ナルユキ さんの感想・評価
2.3
物語 : 2.0
作画 : 2.5
声優 : 3.0
音楽 : 3.0
キャラ : 1.0
状態:途中で断念した
犯られたら犯り返すアダルトアニメ。可哀想なのはヌけない
小説投稿サイト『小説家になろう』でも2017年下半期ごろに頭角を現してきた【復讐もの】の1作。原作も16年年末から一定期間連載していた時期があり、なろう界ではそのジャンルの先駆者とも言えるだろう。
凄まじい回復魔法が扱えるものの、その代償が「かけた相手の、傷を負った時の痛覚を同じように感じる」ものだったために使用を拒んだり、激痛で意識を失い介抱されてきた主人公・ケヤル(ケアルから変更されている。理由はわかるな?)。しかしその結果、仲間からの評価は著しく低くなってしまった。
【追放もの】であればそこでパーティーは主人公を切り捨て別の魔法使いを雇い、後で後悔する羽目になるのだろうが、そちらの方が主人公にとってどんなに良かったか……流石に回復魔法自体はパーティーに重要であることは常識、強力であれば尚更というわけで、なんと彼は暴力や薬物で無理やり魔法を使わされる日々に囚われてしまった。
永年の虐待を経てケヤルの心(倫理観)は壊れてしまい、千載一遇のチャンスが巡ってタイトル通り“やり直す”ことが出来た彼は、2度目の人生を盛大な復讐に充てていく────と、設定自体は中々に凝ったもの。そんな作品がなぜ「気持ち悪い」とまで書かれるほど評判が悪いのか?
その謎を解明するため、我々調査隊は本作の奥地へと向かった──。
【ココがひどい:ヒール(回復魔法)の拡大解釈】
メタ的に考えれば「なろう」だから、劇中設定で考えれば「癒しの勇者」だからなのだろうが、本作でケヤルが使うヒール(回復魔法)は一般的なファンタジーのイメージからあまりにもかけ離れており、そこが大きなツッコミどころとなっている。
この作品で“回復させる”ということは「対象物の情報を全て把握した上で万全の状態にまで復元する」ことと同義であり、腕を喪った剣士を元通りに治し、腕を落とされた激痛を味わって倒れるところまでは理解できる。ハイリスクハイリターンな回復術だ。
しかしそこからまるで連想ゲームをしたか屁理屈をこねたかのように突飛な応用魔法まで続々と披露する展開に「ああ、やっぱりなろうだな」と落胆してしまう。
{netabare}「かけた相手の、傷を負った時の痛覚を同じように感じる」という代償も言い換えれば「相手のこれまで経験したこと全てを体験できる」ということになるらしく、転じてケヤルは相手に触れるだけで経験値を稼ぎスキルをコピーする《模倣》が使え、剣士を回復させたことで(オリジナルよりは劣るらしいが)一流の剣技を手始めに獲得している。ルビは「ヒール」。
対象の情報を把握すれば相手のスキルをコピーすることが出来るのだから、コピー元の能力や記憶まで消して奪う形にできる《略奪》も造作もない。ルビは「ヒール」。
そして回復も対象物の情報を全て把握した上で「万全の状態にまで復元」出来るのだから、相手の姿形を自在に変える《改良》も可能だ。壊れた形に変えようとするならそれは《改悪》という攻撃魔法に転換することになる。これで相手の肉体を破壊することも可能である。やっぱりルビはどちらも「ヒール」────もうなんでもありじゃねーか。{/netabare}
本来は仲間の全滅を防ぐ後方支援職、それが回復術士(ヒーラー)だ。そのポジションを主人公として立てるにはそれなりのアレンジが確かに必要だろう。例えば『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』に登場する、回復魔法の魔力を拳に乗せて打ち込み過剰回復で相手の身体を破壊する格闘家・マァムのように、無理なく理屈っぽく設定を捻り出し、アグレッシブな活躍が描けるようにしなければならない。
しかし本作の「ヒール」は万能過ぎる。回復もヒール、攻撃もヒール、顔の整形も記憶操作もヒール。全てを「ヒール」の2音3文字を唱えるだけで済ましてしまい、ケヤルは目的を難なくクリアしていってしまう。代償で感じる筈の激痛も2話からは何処へと消え去ってしまう。
この作品は『回復術士のやり直し』というタイトルの筈だが、ケヤルが至極、簡単な方法ですぐに強くなってしまうと最早、彼を回復術士と呼ぶ必要性が無い。ヒール(回復魔法)の解釈を拡げ過ぎたことで、他作品で見かける「魔法使い」というジョブと代わり映えしなくなってしまっており、その強さにも納得がいかない。
【ココもひどい:やり過ぎ、そして犯り過ぎ】
{netabare}ヒールを応用した《模倣》によってS○Xしながらでも経験値稼ぎができるケヤル。「なんちゅー単語を出してるんだ」と読んでる方は思うかもしれないが、これがこの作品の本質だ。ケヤルの受けた仕打ちの大半は「性暴力」でありその仕返しや、後に結成するパーティとの営みも全て「性行為」が関わっている。レベル上げの方法の1つに『選ばれた勇者の精を取り入れる』という設定もあるため、癒しの勇者であるケアルでも性交に詰め寄られるモテモテさんだ。あまりにモテモテ過ぎて{netabare}城の男兵士{/netabare}にまで犯される始末だが(笑)
術の勇者・フレアからは薬漬けにされて頭が働かないようにされ、犬として扱われる。罵られ殴られ蹴られつつ、薬を対価に股座を舐め(俗にいうク○ニ)させられたり逆レ○プされたりもする。フレアは王女という立場であり、ケアルを犬だのクズだの呼びながらもエッチに関しては何故かノリノリだ。
ケアルも出会った当初は彼女に惹かれていたが、本性を晒した彼女の配慮の無いまぐわいに快楽を感じる暇はなく苦痛しかなかったようだ。
なのでケアルの復讐も「暴力」や「強姦」に傾倒する。指の骨を全て折ってはヒールで治すことで延々と痛めつけたり、熱した鉄棒を挿入すると脅してフェ○チオを強要したり、結局レ○プしたり────やられたことを返しているだけの筈なのだが次第に「あれ?これ主人公の方が悪なんじゃね?」と視聴者は思ってしまう。
これは主人公が復讐をするための「免罪符」が足りていないのが原因だと考えられる。ケアルは確かに酷い仕打ちを受けていたが飽くまでも“自身”が痛めつけられただけ。家族や恋人を殺されたり、故郷を焼き討ちされたりといった“取り返しのつかないもの”にまでは手を出されていないのである。他者を想うが故に復讐を行う主人公ならとても魅力的に写った筈だが、自分の自分による自分のためだけの復讐に走る主人公というのはやはり感情移入が難しい。{/netabare}
【ココもひどい:可哀想なメインヒロイン】
{netabare}そうなるとどちらが可哀想かと言えば王女・フレアとなる。主人公を痛めつけたのだから同じように痛めつけられる。無理やり言うことを聞かせるよう薬まで使ったのだから同じような「メス豚」にされるというところまではギリギリ納得はできる。
だが流石に主人公が「記憶を消して別人にしてしまう」というのはやり過ぎだ。人格を消してしまったらそれはもう殺人と何も違わないのではないだろうか。ケヤルは1度でも仲間に殺されたか? いいや、そこまではされていないのである。
記憶を消して顔も性格も変えた結果、メインヒロインとしては「劣化」してしまっているのも残念な欠点だろう。
例え性格が最悪でもつり目で端正な顔立ちをしていたフレアが、主人公に従順で垂れ目の締まりがない顔つきをしたフレイアとなる。なろうでお馴染み「ハーレム」の一員に成り下がってしまうのだ。{/netabare}
【総評】
ざんねん!! わたしの ぼうけんは だいにわで おわってしまった!!
「心(倫理観)の壊れた癒しの勇者」という設定・肩書きのみで整合性を取った罪の重い主人公の復讐が、なろう作品らしくやること為すことトントン拍子に上手くいく。そのやり口も非常に暴力的で品がない。1にS○X、2にレ○プ、3・4がなくて5にレ○プという感じである。
作画・楽曲・声優演技も他作品に勝る所は無し。むしろ作画はHシーンを隠すためとは言え、何の変哲もない背景絵を数十秒置いて済ますことがあり、内容の割には退屈した映像が続いた。仮にこの作品を100%楽しみたい方がいるなら隠しや止め絵を廃した『完全回復ver.』がオススメだが、個人的嗜好としては「可哀想なのはヌけない」ため、そこまでの手間隙をかけて解禁映像を観たいとは思えない次第である。
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