージを投げかけています。
プレイリスト入りしました!

背景
和の雰囲気を感じさせながらもモダンな美しい絵


イマイチだった点

キャラクターデザイン
デフォルメ強すぎで背景の良さを消しているのでは?(あと些細な事ですが,目の内側と外側が逆のような気がして違和感^^;)

メインストーリー
原作に忠実すぎて,戦の臨場感・スリル感も心理描写も弱め。
もっと大胆に描いて欲しかった。

ということで,平家物語のアニメ化という攻めた企画でしたが
内容は守りには入って,盛り上がりは今ひとつという印象でした。

投稿 : 2022/04/27
閲覧 : 380
サンキュー:

37

ネタバレ

薄雪草 さんの感想・評価

★★★★★ 4.8
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 4.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

祇園精舎に浄玻璃(じょうはり)の音、響くなり。

「平家物語」というと、国語または古典の教科書というのが "入り口" です。

初発は、明治13年。
和漢混交文の教材として登場しました。
当時は、漢文学習が最高位の扱いでしたが、時代の要請もあって、国語の文字を書き取ることを目的に、かな文を混ぜるようになりました。
いわゆる文語体です。

たとえば、森鴎外の「舞姫」に「一盞(ひとつき)のカツフエエ」なる文語体がありますが、何のことだか難しいですね。
口語体だと、難なく「一杯のコーヒー」となります。
漢文ではどう書くのでしょう?

次いで、明治41年。
言文一致運動の広がりに伴って、教科書の役割は、書くことから、文の意味、論理性、イデオロギー性を読み取ることが主流になります。
つまり、物語の内容の理解や解釈が、学習の柱になったというわけです。

その頃の平家物語の扱いはというと "自己犠牲や忠義" を教える材料でした。
具体的には「鵯(ひよどり)越、忠度都落、倶利伽羅峠、弓流し」などです。
勇猛な戦闘行為を、朗読・記述したり、志向することが推奨されていたわけですね。

昭和20年。
敗戦により平和国家主義が標榜されたことで、教科書に「祇園精舎」が登場します。
平家=祇園精舎=無常、悲劇、喪失。
そんな公式めいた印象が記憶に刻まれているのではないでしょうか。

平家物語には様々な要素・エピソードがあり、歴史ものとしても一級品です。
大河ドラマにも、軍記ものとしてしばしば取り上げられていますね。
とまれ、平家物語は、戦前戦後を境にして、文化的理解とその土壌に大きな違いがあると思われます。

ひとつ留意すべきことは、平成の時代に『古文漢文』が選択科目となっていることです。
歴史文学の言辞の美しさ、琵琶語りの豊かな音楽性、もののあはれの神髄や多様性などに触れうる未来性が削がれる歯がゆさを感じます。
つい目先の刹那に追われ、刻々に流されてしまっては、『諸行無常の響き』に昵懇できる "俺お前の仲" も危ぶまれそうです。

悠久の歴史こそ日本文化の基底を成すもの。
800年を超えて語り継がれる平家物語ですから、本作を入り口にして、もう一度アプローチしてみるのもいいかもしれません。

~ ~ ~ ~ ~

平曲。
いわゆる琵琶法師が歌う物語です。
歴史的には「平家」と呼ぶのが正式なのだそうです。(平曲には、もともと別の意味があります。)
また、もとは法師が語り歩いたことから、歌うよりも、語ると呼んだほうが適切らしいです。

13世紀末の『普通唱導集』という本に、琵琶法師が語ったとの記載が見られます。
14世紀には、明石覚一という名人が出て、いわゆる「覚一本」というバージョンものがあり、これが今の主流の一つです。
この覚一本は、彼の語りを後世に残すために作られたとも言われています。先人の皆さん、GJです!

教科書ですと、読むことから始めますので読本という感覚が強いですが、そもそもは法師による語りであり、それは平氏滅亡への "鎮魂歌" でもありました。
今は、その流儀は名古屋に伝承されていて、1955年に「記録保存の措置を講ずべき無形文化財」にも指定されています。(ちなみに津軽にも伝承があるそうです)。

もとより芸能は、師から弟子への直伝が基本。
これを支える方策(演奏機会の確保、恒常的な稽古の機会づくり、書記的な伝承手段の改訂など)が課題です。
外国の方も弟子として参加なさっていらっしゃるようですが、万一伝承が途絶えてしまうと、取り返しのつかない損失となるでしょう。

語りに興味のある方は、CD、DVD、演奏発表の機会(年に数回)もありますので、生きているうちにいかがでしょう(文化も、視聴者も)。
手頃な文庫本もいろいろ出版されていますし、口語文なら読みやすく理解もはかどると思います。
物語の解釈も、作者ごと、出版時期によっても微妙に色合いが違っていて、ニュアンスにもそれぞれの面白さが楽しめると思います。

お友だちのレビュアーさんから本作を教えていただいて、すぐに吉村昭氏本(講談社)を読みました。
本作は、古川日出男氏本(河出書房)を原案に、監督・山田尚子氏、脚本・吉田玲子氏の解釈や演出が随所に見られるとのこと。

京アニのカルチャリズムとは異なるそれが、どのような前衛と復古をみせてくださるか、楽しみでなりません。

~ ~ ~ ~ ~

今般、アニメ化されるにあたって、平家物語がこのような歴史的な背景を持っていること、今に伝わってきていることを、知りおいていただければと思い、徒然に書きとめてみました。


*タイトルの浄玻璃(じょうはり)とは、一義には、曇りなく透き通った水晶、またはガラスのことです。
二義に、閻魔さまが亡者を裁くとき、善悪の見きわめに使用する地獄に存在するとされる鏡という意味です。
亡者がその前に立つと、生前の行いが余さずつまびらかになるという超ツール。

祇園精舎の鐘の音は、人の内面を糺すべく発せられるというわけですね。



観終わりました。

{netabare}
日本のあちらこちらには平家の落人伝説があって、あるご縁でしばらく郷土史に耽ったことがあります。
いつごろ、どこから来て、何をしたかといことが関心事でしたから、どちらかというと叙事詩的な視点だったろうと思います。
もちろん "誰" ということは端から分かりませんから、抒情性を求めるなど夢にも思いませんでした。

縁戚の方の案内で、山合いの寺院、あるいは家系などの「古伝・俗伝」を辿りました。
それらは初見の場所でしたし、糸を手繰るような手合いでしたから、今ではもう記憶はおぼろげになり、いずれは消え失せていくものかと思うと、「平家」が800年も継承されてきた心気に驚きを禁じ得ません。

前述のように、13世紀には語り部の存在が一次資料に残っています。
徳子が亡くなったのは、1214年1月とされていて、59歳のころです。
壇ノ浦の戦いが、1185年4月25日ですから、29年ほどの生涯があったでしょう。
そんなことを想うと、徳子の祈りを傍らに訊いていたのは、本当に "びわ" だったのかもなんて空説に遊んでしまいます。

少なくとも私は、叙事詩としての「平家」を足に踏んでいますが、抒情詩を謳う「アニメ・平家物語」は空前です。
本作は、花をメインにしつつ、さまざまな演出がありましたので、その意味を学び、含意を想像しながら、解釈を膨らませていました。
また、キャラの細やかな所作にも、当時の文化を重ねながら、境地や覚悟など、彼らの心情に寄り添おうともしました。

山田監督がおっしゃるように、リリシズム(抒情性)に主眼を置かれた「平家物語」でありますので、"びわ" の心気を頼りにして、零落する平家の心意気に折々触れてきた3か月間でした。

まもなく迎える弔いの春は、837年めとなります。
五色の糸に仏道の救済を祈った徳子の末期が、この上なくもの悲しく胸に深く迫りました。
今も寂寥を響かせる琵琶の音色に耳を傾けつつ、なおしばらくは本作の余韻に浸ってみようかと思います。
{/netabare}

投稿 : 2022/04/26
閲覧 : 478
サンキュー:

41

ネタバレ

tag さんの感想・評価

★★★★★ 5.0
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 5.0 音楽 : 5.0 キャラ : 5.0 状態:観終わった

家族の物語としての平家物語

僕らは、この物語が悲劇で終わることを知っています。源平合戦の流れも、少し歴史好きなら頭に既にある。しかし、見入ってしまいました。

膨大な原作を、思い切って、平家の建礼門院(徳子)の家族の物語に絞り込むことで、「歴史絵巻物語」から家族の幸せと悲劇、奈落へ落ちてゆく中での悲しみ、そして浄土を願う祈りへ、「家族の物語」へと。自分としては、ほぼ新しい物語として浸りました。
{netabare}
見ての感想は様々な想いが交錯しました。

建礼門院の美しさと悲しみ、オープニングで毎回見る建礼門院のこの上ない笑顔と物語中の苦しみとの対比は毎回刺さるものがありました。彼女のみは家族の中で生き残る。これも分かっているのです。子供も親も、兄弟も、全部失いながら。それでも彼女が生きるのは、ただ家族の浄土への旅たちを祈る。仏様の手から垂れる五色の糸を掴み、祈る、その悲しみ、苦しみ、幾ばくかと心に強く伝わります。

重盛の描き方もとても興味深い。平家家中の良心ともいえる彼の一生は、とても悲劇的です。脚本と言うか演出の妙技で、その良心と悲劇が心に響く。

重盛の子供たち、歴史ではあまり前面にでません。物語でも主要人物とは言い難いのだけど、銘家の嫡流(宗盛一門が最終的には嫡流になるんですが)の子供たちとしての苦悩が伝わってきました。これも建礼門院の家族の物語として再構成したからこそです。彼らの苦しみがこれでもかと伝わる。

そう、建礼門院の家族はみんな死んでしまう(一人奄美黄島で生きた、と言う伝説あり)のです。建礼門院は一人残される、まるで運命のように。これは歴史の真実で、とても酷な運命を背負わされた方です。

そして最終話の「大原御行」です。これだって分かっている物語なんですが、描かれ方が素晴らしい。大原の三千院は、そもそも物悲しい雰囲気を持っています。台詞と背景画によって、建礼門院の家族への祈り、平家の滅びの儚さを描く。5分ほどのエンドロールのような画像のフラッシュバックと平家物語の序章の言葉を重ね、描きます。そしてラストに近づくにつれ、琵琶の音色が強くなってゆく。圧巻のラストシーンでした。
{/netabare}
最後に、作画は、まるで人形劇(平家物語も人形劇がありました)のような抑えたキャラ設定。だか、だからこそ、ほんの少し動かすだけで、心の動きがダイレクトに伝わる。その技術の高さも驚嘆レベルでした。まるで、現代の人形劇のようでもありました。

なにかつらつらと書いてしまいましたが、平家物語が好きなかたも、良く知らない方も、多分、この構成ならだれでも心に刺さると思います。歴史をよく知らなくてもです。11話と言う短い構成ながら、傑作と呼べる水準かと思います。

投稿 : 2022/04/24
閲覧 : 242
サンキュー:

23

ネタバレ

剣道部 さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

現代の琵琶法師

[文量→中盛り・内容→考察系。]

【総括】
誰もが名前くらいは聞いたことがある、「平家物語」を、優秀なスタッフがアニメ化。「歴史的に正しいのか?」という点はさておき、過去の話を、現代の感覚と技術できっちりとエンターテイメントに仕上げてるなという印象です。

すごく、「和」が象徴された作画や演出。ぜひ、ジビエートを見てがっかりした海外のアニメファンには、本作や「どろろ」を観て、記憶を上書きして欲しいです(笑)

《以下ネタバレ》

【視聴終了(レビュー)】
{netabare}
詳しくは余談に書いているのだが、私はどうにも古典へ愛を持てない。文学部なのに(笑)

でも、だからこそ、古典がどのように料理されても不愉快さはなく、むしろ、こういう誰もが知る物語を、監督独自の切り口で表現し直すというのを、面白く感じた。

特に、主人公の「びわ」の立ち位置は絶妙だ。我々と同じように、「物語の終幕」を知っている存在でありながら、我々とは違い、「物語の中にいる」少女。
 
彼女は殊更に歴史を動かそうとはしない。ただ、「静かなる覚悟」を持ち、滅びゆく「自分にとっての良き人」と共に歩む。

彼女が平家の人と過ごしたのは偶然からだが、そこで培われた「縁」には嘘はなくて。いつか滅びると分かっていても、だからと言って、今を諦める選択肢はなくて。

「バカの壁」で知られる、養老孟司さんは、娘に「部屋を片付けろ」と言ったら、「どうせいつか必ず散らかるんだから意味ない」と口応えされた。それに対して、「つまり、人間はいつか必ず死ぬんだから、今、生きていることに意味ないということなんだな。だったら今すぐ死ね」と言い放ったという(笑)

まあ、父親として正しいかは別にして、理屈としては正しい部分もあると思う。

つまりは、「無常観」。仏教の、そして平家物語の大テーマである。

どんなものにも終わりがある。だからこそ、その一瞬一瞬に価値があり、美しい。

桜をはじめとした、日本人の独特の美意識。山田監督が描いたのは、平家物語の表のストーリーじゃなく、その裏に流れる「哲学」なんだと思う。

その一瞬を精一杯生きるなかで、彼女は「歌い継ぐ」という自分の生き方を発見する。

私は仏教徒じゃないのでニワカ知識だが、「無常観」は決して、「無常」を是とはしていないと思う。あくまで理想は、仏や涅槃の「常住」である。「永遠」を求めつつも、そこにたどり着けない、たどり着こうと必死こいて頑張る大多数の人間に対して、優しい諦めをもって「価値」を、「美」を見出だしたのが、「無常観」だと、私自身は解釈している。

ビワの「歌」によって、「春の夜の夢」のようだった平家の人々も、通常の人の生では考えられないほど、「長生き」をする。しかし、1000年続いた平家物語ですら、「無常」であるのだから、いつかは語り継がれなくなるのだろう。誰かがリレー形式で語り継がなければ。

古典に無知な私ですら分かるような有名な話、人物は結構、脚色されたり、省略されたりしている。でも、それで良いんだよね、「物語」だから。

原作の平家物語ですら、そもそも史実とは大分違い、それは、当時の世の中の雰囲気を見ながら、多くの人が楽しめるようにエンターテイメントにした結果であり、だから今、改めて時代に合うように再度語り直すことに、私自身は好意的だ。このアニメを観て、平家物語に興味を持ち、原作やその他の古典(の現代語訳バージョンで良いから)を読んでくれる小中学生がいたら、それだけで、平家物語の寿命が伸びる。

だから、「時代劇」や「大河ドラマ」のように、しっかりエンターテイメント性を作り出した、でも、原作から外れすぎてはいない、制作陣のバランス感覚の良さは、称賛されるべきだと思う。素敵な物語をありがとうと言いたい。
{/netabare}

【余談~文学部の剣道部が、古典から逃げて近代文学ばかり読んでいた理由~】
{netabare}
私の専門は、芥川龍之介や志賀直哉、川端康成、横光利一など、近代(明治~昭和20年代)の短編小説です。純文学を中心に、雑多な読書をしていましたが、中学~大学生の間は年間300冊以上は本を読んでいたと思います(社会人になってからは、年間10冊読めば良い方ですw)。

大批判を覚悟して言いますが、「古典って、実はレベル低くね?」と思っています(飲み会でこれ言って、よく古典専攻の奴と口喧嘩になったな~w)。

去年、ロッテの佐々木くんの投球内容を多くの「大御所」の人が批判していたとき、ダルビッシュさんが「今、批判している人のうち何人が、18歳の時に160キロ投げられたのだろう。練習メニューも、投球フォームもどんどん進化しています。佐々木君、気にしないで」みたいなことを呟いていました。そして、今のこの活躍。令和の怪物は、昭和の漢とは相容れないのかもしれません。

あと、なんの番組だったか忘れたけど、90歳くらいのお婆ちゃんにインタビューして、「昔は良かったですか?」と聞いたら、「今が一番良いに決まってるじゃろ。人が死なん。」みたいに即答していて、めっちゃ格好良いと思いました。

奈良時代や平安時代など、識字率も低く、触れられる文学や芸術も限られていた時代。間違いなく文学は一部上流階級のモノでした。底辺が少なければ、上が伸びきらないのは道理。

古典の授業を受けていていつも思うのが、「皆、実は大したこと言ってなくね?」ということ。だって、「枕草子(清少納言)」なんて、冷静に読めば、「小学生の絵日記レベルじゃね?」と思っちゃうんです。

勿論、その当時の人達の中では最高レベルの知性や感性であったのでしょうが、現代の高度な教育に触れている人々と比べると、それよりも凄いとはどうしても思えません。

これは、「うさぎ跳び100周。投げ込み300球。水は飲むな、体力が落ちる」なんてことが当たり前だった時代のピッチャーが、現代のプロ野球で投げても、(例外中の例外を除いては)ほぼ通用しないだろうという理屈に似ています(勿論、バッターも)。

それを、学者の先生方は色々な理由をつけて、無理に誉めているだけなんじゃないかと思ってしまったんですよね、学生時代。

勿論、古典文学の全てを否定しているわけではなくて。「レジェンド」としての価値は認めているし、尊敬の念もあるんです。

レビューにも書きましたが、今から1000年以上前の人が、1000年以上前に書いたということを含めて楽しむ分には良いと思うし、当時を知れる資料的な価値もあるし、過去があるから現在があって、それを否定したいわけじゃないんです。

ただね、たまにいる「昔の人は今の人よりも凄い」ってことを盲目的に言ってくる人に反感を抱いてしまうだけです(文学に限らず。まあ、逆に今の方が凄い、最先端の方が価値があると盲目的に言ってくるバカも嫌いですが)。

単純に横並びにしたら、清少納言より紫式部より令和の小説家の方が文章力あると思っているだけです。

その上で、なぜ私が(現代小説も大好きですが)「現代」より「近代」がより好きかというと、

①文学に対する命のかけ方の違い。書けないなら死ぬみたいな魂の込め方は、色々な楽しみや繋がりを持つ現代人にはちょっと難しい。

②近代の特殊な状況。古典では上流階級のモノだった文学が、ちょうど一般市民のものになってきたのが、近代。これが平成になると、少し大衆的になりすぎている部分もあり、純文学というジャンルの最盛期は、やはり近代なのかな~と。

③文学と商売の関係。近代文学のスタートは、同人誌など商売と切り離されている部分が多いが、現代ではほとんどが出版社を通す、つまり、「売れる」作品が作られ、すんごい尖った作品は生まれにくくなっている。

あたりが大きいです。ただ、③に関しては、「令和」は期待していて、インターネットで好きに作品を発表できるのは、近代の状況に似ているどころか、当時以上に名作が生まれる可能性もあるのかなと思っています(底辺が広すぎ、埋もれてしまう怖さもありますが)。

多分これは、歌や絵なんかでも同様ですよね。「まふまふ」さんとか、「ado」さんみたいな、そんじょそこらのプロなんか吹き飛ばせる「素人」(今はもう違うけど、出始めた当時で言うとね)が、文学界でもバンバン出てきてほしいなと、凄く未来に期待しているわけですよ。

ということで、ここまで書いてきたのは、「だから剣道部は文学部のくせに平家物語も読んでないし古典全般に無知なんだ」という、超長い言い訳です(笑)
{/netabare}




【各話感想(自分用メモ)】
{netabare}
1話目 ☆4
高クオリティだな。平家物語、原作全部を読んでいるわけじゃないが、かなりイジっていることは分かる。

2話目 ☆4
明るい未来も、あるはある。かなりスローな展開。賛否はありそう。

3話目 ☆


4話目 ☆4
後半の願いだけ叶えられたか。メッセージがどうとかでなく、雰囲気を味わうアニメだな。

5話目 ☆


6話目 ☆


7話目 ☆


8話目 ☆


9話目 ☆


10話目 ☆


11話目 ☆


12話目 ☆

{/netabare}

投稿 : 2022/04/21
閲覧 : 337
サンキュー:

39

セシウス さんの感想・評価

★★★★☆ 3.2
物語 : 3.0 作画 : 2.5 声優 : 4.5 音楽 : 4.0 キャラ : 2.0 状態:観終わった

勝手に期待し勝手に肩透かしをくらった

 源平に関する本は小中学生時代に図書館で借りて何作か読んだことがあります。完訳ではなく抄訳版だったとは思いますが平家物語も読んだことがあります。様々な勇将猛将が大活躍する一方、盛者必衰の悲哀が描かれていて古典の傑作のひとつですよね。
 そのアニメ化作品とのことで、モロ男子向けの軍記物語を女性の監督や脚本がどのように仕上げるのかちょっと楽しみにしていました。

 結論から言うと、原典とされている図書にかなり忠実な内容になっていました。びわという未来が見える架空の超能力少女を主人公に据えましたが、平家の盛衰を俯瞰したストーリーは特に驚きなく概ね原典通りに進行し終わります。女性の登場人物のウエイトが少しだけ重くなっただけで、女性目線での「武士の時代の始まり」を勝手に期待していたのでちょっとがっかりしました。まあシナリオは丁寧だしつまらないストーリーではないです。
 全11話ということでキャラクターの造形は浅いです。人の持つある一面だけを特徴的に描写していて記号っぽいです。
 主人公のびわが直情的な性格なのも少々違和感がありました。人の運命が見えてしまうわけですからもっと無気力無感動なキャラのほうが自然では?ただ救いのない話の中でびわの直情的な言動にはすこし癒された気になったのも事実です。
 声優さんたちは皆上手です。ただ名前の呼び方が「シゲモリ」など正名なのがちょっとひっかかりました。「ゴシラカワ」とかって没後につけられる諡号じゃなかったっけ?シナリオ書くときに協議した結果なんでしょうけど・・・

 作画は特徴的です。絵巻のように美しいと感じるか塗り絵のように平板と感じるか、ですね。キャラクターの絵はあまり好きになれませんでした。合戦のシーンは琵琶法師の弾き語りPV風です。音楽は更に特徴的です。OPはJ-POP、EDはなんかトランス系みたいな感じです。劇伴はレベル高いと思いました。和風も現代風もよかったです。

 駄作ではないと思いますが、予想以上に普通のアニメ化でした。歴史や軍記に興味のない人はどう感じるんでしょうかね。
 海外の評価は意外と低くないですね。監督バイアス?というのは意地悪すぎですかね。あと化物語シリーズと勘違いしている人がいたのには笑ってしまいましたw

投稿 : 2022/04/21
閲覧 : 333
サンキュー:

14

ネタバレ

Jeanne さんの感想・評価

★★★★☆ 4.0
物語 : 4.0 作画 : 4.0 声優 : 4.0 音楽 : 3.5 キャラ : 4.5 状態:観終わった

結末が分かっているからこそ先を見るのが辛い

全11話

「けいおん」や「聲の形」の監督で知られる元京アニの山田尚子監督作品。
原作は中学生の時に国語の時間で暗記させられた記憶はありますが、内容は全く覚えていません。

平家に父親を殺されたびわは色々あって平家の屋敷に住むことになる。びわは将来を見ることができる目を持っており、平家が滅びる未来を見る。
平家の全盛期から滅亡までを描いた作品です。

私も含めて視聴者の大半は平家が源氏に滅ぼされるという歴史的事実を知っているので、びわと同じ目線で平家が滅亡するまでを追っていくことになります。
滅びること(皆死ぬこと)を知っているからこそ日常のシーンは見ていて憂鬱な気持ちになりました。
平家の人々は個性豊かでいいキャラが多かったので、余計に感情移入しながら見てしまいました。
特に、普段はびわと衝突していますが、平家が滅びるのも近いと感じ追い出す形でびわを平家から遠ざけた資盛は格好良かったです。

びわは将来何が起こるか分かっているのに何もできない自分に不甲斐なさを感じていますが、母親と再会し母親が自分のために祈っていたという話を聞いて、祈りを捧げこの出来事を後世に残すのが使命だと前向きに考えるようになります。
そのように考えることで以前よりも達観しているびわを見るのはどこか寂しさを感じました。

声優、作画、キャラデザについて。
びわ役の悠木碧さんは素晴らしい演技でした。
本当にこの声優さんは演技の幅が広くてすごいと思います。
作画は全体を通して崩れることもなく安定していました。
キャラデザが独特ですが、平安時代の雰囲気にマッチしていて良かったです。

山田監督の作品ということで視聴前から期待してましたが、期待以上の完成度だったので非常に満足できる作品でした。

投稿 : 2022/04/19
閲覧 : 205
サンキュー:

17

ネタバレ

runa21 さんの感想・評価

★★★★★ 4.1
物語 : 4.0 作画 : 3.5 声優 : 5.0 音楽 : 4.0 キャラ : 4.0 状態:観終わった

曲がいい

中学の古典で必ず暗記させられる平家物語。

この時代の物語としては、
どうしても義経の活躍が目立つこともあり、
源氏側の視点に立ったものが多いが、
こうして平家側の視点で見た話も面白い。


一度栄華を極めた人間は、
どうしてもおごり高ぶってしまう。

そして一度栄華を極めてしまえば、
自分たちが転落していると理解しつつも
それを受け入れることができずに、
どんどん悪い方向へ進んでしまっている。

それが一族の終わりにつながると知りつつも、
その方向にしか歩みを進めることしかできない

自らがまいた種は、
自らが刈り取らなければならないいい例だ。


ただ、それに巻き込まれる人間は、
哀れで仕方がない。

一族や、世間の波から逃れるためには
「出家」するよりほかはない。

学生時代に「なんでこの時代の人たちは出家するんだろう」と
漠然とした疑問を抱いたことがあったが、
彼らはきっと「疲れ切っていた」んだあろうなぁと
この物語を見て、当時の疑問に対する回答がつかめた気がした。

家のしがらみやら、そういったものから
解放されたかったのだろう。

もしかしたら、
哀れな死を遂げることになった人々を
弔いたかったのかもしれない。

琵琶が、彼らの生きざまを
平家物語という形で伝えていくように、
何らかの形で、弔いたいのだろう。


落ちぶれ、倒されてしまうのが分かってるからこそ
この物語を見ていくのは辛かったが、
同時に、不思議な力を持った琵琶もまた、
彼らの最後を知りながらも、
彼らの生きざまをしかと見届けて、語り継いでいくところに、
視聴者とのシンクロが感じられて、

「最後まで見届けよう・・・」

と最終話まで見ることができた気がする。


辛い話の中でも、
このアニメの一番の見どころは、
やはり琵琶法師の語り。

あの抑揚ある独特の語り口調は
耳に残るし、臨場感が伝わる。
本当いにうまいとしか言いようがない。

OPの曲もかっこよく、
音楽については申し分ないと思った。

投稿 : 2022/04/16
閲覧 : 205
サンキュー:

22

やまげん さんの感想・評価

★★★★★ 4.4
物語 : 5.0 作画 : 5.0 声優 : 4.5 音楽 : 3.0 キャラ : 4.5 状態:観終わった

じっくり楽しんだ作品

平家物語は読んだことがなく、なんとなく源平合戦の軍記物語なのかなと思っていた程度。

水彩画のような淡いタッチの絵がきれいだったこと、キャラが生き生きとしていて見ていて楽しかったこともあって、見ているうちに平家物語自体にも興味が出てきた。

公式HPで各話に解説コラムが付されていたので、1話見るごとにそれを見て、さらに実際の平家物語との比較をしているサイトなども見ながら、1話ずつ丁寧に最後まで見た。こんなアニメの見方をしたのは初めてかもしれない。

最後まで楽しく見ることが出来て良かったのだが、音楽に関しては、なぜかクラブサウンドっぽい劇伴だったのが謎。好みが分かれると思うが、自分にはあまり刺さらなかった。

壇ノ浦の戦いを描いた最終話の当初の放送予定日(3月24日)が、まさに壇ノ浦の戦いがあった日らしく、運命的なものを感じたのだが、放送延期になりその日に放送されなかったのが残念。

おもしろかったので、源氏物語など、昔の物語をアニメ化するシリーズを展開して欲しい。

投稿 : 2022/04/14
閲覧 : 233
サンキュー:

18

次の30件を表示

平家物語のレビュー・感想/評価は、ユーザーの主観的なご意見・ご感想です。 あくまでも一つの参考としてご活用ください。 詳しくはこちら
平家物語のレビュー・感想/評価に関する疑問点、ご質問などがございましたら こちらのフォーム よりお問い合わせください。

平家物語のストーリー・あらすじ

《祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす》
平安末期。平家一門は、権力・武力・財力あらゆる面で栄華を極めようとしていた。
亡者が見える目を持つ男・平重盛は、未来(さき)が見える目を持つ琵琶法師の少女・びわに出会い、「お前たちはじき滅びる」と予言される。
貴族社会から武家社会へ―― 日本が歴史的転換を果たす、激動の15年が幕を開ける。(TVアニメ動画『平家物語』のwikipedia・公式サイト等参照)

放送時期・公式基本情報

ジャンル
TVアニメ動画
放送時期
2022年冬アニメ

このアニメの類似作品

この頃(2022年冬アニメ)の他の作品

ページの先頭へ