ナルユキ さんの感想・評価
4.3
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 4.5
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
アニメだけでいいのか、小説と合わせて楽しむのか
2期後半クールということでスバルがオットーに殴られたところから再スタート。動きの少なかった前半クールと比べると怒濤の展開で情報量が多い様に誰もが感じるところだろう。
ただ、私はファンではないので言うほど気にならないのだが、それでも原作からカットされたシーンがとても多いらしく、戦闘シーンはともかく会話や展開の脈絡の無さや脚本の駆け足感というものが終始、続いてしまうクールでもあった。
とはいえ、前半に鬱屈とした要素を寄せた甲斐あってこの後半は気持ち良く観れる部分も多くあったので、ここではそんな良点を中心に紹介・評価していこうと思う。
【ココが熱い!:この周回で決着をつける】
オットーの思わぬ叱咤激励によって活路を見出だしたスバルは一転、全ての惨劇を裏で引くロズワールに「同じ周回」で再び対峙し、彼の謀略を《死に戻り》を使わずに打ち破ってみせると宣言する。
タイムリープ作品において、主人公に降りかかる困難は何度も時間を巻き戻して行動し、展開を修正・最適化することで突破する「トライアンドエラー」が定石。今までのスバルも自分に出来ることはそれしかないと思い、前半クールは情報収集のみが目的の“捨て周回”を設けることもあった。
しかし「死んで戻る」というのはどこまでいっても独り善がりな選択だ。離れた時間軸に取り残された仲間たちもスバルを想う、彼の死に涙する。彼はその可能性を『第二の試練』で痛感した。
加えてそんなつもりで死に戻りの力を与えたわけじゃないと訴えに来たサテラ、死んで逃げようとした自分を引き留めたり或いは尊重したりもしてくれた6人の魔女、そして自分の友人として名乗りを上げ、弱者の矜持を叩き込んでくれたオットー────様々な人に想われ、助けられて、スバルはこう考えを改める。
もしかしたら、自分には死に戻り以外の価値があるんじゃないのか。
自分を想ってくれる者がこの異世界にいるのなら、自分はそう簡単に命を投げ出してはいけないんじゃないのか。
今いるこの周回を「一所懸命」に生き抜かなければいけないんじゃないか──と。
そんなスバルの覚悟がロズワールへ持ちかけた「賭け」に表れている。死に戻ってしまえばそんな口約束は無くなる、本来は取らなくてもいい行動だ。だから彼は「戻らない」。
病みリアでなく「エミリア」を王にするため。やり遂げた彼女を祝福する仲間たちを置くため。そしてその輪の中に自分とロズワールが入るために、スバルは1度きりの大勝負に挑む。
{netabare}本当は賭けを反故にさせないためにロズワールが死に戻りされても有効な『魂の契約』を結ばせるシーンも原作ではあるのだけどアニメではカット。最終話で「実はそういう契約をこっそり結んでました」という形に改変されている。尺の節約なんだろうけどあまり良い見せ方ではないな(笑){/netabare}
【ココが面白い:豊富な対戦カード】
ロズワールが山積みにした問題の大半は「敵」である。屋敷や村を襲撃する不死の暗殺者エルザと魔獣使いメィリィ、聖域の生きとし生ける者を食らい尽くす『大兎』、そして聖域への歪んだ守護欲を持ってしまったガーフィール──前の周回では為す術なく殺られてしまった強敵たちを少しの采配や策とは言い難い工夫で引っかき回し、奴等を御する覚悟を秘めて相対するスバルたちの戦いが前半クールとは大きく違った「棋譜」を生み出している。
{netabare}とくに驚くのがオットーの意外な戦闘能力であろう。今までは正直この聖域編で出番を多くもらったサブキャラという認識でしかなかったのだが、彼の半生を苦しめた『言霊の加護』と商人としての交渉術で以て虫や鳥を操りガーフィールを翻弄する姿は立派な戦闘員でレギュラーキャラであり、ようやく1期からその登場が囃し立てられていた理由が明らかとなった次第である。{/netabare}
{netabare}ラムは自らの主人であるロズワールと対決する。それはレムの様にスバルへ好意を抱き彼の味方をしたいからではない。飽くまで彼女が一番に慕うのはロズワールだ。
2人は「憎しみ」からの契約を交わし、ロズワールはラムを忠実な手駒にする、ラムは故郷を滅ぼした遠因であるロズワールへ復讐するためという歪な主従関係を持っていた。この因縁が明かされた時、誰もが彼女が遂に復讐を果たしに動いたと思うだろう。しかし彼女の気持ちはいつの間にか変化している。
『只の復讐鬼であれたならこの胸、痛まずに済んだのですが────ラムは、ロズワール様を愛しています』
この台詞から、1期18話を思い出したファンも多いだろう。好きな相手は異なっていてもやはりラムとレムは双子の姉妹なのだと感じさせてくれる。
殺された同胞達には悪いと思う気持ちはあるし、故郷を思えば胸も痛む。だが、ラムは死者の気持ちよりも自分の気持ちを優先した。そして愛する人の魔女への妄執を取り払うため、パックとの即席タッグで最高クラスの魔術師へ挑む。{/netabare}
{netabare}スバルも、いつまでも無能のままではいられない。ラムとオットー、パックにパトラッシュの力まで借りたとても“タイマン”とは呼べない形式ながらも、聖域開放を阻むガーフィールの一撃を真正面で受け止めながら新技『不可視なる神の意思(インビジブル・プロヴィデンス)』を顎先に叩き込む。
『いつだってどんな時だってやりたい、変わりたいとそう思った時がスタートラインだろうが!! また顔を上げて歩き出すのを、誰がどうして諦めろなんて言えるんだ!!』
『そうだろガーフィール!……そうだろエミリア!…………なぁ──そうだろ、レム!!』
最後にレムの名を叫ぶのが作者の意図と多くの視聴者の期待────“気持ち”がシンクロする所だろう。彼女の言葉が諦めかけた自分をスタートラインへ立たせてくれた、諦めようと足を止めたとき、それで終わりの筈がないと教えてくれた。
《そのときにもらった力が、万人に届くべきだとナツキ・スバルは望むから。》
彼は同じ様に諦めかけていたガーフィールを────そしてベアトリスを救う。{/netabare}
【でもココがひどい?:エミリアの試練パート(1)】
そんな感じでスバルや仲間たちが奮闘する中でエミリアも精神的に大きく成長し、聖域開放の条件である『墓所の試練』の厳しさやエキドナの悪意をはね除けることが出来るようになるのだが、私がエミリアの今までの印象を払拭しきれていないせいか彼女のパートを観ることをやや億劫に感じてしまった。
{netabare}まず、前半クールでエミリアが何度も挫けただけあって彼女の真の過去はとても重い。母親代わりであったフォルトナが殺され、父親に代わりそうだったジュースも狂わされ、森の仲間たちは怒りによって暴走した自分の魔力によって融けることのない氷像へと変わり果ててしまった。
そんな悲しい記憶を受け入れるためには「心の準備」が必要で、そのためにエミリアは自身の過去をさらに深く掘り下げていく──という流れは理解出来るものの、現在軸やリューズの過去まで交え3話にかけて語るというのはかなりテンポが悪い。
実は私も小説を書いて友人と見せ合い、互いに感想を交換するという遊びをしていた時期があった。その時私も「このキャラにはすごい過去があってだからこんな風に今頑張ってて──」とガッツリ過去編を挿入したのだが友人からは大不評、慌てて打ち切って現在軸に戻したことがある(笑) 自分が生み出したお気に入りキャラの設定をしっかり語りたいという欲、或いは語らなければならないという使命感をどんな物書きでも持っているのだろうが、読者&視聴者が現在の話を止めてまで聴きたいと思ってくれることは殆ど無い。それが判らない内は物書きとして“素人”なのである。
特に本作はエミリアの前にスバル、ガーフィール、オットーの過去も描写しており流石にお腹一杯。それら3人は最高1話分くらいの尺で簡潔に納めているだけに、エミリアの過去の冗長ぶりがより際立っていた印象だ。{/netabare}
【でもココがひどい?:エミリアの試練パート(2)】
さらにエキドナの台詞で予防線を張ったとはいえ、第二・第三の試練が第一より温い。あの予防線は何かイレギュラーなことが起こるフラグなのかなと予想していたけれども、ほんとに何の苦もなくクリアしてしまうので拍子抜けだ。
{netabare}そもそもの話、第一の試練で本当の過去を見た上で『凍ったみんなを助けだす』という答えを出したエミリアにIFの世界や雑多な未来を見せても何の足枷にもならない。彼女に“もしも~“は無いし、未来は飽くまで可能性の話だ、止まる理由には決してならない。
スバルが第二の試練で苦しんだのは自分の死に戻りがパラレルワールドの移動であった場合、自分の脱落と軽率な行動が人を悲しませたかも知れないという「罪悪感」や自分が死んだ後も世界は続く──世界に対する自身の「矮小さ」が精神的ダメージとなっていたからだ。つまり第二の試練はスバルに特化した難所でしかなく、他の人が受けても大した試練にならないのは自明の理である。
第三の試練はその特性上、未来予知という大きな伏線を張ることができるのだが演出が雑だ。映像は燃え盛る街などの破滅のイメージしか映さず、その中で絶えず登場人物たちの未来の台詞が重なりながら流れていき、これまでの試練のような「ストーリー」になっていない。試練に挑むエミリアは怒涛のように流れる台詞や映像の煌めきを泣きながら耐えるのだが、視聴者には抽象的過ぎて全く伝わらない。{/netabare}
結論、やるだけ時間・尺のムダとしか思えないエミリアの第二以降の試練をアニメでも最期まで描き、かつスバルたちの戦いの合間に挟んでしまっている。終盤は聖域と呼ばれる森の奥地とエルザとメィリィが襲撃する屋敷内を交互に映し出すような構成となっており、さながら『鬼滅の刃遊廓編』のようなテンポの悪い場面転換を繰り返してしまっていた。
【総評】
まだまだ課題は多いものの、前半クールから大きく巻き返した良作と評する。前半で打ちのめされた脅威の数々を後半で全て打ち破る──現在インターバル中の3期も踏まえると理解るリゼロの“やり口”は一種の様式美とも言え、作品内外での落ち窪んだ空気を最初から最期まで盛り立てている。
その要たる「戦闘シーン」が内容・作画ともに素晴らしく、現代軸では{netabare}ガーフィールVSエルザやラムVSロズワール{/netabare}、過去編では{netabare}ロズワールVS憂鬱の魔人にレグルスVSジュース(後のペテルギウス){/netabare}といった対戦カードが現在も人気を博しており、それらの描写は劇的かつ丁寧に作り込まれていた。
白鯨戦やペテルギウス戦が良かった1期と比べると、周回で得た情報や知識を活かしたり発想を転換してみたりといった面が極めて少ない。なのでちょっと勢い任せな逆転劇を描いている様にも感じたが、その分スバルがエミリアを始め、様々な登場人物の深層心理にまで働きかける情熱的なアプローチが印象に残る。1期から一皮剥けて前半ではタイムリーパーとして合理的な考えを見せ──そしてまた全ての周回で全力を尽くすという“バカ”に戻ってくれたからこそ、クサい台詞も歯の浮くことなくここぞという場面できっちりと嵌まっていた。前期OPだった『Realize』は本編内容が30分枠の尺をギリギリまで使うせいで殆ど聞く機会がなかったのだが、その分後期で「勝ち確BGM」として活用しており無事、鈴木このみのパンチある美声を視聴者へ届けられたと思われる。その分、本作のOP・EDの印象は……まあ悪くはなかったと思いますよ^^;
ストーリー構成には難があり原作ファンの一部が不満に思うのも理解ができる。省略(カット)部分が多いだけでなく映像化するシーンの取捨選択が上手くない印象だ。そもそも原作からして現在、書籍版が39巻にも及ぶ大風呂敷であり、その全てを深夜アニメで余すことなく映像化するのは土台、無理な話である。{netabare}虚飾の魔女パンドラや憂鬱の魔人ヘクトールも現代軸での登場が間近になってからその存在を匂わせるくらいが丁度良く、正直今(2期)じゃないなと私も少し思ってしまった。それがエミリアの過去編の長さや作品全体のテンポの悪さの一端にもなったのだから。{/netabare}
{netabare}逆にロズワールとスバルが“賭け”の契約を交わしたことは勝負を始める前にしっかり描写しないと、スバルが『縛る』と宣言したとはいえ《死に戻り》があるのだから、それで勝負から逃げる可能性があるじゃないかとツッコむしかないのである。{/netabare}
リゼロは最後までアニメ化してそれ1つ追うだけで楽しめる作品なのか。
それとも『結城友奈は勇者である』などの様に関連ノベルやコミカライズも手に取りその違いや関連性を楽しむ作品なのか。
同じ不完全でもどういったコンセプトなのかを意識して制作すると自ずと消費者側にも伝わる筈なので、3期以降はそういった改善も見られるとアニメ組である私としても嬉しいし、もし後者であればWeb版や書籍も手に取ってみるつもりだ。
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