神山監督作品だけあって、さすが。面白かった。
物語/人物描写に関しては、まあ、主人公二人はけっこうなんかどうでもよかったけれど、印象にのこったのは京大生のパンツ一丁の彼とか、それなりによかった。あんなクオリティの大天才はみたことないというか、まあいないけれど、ああいう生活をしてる輝かしいバカの知り合いはけっこういるので、そこんところだけ親近感が。
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で、まあ、そこらへんは、この際どうでもいいとして、一番の評価ポイントはここ5年ぐらいのごく近未来の風景をきっちりと描き、そのインパクトを伝える、という点で重要な想像力を与えている。
■「東のエデン」システムについては、(あたりまえだが)現実のほうがまだ追いついていない
とりわけ、本作が描写したものとして大きな意義があるのは「東のエデン」システムだろう。同じ、AR(拡張現実)系の技術の未来描写としては、『電脳コイル』のほうがよりラディカルではあるが、「東のエデン」のほうが、より身近な近未来の風景を想起させるという点においては優れたものとなっている。
近未来といっても、このエデンシステムは、あと100年は開発されないだろうと思うが、あのシステムを擬似的に実現させるものは、10年~20年程度の、そう遠くない時点で実現する可能性は高い。(というか、sekaiCameraという「東のエデン」システムの原型のようなものがすでにあるといえば、ある)
そのような未来が実際に実現したらどうなるのか、ということを想像させてくれるという意味でも、意義ぶかいし、「鉄腕アトム」があったことで理系の技術者たちがワクテカになり日本のロボット技術が世界的に高度な水準に達成した…ということがあったように、『東のエデン』や『電脳コイル』があったことで、日本のAR技術が世界的に高度なものになったらば、すばらしいことだと思う。
■「集合知」に関して、現実はさらに先をいっている?
ただし、ここで描かれているもうひとつの未来「集合知」の描写は現実のほうが、SFの想像力を追い越しているところがある。正直なところこの作品で描かれている範囲を超えることが現実にはけっこう起こっているといった印象もわたしはもっている。
たとえば、作中では、ニートを集めてその場で案を集めて対応をうっているが、現実の「集合知」システムはもっとスマートだ。
たとえば、「予測市場」などと呼ばれる、集合知を活用した予測メカニズムは、有象無象の人々があつめて選挙予想をする、という方式で、いまだかつてない制度の予測を可能にしているし、専門家が何人あつまっても解決できなかった高度な問題を、「集合知」は解決しつつある(もちろん、簡単にうまくいく、というわけではないが)。
google,amazon,twitter,DARPA,ペンタゴンなど、さまざまな場所でこの問題は、すでにアニメの想像力を超える事態が起こっているところでもある。
一般向けに売れている本としては、たとえば、スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』などを手にとってもらいたい。
■「あにこれ」も東のエデンシステムの一部になりうる
また、「東のエデン」システムのようなものには、さまざまなシステムが接続可能なはずで、集合知的な巨大データベースはこういったものの中にごりごりと接続されうるだろう。
その意味では、われわれが今つかっている「あにこれ」自体もまた、東のエデンシステムのようなものと相互接続可能になる未来が、そう遠くない時期に到来しうるだろうと思う。たとえば、街やテレビをみていて、アニメの絵をみつけたり、言葉をみつけたとき。そっとかざすと、すぐに「あにこれ」の評判を参照できるようなシステムは、そんなに難しくないだろう。
そのような未来のために、「あにこれ」のようなサービスが、すばらしいサービスに発展していることを願いたいと思っている。