蒼い✨️ さんの感想・評価
3.0
物語 : 2.0
作画 : 4.0
声優 : 3.5
音楽 : 4.0
キャラ : 1.5
状態:観終わった
殆どあらすじみたいな感想。
【概要】
アニメーション制作:P.A.WORKS
2020年10月11日 - 12月27日に放映された全12話のTVアニメ。
監督は、浅井義之。
【あらすじ】
高校三年生の若者・成神陽太は、バスケ部を引退して受験勉強に専念する身である。
勉強の息抜きに、夏休みの公園で同じく元バスケ部で親友の国宝阿修羅と1on1で汗を流し、
休憩して水を飲んでいたところに修道女の格好をした珍妙な少女・佐藤ひなと出会った。
ひなは、全知全能の神のオーディンであると自称して、
「30日後に世界は終わる」と二人に予言する。
頭がおかしな子供と思って取り合っていなかった陽太だが、
ひなは、通り雨・交通渋滞・競馬の着順などを百発百中で言い当て、
彼女の未来視・予知能力は本物であることを陽太は思い知る。
両親があっさり受け入れたことで、ひなは陽太の家に居候することになり、
ひなにふりまわされる陽太の日常が始まった。
ひなの言う「世界の終わり」の最後の30日間を、
幼馴染で密かに想いを寄せている伊座並杏子、そして友人たちと共に、
忘れられないひと夏を過ごすことになる陽太なのだった。
【感想】
麻枝准氏といえば、Keyのビジュアルノベルである『AIR』(18禁)『CLANNAD』(全年齢)
の企画者であり、18禁の意味がないと言われるほどエロ方面は全然ダメですが、
涼元悠一氏や樋上いたる氏らKeyのスタッフと協力して泣きゲーを作った仕事で、
アダルトゲーム業界の寵児になった人物。
Key作品の作風は、長い日常シーンで攻略対象ヒロインに感情移入させた後に、
親に捨てられたり記憶から失われて認識してもらえないなどでの親子関係の破綻、
他には具体的な病名のない難病設定が明かされていったりで、
幼児返りで主人公との思い出を失っていく、呪いで死ぬ、
実は幽霊で願いが叶うと成仏したり、
植物人間の生霊のパターンだと本体が目覚める代わりに生霊時の記憶を失う。
など鍵作品のお約束が決まっているのか、設定かぶりを複数の作品で見かけます。
可哀想な少女の悲劇的な展開を美しい音楽で盛り上げていきながら、
号泣させることに長けた感動メーカーというのが概ねの評価のはず。
悲劇の先にビターエンドであれハッピーエンドであれ、
流した涙で気持ちがスッキリする。
プレイヤーの感情を揺さぶることにかけてはエロゲ業界では随一でしたような。
元々好評だった原作ゲームのイメージを壊さない映像の精度で、
かつ丁寧にアニメ版の制作を担当した京都アニメーションの数々の仕事が、
2000年代の深夜アニメとして傑出度が高かった事実も、
Keyブランドの人気に拍車をかけていましたかな。
麻枝氏は後に数々のオリジナルアニメの企画や脚本を手掛けていますが、
『Angel Beats!』が大ヒット作となったものの、批判の声があるのを気にしていて、
5年後に作った『Charlotte』でもヒロインを演じた佐倉綾音から、
終盤が急展開過ぎることを指摘されて、それも気にして今作ではこれまでの反省を生かして、
「原点回帰」をして、EDから逆算して全12話を構成したとかなんとか。
一年半かけて修正に修正を重ねてアニメ全話の脚本を完成させたそうです。
このアニメは序盤はとにかくギャグ展開だらけで感動要素はないのですが、
陽太やひなや伊座並さん等との会話や日常を視聴者に笑って楽しんでもらって、
キャラに愛着を持たせて『ずっとこのままだといいのに!』と思わせて、
定番の終盤シリアスで突き落として喪失感を出したかったみたいですね。
その日常パートですが、陽太とひなのボケとツッコミの応酬があったりするのですが、
主人公の陽太役の花江夏樹さんの炭治郎声がやたらハイテンションでして、
その会話のノリが好きな人は好きなのでしょうけど、
自分は、『CLANNAD』で春原陽平が坂上智代に喧嘩?で勝負を挑んでは、
格ゲー演出で返り討ちにあったり、
「それと便座カバー」など麻枝ギャグで笑ったことがほぼ無いですので、
面白いことをやっているはずのキャラのテンションとは反比例で、
このアニメではギャグに心が凍えていって置いてけぼりでした。
自主映画撮影で『アルマゲドン』のパロ、『ロッキー』のパロ、『シザーハンズ』のパロ、
売れないラーメン屋に押し掛けて陽太が経営コンサルティング番組の真似事をする話、
陽太が麻雀の試合に出場したもののルールを全く知らずに無茶苦茶をする話。
え?これ?面白いの?現実世界と創作世界が必ずしも同じである必要はないですが、
高3設定にしては子供っぽい反応の陽太役の花江さんの絶叫と寒々しいギャグの空回りで、
面白いことをしてキャラを気に入って愛して貰おうとの麻枝氏の意図は、
私の目線と価値感では早々と頓挫していますね。
5話にて伊座並さんのシリアスエピソードとして亡き母親の話が出てくるのですが、
2話で彼女がピアノを弾いた後は彼女を一旦脇に追いやって放置して、
新キャラ紹介ついでに完全に麻枝氏の趣味で作った、
ラーメン屋と麻雀でそれぞれ下らないギャグ回を重ねた上に、その次の話で、
美人で物静かなトロフィーヒロインでしかない伊座並さんの内面の積み上げがないままに、
そんな彼女の話として、週刊ストーリーランドで放送された『天国からのビデオレター』
から一通目と二通目を飛ばして、最後の三通目だけ抜粋して内容や台詞の丸パクリ。
前半パートで陽太&ひなと、
引きこもりになった伊座並(父)の食べ歩きで尺を費やした上に、
経過を飛ばして、既存の感動作品のクライマックスのみをコピペした泣きイベントで、
「さあ、泣け!」とやられても流す涙は一滴もありませんね。
コピペ元となった『天国からのビデオレター』を自分は既に観ていて、
そっちでは亡き母の娘を思う優しさの数々に感動したことと比較すると話が薄いです。
更には、母から子に送るメッセージの話としては、
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の第10話を何度も観ていて、
幼いアンなりに母に起きた現実を認識して耐えていること、
子供の行く末を案じて手紙を残す、余命幾許もない母・クラーラの心、
(更には原作では生前に弁護士を手配して娘の人生のサポートに手を尽くしています)
幼かったアンも成人して母親になり亡き母から貰った愛情を自分の子供へ受け継いでいく、
代々継がれていく、心の繋がりと血の繋がりを描いていた愛の系譜の物語が、
ヴァイオレットの10話に存在していて、多くの視聴者に涙を流させたことを思うと、
こちらの、泣きイベントをコピーしたに過ぎない話は感動的な音楽で飾り立てようとも、
そこまで染み入るものはなかったですね。
夏祭りの話と自主映画撮影の話を挟んで、
8、9話目で話が動き出して、“ひなの秘密”と“世界の終わりの真相”が暴かれて、
ラスト3話で重めの話が来るのですが、その終盤の展開のために、
陽太の恋愛感情が同学年の伊座並さんじゃなくて小学生程のひなに移っていましたね。
単にひなに振り回されてドタバタやっていただけの陽太の心変わりがいつだったのか?
自分には唐突すぎて意味不明ですね。
人には理解できて自分が理解できてないだけでしょうか?
たった一ヶ月のひなとのハチャメチャな日々であっさり上書きされた、
幼い頃から18歳?の今日まで陽太が伊座並さんに抱き続けていたはずの、
一途な恋愛感情とは一体なんだったのでしょうか?
心の扱いが軽いことに、ラーメン屋と麻雀のエピソードで2回分の尺を丸々潰すよりは、
陽太の心の変遷やキャラ同士の人間関係を丁寧に辿ったほうが良かったと思いますね。
ハッカーの鈴木少年と背中合わせのひなのキービジュアルでは、
世界の命運を握った戦いの話になるのかな?と思えば単なるミスリードで、
鈴木少年は展開を動かす歯車的な脇役でしかなくて、本質は陽太と障碍者のひなの物語。
ロゴス症候群(架空の設定)という治療法が存在しなくて死に至る、
重度な先天的障碍を持って生まれ、
生きてはいるが会話や意思の疎通すらできない寝たきりの娘への介護疲れの末に、
親に見捨てられたひな。引き取った祖父が脳機能を補助するため研究して完成させて、
“神の力”の源でもある、ひなの脳に埋め込まれた量子コンピュータの存在が、
序盤からちょくちょく登場する鈴木少年のハッカーとしての能力と懸命な調査で暴かれて、
神にも等しい演算能力を持つ量子コンピュータは危険と組織によって判断されて、
ひなが連れて行かれて行方不明に。後に鈴木少年は、
自分の行動が事態を招いたことのお詫びにひなの居場所を陽太に教えて物語から退場。
彼は一人の人間と言うよりは物語を動かすのに都合の良い歯車でしかなかったですね。
他のキャラを見ても、陽太に対する気持ちの輪郭が見えてこない伊座並さんが、
2話と5話では見せ場があった以外では顔の綺麗なモブみたいな扱いであったり、
ラーメン屋や芸能人弁護士といった女性キャラも何のために登場したのかわからなく、
脇役らがただの賑やかしの集まりでしかなかったのが、
かつて感動で一世風靡した人間にしてはキャラの扱いが薄くて雑ですね。
量子コンピュータを手術で取り除かれて“神の力”と知能・人格を失って要介護状態になった、
ひなを保護している介護施設から“取り戻す”陽太の奮闘が終盤の第10話からですが、
焦りで冷静さを失っていると解釈しても、陽太の行動の一つ一つが痛々しいですね。
ひなは男性恐怖症になっているので彼女の前で大声を出してはいけないと、
介護施設の女性職員の司波さんから何度注意されても学習しない陽太。
大変な介護は全部職員が献身的にやっていて、陽太が要介護状態のひなに対してやったことは、
ゲーム機を取り寄せて一緒に遊んでと、(それも横で大声で実況して怖がらせて、また叱られる)
ひなが寝ている間に徹夜してのレベル上げで、(ひながレベル上げできないので代行)
光や物音で起こしてしまうからやめるよう注意されています。(しかもこれが美談扱い)
終盤の評判の悪さはひとえに、麻枝氏が頑張ってる陽太として描いたはずのシナリオが、
介護施設での陽太の一連の行動は、無力になった今のひなを思いやってというより、
一緒にバカ騒ぎをして過ごした夏休みのかつての日常の続きをやろうというもの。
自分の目的を叶えるために、我意をひなに押し付けているに過ぎない。
しかもその手段がコントローラーを握らせて好きだったRPGをプレイさせるという。
父親の言葉を介して、子を見捨てるほど苦しい介護の徒労の現実を突きつけた上で、
ひなの介護施設での障碍者描写が比較的に軽度なことで著しく説得力を欠いていますね。
フィクションなのは承知の上ですが、脳や筋力の障害を持った人間の状態はこんなものではない。
障碍者設定もいい加減で、ひなが言葉を覚えたての幼児程度の知能で肉体に対して発達が遅めの、
知的障碍を持った子供にしか見えない。可哀想な可愛い少女とそれを面倒見ている(つもり)の、
ボクにしか見えないのは穿ち過ぎでしょうか?
感動ポルノと言われても仕方ない話な上に、“努力”が徹夜でゲームのレベル上げでは、
脚本を書いた麻枝氏の意図に反して、陽太の行動や思いに共感を覚えるのは困難ではあること。
受け取り方は人それぞれかもしれませんが、私のこのアニメに対しては違和感だらけでした。
麻枝氏が自分が素晴らしいもの、美しいものとして書いたシナリオが、
そうとは受け取ってもらえない現実。それは、他の方のレビューを拝読しても顕著でしたね。
結局最後は障碍はそのままに、『AIR』の最終章の劣化焼き直しで陽太とひなの関係は解決。
神尾晴子→陽太 神尾観鈴→ひな
で置き換えて『AIR』の感動シーンの再現をして『よかったね!』で話は続くのですが、
「原点回帰」とは自分の過去作のパロディだったのですか?
・アニメでこんなに泣ける作品があったのか!って思ってもらいたい。
・誰かの人の心を動かしたい。
と、麻枝氏がインタビューで言っているのですが、
ガワだけ真似ても、過程が無茶苦茶なので美しい音楽と泣き顔で貰い泣きを誘おうとしても、
私には響くものがやはり無かったですね。
引き取られたひなは、再び陽太の家族と一緒に暮らすことになりましたが、
陽太はひなを治す目的で研究者になるために勉強して大学に行くと言っているので、
介護をするのは主に陽太の母親で家族の負担が大きく、
実の親ですら長い介護で心が折れて最後は見捨てた障碍者を引き取って、
介護しながら育てることの責任と覚悟の重さが消し飛んでるのではないか?
普段は車椅子ですが、ひなが立ってバスケットボールを投げてゴールに入れたり、
ヨタヨタとですが歩行可能であったり、ある程度の意思の疎通が可能であったりで、
父親が7年間頑張った末にギブアップするほどの重い障碍とはなんだったのでしょうか?
それらに一切触れてないので最終話の展開も白々しく見えてしまい、
家族と愛情の話としても共感するには及ばないですね。
ひなが連れて行かれて中断していた撮りかけの自主制作映画を完成させるために、
障碍状態にある主演のひなを撮影に駆り出しているのですが、
そのときに周りが見ているのが今のひなではなくて、
修道女の格好をして周りをかき乱していたヘンテコひなの夏休みの思い出であったりで、
陽太と対立してた女性介護職員の司波さんのほうが余程、
今のひなと向き合って接してたじゃないか?と疑問が生じたりしていますね。
陽太が、“神様”だったひなの指示で伊座並さんに告白しようとしたり、
ラーメン屋、麻雀の試合、ビデオレター、夏祭などの30日間が、
どうして、ひなを一生介護するほど好きになる動機になったのかも全く不明瞭であり、
逆算=結論ありき で話を作ってるがために物語の過程での心の流れが不自然ですね。
感動とは、言葉や行動だけでなくて、水面下に人間の様々な思いがあって、
描写を積み重ねに積み重ねた上で表に出てきたキャラの感情に視聴者が触れて、
その思いを理解できたときに、共感などをして自然と涙が出てきたりすると思います。
反面、このアニメでは序盤ではバカみたいなギャグ話に尺を費やし続けた挙げ句に、
後半では展開の重さに反比例してキャラの描写が丁寧でなかったり軽かったりで、
キャラの思いや行動に対しても、普遍的な喜びや悲しみに重なることはなく、
美しい音楽や過去の人気作品の再放送の焼き直しで涙を流させようとしても、
感情の流れと展開のツッコミどころの多さと不自然さに、
評価が妥当な結果に収まっているのではないか?
『ARIA The CREPUSCOLO』『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
など毛色が違う様様な作品それぞれできちんと泣けて、
アニメで泣かせることが悪いとは一切思っていない自分でも、
このアニメで流した涙は一滴もありませんでしたな。
結局は麻枝氏はアニメでやりたいことがあっても、
決められた尺の中で伝えたいことを纏めて、配分する能力が些か弱いのではないか?
ビジュアルノベルならば長さは自由であるし、
マルチエンディングで展開の取捨選択を出来ますよね?
アニメ版の『CLANNAD』のように合計4クールを使ってじっくりできたことこそ、
深夜アニメとしてはかなり特殊なケースですね。
正規にアニメの脚本を学んだことのない麻枝氏の悪い部分ばかり出ていまして、
シナリオライターとしての個性が薄まる可能性もありますが、
今一度、脚本の勉強をする必要が彼にはあるように思いました。
仁井学氏など、P.A.WORKSで仕事をしたアニメーターらの働きに敬意を払いながらも、
作品の評価としては“良くはない”にならざるを得ませんでした。
これにて感想を終わります。
読んで下さいまして、ありがとうございました。
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