# あらすじ
京都に住む高校生の堅書直実は, 10年後の世界からやってきたと自称する自分と遭遇する.
10年後の自分から, この世界が量子記憶装置アルタラで再現されたシミュレーション空間であることを告げられ受け入れる.
現実世界の自分がこの世界に来た目的は, 雷に打たれ亡くなった一行瑠璃を救うためだと告げられる.
直美は, 現実世界の自分を自分の将来を知る先生として協力することにする.
先生の教え通りに行動をし, この世界での一行さんを救うために行動する直美であったが, 落雷を回避したところで先生の真の目的を知る.
現実世界の一行さんは亡くなったのではなく脳死状態になっていた.
シミュレーション世界の中で脳死状態に至る直前の一行さんを再現し, そのデータを現実世界の一行さんに流し込ませ意識を回復させることが真の目的であった.
シミュレーションの一行さんは先生に誘拐され, データの不整合性が顕著になったシミュレーション世界は破壊されていく.
破壊されていく世界の中で, 直美は崩壊の中心部へと飛び込む.
すると彼は現実世界に降り立っていた.
しかし彼とともにアルタラ内のデータの修復を行う狐面が現れ, 世界の不整合性を直すために, 意識を取り戻した一行さんの殺害を試みる
アルタラによって崩壊が始まる現実世界の中で, 先生と直美はそれを止めるべく一行さんと直美を元のシミュレーション世界に戻すことを決意する.
一行さんを戻すことには成功するが直美を戻す前に追手が到達する.
一行さんがいなくなった今, 直美と先生という同一人物が世界に存在することが問題となり, アルタラはそのどちらかを殺害しようとする.
結果, 先生がその死を受け入れ, 直美は元の世界で一行さんと再開する.
先生が目を覚ますと, ガラス越しに喜ぶ研究者らの姿とそばに立つ大人になった一行さんを視認する.
先生がいた世界もまたアルタラのシミュレーションであり, 今までの物語は脳死状態にあった自分を回復させるべく一行さんの行っていた処置の一環であった.
# 感想
野崎まどが脚本を担当しておりSFオタクを喜ばせるような要素が若干存在するが, 基本的には気楽に見れるSFアニメになっている.
ただ最後のどんでん返しが最初の視聴時にはあまり理解ができず, Wikipediaなど他の文献を読むことでようやく世界観の全貌を理解することができた.
主人公の心情を追体験させるための設定だと思うが, 観客を置いてきぼりにさせている感は否めない.
SF作品には現在では受け入れがたい技術(タイムワープなど)が存在することが多い.
そのある種の非現実的な設定を受け入れることで物語を楽しめるのだと思うが, 今回の場合は先生のいる世界でアルタラから狐面が溢れ出る要素が受け入れるべき設定なのだと思い視聴していた.
しかし, 最終的には先生のいる世界自体がアルタラのシミュレーションであるため, 受け入れるべき設定は膨大な計算が可能な量子記憶装置の存在だけとなり, 現実的で受け入れやすい.
ただ, 途中の狐面の強襲をSFの設定として受け入れないとそれ以降の物語を楽しめないが, 結果として受け入れる必要はなかったわけで, ある種のやるせなさが残る.
また視聴時には, 先生が一行さんの精神を脳死状態の彼女の体に移して以降の彼女の心情について疑問に思っていた.
自己の一貫性に対する疑問もさることながら, 思春期の10年間をすっ飛ばし大人になってしまった自身に対する戸惑いがほとんど描画されていないことが疑問だった.
作者が男性であるがゆえに, 女性の心情描写が苦手なのかと邪推すらした.
結末としては, その疑問は直美自身と直美に感情移入していた我々に戻ってくる.
さらに一行さんのその疑問に思った行動は, シミュレーション上の人間だからという逃げ道があり, 鮮やかな伏線回収だなと思った.
映画を1回見るだけでは十分に楽しむことができない点は残念だが, 比較的わかりやすく楽しみやすいライトな雰囲気で, そこそこしっかりとした設定のSFアニメ映画になっており満足できた.