ナルユキ さんの感想・評価
4.5
物語 : 4.5
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 5.0
キャラ : 5.0
状態:観終わった
30を超えた「あなた」に送る青春アニメ映画
『泣いて……ない⤴しっ!』で〆るCMが一世を風靡した(?)長井龍雪・岡田麿里・田中将賀ら「超平和バスターズ」が送る青春映画作品。所謂『秩父三部作』のラストを飾る一作であるが、この作品は音楽へのこだわりと、あの花やここさけとはまた違ったテイストの脚本が特徴だ。
冒頭から、主人公である女子高生・相生あおい{あいおい - }が屋外でエレキベースをかき鳴らすシーンが印象的。ベースのリズミカルな低音とかき鳴らす少女の姿が妙にマッチしており、この作品の世界観にぐっと引き込まれる。
ベースの音に乗せて語られるのはあおいの過去。小さな頃は年の離れた姉と共に姉の彼氏が組んだバンドを応援する日々があった。彼らへの憧れが現在でもあおいにベースを握らせている。
しかし両親が亡くなると、姉は親代わりに妹である自分の面倒にかかりきりになってしまう。そして姉は自分のために彼氏との上京を断った。自分も姉と離れ離れになるのが嫌で、食い下がる彼氏を拒絶してしまった。
今の自分がその時の姉と同じ年齢になったからこそ判るものもある。私は姉やその彼氏から夢も恋も奪ってしまったのだ、と。
「負い目」をベース(基本)に様々な思いがごちゃ混ぜになった感情が年齢特有の少しひねくれた態度、今や地元の役所に勤める完璧な姉への接し方から常に滲み出ている。あおいからは「超平和バスターズ」特有の青春真っ只中なキャラクター描写を感じ取れるだろう。
そんな彼女の前に「姉の彼氏」が「13年前の姿」で現れる所から物語が始まる。
【ココが面白い:しんのと慎之介】
ある意味で彼──“彼ら”はもうひとりの主人公である。高校卒業後は上京しミュージシャンとして成功し、故郷に残ったあおいの姉・あかねを迎えに行くという「将来の夢」を抱いていた。
そんな夢に向かってまっすぐだった頃の「しんの」が生霊となってあおいの前に現れる。自分がなぜ生霊となってここにいるのかもわからず、彼にとってはいきなり13年も時間が経っている状況だ。小さな子供だったあおいも自分と同じ高校生になっており最初は戸惑うのだが、やがて自分の為すべきことに気づいていく。
一方、13年経った現在のしんの──「金室慎之介{かなむろ しんのすけ}」──も故郷に帰ってくる。だが、彼は13年前のしんのとはまるで違う。覇気も無ければ儚さを得たわけでもなく何より、彼はもうバンドの中心には立っていない。現在の彼は演歌というキワモノなステージの片隅でバックギターをしているという有り様である。
悪く書くつもりはないが演歌は普通、若者が好き好んで弾きたい曲ではない。それを楽しむでもなく渋ることもなく淡々と弾く────“大人の事情”に呑まれた、ということになるのだろう。現在の慎之介は自分の曲を売ったり好きな曲を弾いたりして食べていける状況ではない。
一応はプロであり夢は叶ったとも言えるのだが、過去の自分が思い描いた姿とはあまりにもかけ離れている。斜め下だ。だからこそ慎之介は今まで故郷には帰らず連絡も断っていた。そんな彼が突然帰ってきたのも自分を隅に置きコブシを効かせて歌う演歌歌手についていくしかなかったに過ぎない。
望まぬ形で故郷に帰ってきたことで、慎之介は「醜態」とも言える現在の姿をあおいや故郷のバンド仲間、そして彼女であったあかねにも見せてしまう────そんな彼の姿に重なる人は多いはずだ。
かつての──高校生の頃──の私たちは各々に夢を抱き、その夢を叶えようとしていた。だが「30代」になって、その夢が高校生の頃に思い描いていた通りに叶ったとは言い切れない。多くの「30」という節目を超えた大人が通ってきた道のりなのだろう。
誰しも夢が叶うとは限らない、夢が叶うことすら珍しい。慎之介の姿は本作を観ている私たちそのものであり、上手くいかない社会だからこそ彼の姿に自分を重ねてしまう人も多い。
【ココも面白い:初恋の相手は生霊になりました】
すっかりやさぐれてしまった慎之介とそのあまりの変わり様に戸惑うあおいは、ひょんなことから13年前の『(あおいが)大きくなったらウチのベースな』という約束も叶えることになる。しかしそれも、当時思い描いていた理想とはあまりにもかけ離れていた。
{netabare}演歌のバックバンドという形もそうなのだが、もう現在の慎之介にあおいを思いやる優しさは無い。それはプロとしての高い自覚か、それとも子供ながらに自分と恋人を引き離した恨みか、はたまた自分の思い通りにいかなかった人生の八つ当たりか────慎之介のあおいに対する接し方は終始、冷たいものになる。『女がベースとか、そもそも向いちゃいないんだよ』は、例え事実でも彼女を傷つけるためだけの言葉選びだ。
その一方で13年前の「しんの」はかつてのように優しい言葉を彼女に投げかける。未来の自分である慎之介のあらましを聴き『慢心している』と断ずると、あおいが彼を見返すことが出来るように彼女の荒削りな演奏を直していく。
しんの『ベースはよ。どんなに場がぐちゃぐちゃになっても正しくリズム刻んで、みんなをフォローしなくちゃなんだからな。周りの音を聴きつつ、自分のペースは乱さない』
あお『あ、うん』
しんの『ガツンとキレキレの演奏して、あいつ(俺)の慢心を木っ端みじんにしてやれよ』
あお『で、できる……かな?』
しんの『できるに決まってんだろ絶対。お前ならな。だろ? “目玉スター”』
小さな頃に憧れた姿そのままを保つしんのと再び、17歳という年齢から接していくことであおいは程なく恋に落ちる。公式では“二度目の恋”とされているが、憧れと恋心は違う感情なのでこれが実質の「初恋」だ。頭を撫でたり撫でてもらったり、邪な理由での上京を全肯定してもらったり、キスを迫る──のが恥ずかしくてデコピンにずらしたりといった睦み合う描写がとてもいじらしく素晴らしい。
だがしんのは生霊で「姉の彼氏」だ。そんな彼に恋をしてもどうにもならないし、当時彼と付き合っていた姉への裏切りの様にも思えてしまう。しんのは慎之介と違うが「同一人物」でもあるのだ。その相反するような事実、そこから自ずと導き出される“結末”があおいを泣かせるほどに追い込む。{/netabare}
【そしてココが熱い:お前になりたいと思わせてくれ】
{netabare}ストーリーが進めば進むほど、しんのと慎之介の違いはより鮮明になっていく。しんのは夢と希望に満ち溢れる反面、あかねを連れて上京することができないという現実を受け入れられなかった慎之介が残した「心の一部」だ。だから彼はお堂から出ることができない。お堂の中だけが13年前から変わらない場所で在り続けたからだろう。
自分の正体がなんとなく解っていたからこそしんのは、あかねを諦めて独りで上京した慎之介を『前へ進んだ』と認めてはいる。しかしそれだけだ。未来へ進んだ慎之介は社会に揉まれ大人の柵{しがらみ}に囚われている。変に大人ぶって無闇にあおいを傷つけ、大事な人である筈のあかねの危機にも真っ直ぐ駆けつけられないでいる。しんのは慎之介の胸ぐらを掴む。
『なあ、思わせろよ。俺はお前なんだよな?だったら思わせてくれよ。いろいろ、上手くいかないこともあるんだろうけど、それでも将来、お前になってもいいかもしんねえって、思わせてくれよ!!』
これが普通のタイムトラベル物であるなら、未来の腑抜けた自分を目の当たりにした時、「ああなりたくない」「未来を変えてやる」とそう思うのがセオリーである。しかししんのは生霊で、心の一部で、決して何も変えられない「過去」そのものだ。現在の自分に対して感じた思いを本人に訴えるしかない。
このシーンまで観た人は「私は過去の自分に恥じない生き方をしているのだろうか」と省みてしまう筈だ。過去の自分は少なからず現在の自分よりひどくまっすぐで純真である。そんな自分に『将来、お前になりたいと思わせてくれ』と言われたら、人生の「仕方ない」と思う部分を減らし、あの時の情熱を取り戻そうと奮起できる。それを代わりに言ってくれるのが本作の「しんの」だ。{/netabare}
【そしてココがすごい!:盛り上がる楽曲と懐かしのガンダーラ】
ここまでストーリーに着目してきたが、そのストーリーを盛り上げる楽曲の数々も素晴らしい。なにしろ度々、挿入されるのがゴダイゴの『ガンダーラ』である。
ガンダーラは民俗音楽の様でありつつもきちんとしたロック、ゆったりとした曲調に男性ボーカルの力強い歌声を乗せた大ヒット曲だ。本作はそんな名曲をカバーし、様々な場面で聴かせてくれる。
{netabare}特に印象的なのは、あおいが慎之介への反抗心だけで演奏した「速弾き」気味のガンダーラであろう。TOKIOの『宙船』並みのアップテンポであり、様々なことに不満を抱えた相生あおいらしい若々しいアレンジとなってる一方で、1度も誰かと“合わせ”たことのない彼女の弱点も表している。必死についていくブランクドラマーのみちんこが大変そうだった(笑){/netabare}
勿論、過去の名曲に頼りきるばかりではない。映画の主題歌である『空の青さを知る人よ』は、あいみょんの歌声と感動的なメロディー、そして編曲の田中ユウスケ氏が手掛けた壮麗な弦楽器のアレンジが、映画の重要なシーンで広がりを持たせている。
この楽曲は、もう1人の主人公とも言える慎之介の視点から描かれており、彼の内なる葛藤や希望を表現している。男性視点の作詞作曲が得意なあいみょんの分野が活きているとも言えるだろう。
【他キャラ評】
相生あかね
主人公の姉でもある彼女は健気だ。13年前に両親を亡くし、幼い妹がいたために彼女は彼氏であったしんのと上京するという夢を諦めた。男女の恋愛を捧げて彼女が優先したのは「姉妹愛」だ。
{netabare}例えその妹自身に『バカみたいだ』と言われても、「誰のせいでこの選択をしたんだ」とは口にしない。喉まで出かかった嫌な感情を飲み下した後のような『バカみたい、か……』という呟きと目に浮かぶ涙はとても印象的であり、あの花やここさけとは違った繊細で如実な「我慢する30代」が描かれていた。
あの時、後悔しない選択肢は無かった。けれど選んだこと自体に後悔は無い。彼女の強い意思は序盤に然り気無く吐露されているのだが、初見では単なる「強がり」だと捉えてしまうだろう。あかねの気持ちがが慎之介やあおいにいつ伝わるのか。それもこの映画に注目できる点である。{/netabare}
【総評】
全体的に見て完成度の高い作品だ。あの花やここさけの様な10代のキャラ同士の青春だけでなく青春を終えた30代のキャラクターの物語も描くことでストーリーに厚みが生まれており、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を当時観ていた10~20代が8年経って大人になったからこそ刺さるストーリーになっていた。稀有ではあるが親子で観る、というのも十分にアリだろう。
サブキャラクターも魅力的であり、以前の作品ならばもっとギスギスしたりドロドロしたり口喧嘩し合ってもおかしくなかったところ、今作ではそういった描写をグッと抑えている。
主人公・あおいに恋する小学生や、同級生のギャル、姉・あかねとしんのと同級生だった「みちんこ」といったキャラがメインキャラクターのストーリーにさり気なく干渉しており、キャラクター同士の関係性が微笑ましい。そしてあおいとしんの、あかねと慎之介の関係の変化とその帰結にも感動できる。とくに後者は30になってしまった互いの絶妙な距離感が生々しく、2人の気持ちが痛いほどわかるだけに強く感情移入してしまった。
秩父三部作────これらの脚本を担当した岡田麿里氏は私の中では極端な感情描写が特徴だった。可愛らしい女の子キャラが顔歪めて口喧嘩をし、泣き、叫び、走る。その極端な感情描写を青春ストーリーの中に収めることで見る側の感情移入を誘っていた。
しかし、本作は繊細だ。30代というキャラクターの感情の描写は過去の脚本のように叫んだり泣いたりはしない。口喧嘩は少しあるものの、極端な感情描写ではなく自然なものだ。勿論その制作にはともに超平和バスターズを結成した長井氏や田中氏の助力もあったのだろうがこの新たな一面を同氏が手がけたことが個人的には最大の驚きである。
{netabare}ただ、ラストにしんのがお堂を飛び出してあおいと共に空を飛んだり跳ねたりするファンタジー全振りなシーンはこれまでやってきた繊細なキャラクター描写や掛け合った台詞とまるで合っておらず呆気にとられてしまう。そこが作品の欠点かな、と思う一方でそんな2人をタクシーや自転車など現実的な方法で追いかける慎之介というのがやはり青春爆発的な10代と年を取って色々と重くなった30代の対比なのかな、とも考えられる。単に映画の〆としてド派手なシーンが1つ欲しかっただけかも知れないが(笑){/netabare}
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