nyaro さんの感想・評価
3.0
物語 : 3.0
作画 : 3.0
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 3.0
状態:観終わった
「アニメじゃない」とはアニメですらない駄作という宣言?
以前は確か5話くらいで断念するも、一応、後半なら見られるという評判を頼りに後半は見ています。ですが、どこまで見たか記憶にないです。つまり、後半も大して面白くはありません。というか話が記憶にあまりありませんでした。プル、プルツーとかハマーンがどうなるかとか知っているので多分見たんだと思います。
今回、原作2巻を読んだうえで見返しましたが、やはり辛かったので流し見&飛ばし見です。原作も残念ながら尻切れというか端折っていてやる気が感じられません。
前半が面白くない理由はいろいろあります。キャラ達の行動原理に整合性がなく、物語の展開を真面目に考えているのか?という感じでした。特にヤザンとマシュマーがキャラとして辛かったです。ブライトの知能指数もかなり下がっていました。
グレミートトは一貫性がありますし、そこから派生する行動原理もわからなくはないですけど、所詮はサブキャラどまりです。後のF91の貴族主義・選民思想に繋がる思想のようなものは感じなくはないですけど。
アムロもシャアも不在です。前半はファがいいかなと思っていたらいなくなるし。
そもそもジュドーが良くわからないです。行動がメチャメチャなのは、何も知らない子供というキャラ造形なのはわかります。そしてジュドーから見たらブライト達やハマーンなどの大人の現実を知り何とかしなきゃという正義感を持つというのもわかります。結末を見ると旅立つ=成長物語の型ですから、ジュドーの成長物語ではあるんでしょう。
ですが、行動も感情も刹那的で、それが上手くいっているようには見えませんでした。妹愛がなんか上滑りなんですよね。家族愛が描けているかと言えばセリフと無茶な行動だけだし。その割に死んだかも…のあと、水遊びとかしていたりするし。
後半は確かにまだ見られますが、話全体がハマーンの個人的思惑なんですよね。地球連邦は所詮モブです。逆シャアくらい短い話ならそれでもエピソードとして成立するのでいいのですが、50話を見ても戦争の思想的な裏付けや思惑、ビジョンがわかならないです。Zの続きでハマーンのネオジオン…ジオンの復活というか設定上姉の復讐ということはわかりますけど。あるいはシャアの居場所を頑張って守っていたともいえますけどね。正直、ハマーンは名前の割にキャラとしては深味がありません。
ルーとかエルとかもそうですね。確かに可愛くは描かれていますが、だからどうしたというキャラです。
深味があるとすれば、プル、プルツーです。強化人間の悲哀はZから描いていましたし、戦争に子供が参加するという歪さも併せ持ちます。さらに明らかにクローンとして描くことで人工物的な描き方になっているし、性格が全く違うことも育ちについての何等かの示唆がありました。
また、同時に明らかにロリキャラを意識した強化人間です。それが複製される意味に、ホビー的な性愛対象のアニメキャラの歪さもメタ的に表現していた気もします。その点ではルーとかエルの造形が開き直りだったということも表しているのかもしれません。
あとはリィナですね。実はこの子が一番重要…いや、重要になりそうで中途半端だったかな、と思います。
ジュドーの行動原理の対象だったし、そのジュドーからの見た目に反して意思が強く、底辺からの脱出に意思をもっていました。山の手の学校よりも自分で行動することを望んでいましたし。
ただ、その後の見せ場が少ないです。見せ場は、ネオジオンの内部を見て成長したと思わせる描写が、ケガをしているのに毅然とした態度で避難誘導しているところです。これが無垢な目で見た大人の歪さの描写につながるのか、と思っていたら途中でいなくなります。このキャラの強さが描けているのにいなくなるのが不思議です。これはプルと反目していた描写もありますので、プル登場でジュドーの妹ポジションとしていらなくなったのかなという気もします。
そして、兄の無茶を共有するセイラさんに助けられたりしています。セイラさんが突然すぎますけど、これはシャアとジュドーがニュータイプで戦いに明け暮れているのを心配する妹ポジションとして必然だったんだと思いますが、このセイラさんと一緒にいる意味、家族愛とか描けていればなあと思います。
各ガンダム(非富野氏作品含む)を見返して、戦争の構造とか企業、モビルスーツなんかに着目するより、女性キャラに視点を置くと深味が出る作品が多いので、ZZもそう言う見方に挑戦しましたが、ダメですね。少女キャラが皆「アニメキャラ」になっています。人工的な人気キャラを意図したキャラ造形は「アニメじゃない」というアンチテーゼのための配置だとは思うのですが、使いきれていません。
戦争の主体であるハマーンも思想的にもアナロジー的にも浅いです。
「ZZが一番面白い」と言う意見は、子供たちのワチャワチャ感、特にルーとプル・プルツーの魅力に集約される気がします。「ファースト、Z、逆シャアを見ればよい」派閥や「ファースト原理主義」などを見ますが、ZZをマストで見た方がいいというのはごく少数派の印象です。
その理由が良くわかります。もちろん、Z劇場版との不整合もあるでしょうけど、そうじゃなくて話として「宇宙世紀とはアムロとシャア」あるいは「宇宙世紀とはシャア」の物語なんだと思います。ジュドーとハマーンではキャラの力が不足しすぎなのでしょう。
「アニメじゃない」は珍しく作詞が富野氏じゃないですよね。歌詞は子供だけに見える希望の話に見えます。大人と子供のモノの見方の差を表しているので本作に沿っているとも言えます。
ですが、富野氏の考えも拾っていけば感じられる部分はありますが、これはある意味では逆説なんだと思います。分断とか貧困はアニメだけでなく子供が虐げられている現実はあるし、戦争は創作だけじゃないという意味。
更にひねくれた見方をすれば、富野氏は実写へのあこがれでアニメは一段低く見ていました。そのアニメですらないという事です。「お前らこういうのが好きなんだろ」というコンセプトで作った、アニメとも言えない駄作だと宣言したように感じます。本人が作詞じゃないので偶然だとしたら非常に面白い皮肉だと思います。
評価はオール3のままにしておきます。今更評価する価値はない気がします、という意味です。