ostrich さんの感想・評価
4.0
物語 : 4.0
作画 : 3.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.5
状態:観終わった
はたらく、はたらく
人間の体の仕組みをアニメでわかりやすく伝えるなんて、いかにも教育的でEテレあたりで放送しそうなものだが、本作はそういう作品ではない。
いや、たしかに骨子は教育アニメ(マンガ)的なのだけど、作り手がやりたいのはそれらのパロディだ。だから、教育アニメだとまずあり得ない血しぶきがブシャブシャ飛ぶし、女性に擬人化された細菌がバンバン殺される。しかも、主人公のひとりである白血球によって。
このあたりは、不愉快に感じる人もいるかもしれないが、少なくとも、私は第一話で細菌が殺される際に、血しぶきが飛んで、白血球の白い制服に返り血が付着したところで親指を立てた。
誤解してほしくないが、本作はパロディだからといって、知識的な部分をおざなりにした作品では全くない。それどころか、知識的な部分は実によく調べてある。
これは作り手のセンスが確かな証拠だ。パロディをやるなら、いや、パロディだからこそ、その対象には敬意を払うべきなのだ。本作の場合の敬意とは「教育アニメの根幹の部分は踏襲する」ということ。そして、教育アニメの根幹が何かといえば、もちろん、「正しい知識」である。
それを教育アニメではありえない方向で解釈してみせることで、パロディを成立させている。
さて、この前提に立つと、肝になるのは「どういう解釈をするか」ということになる。
そのひとつが擬人化なのだが、細胞の擬人化そのものは、それこそ、教育アニメ(マンガ)でおなじみのありふれた手法だ。
本作ではそこに「はたらく人」としてのディテールを加えているのが面白い。たとえば、赤血球と白血球あたりの「業者感」はとてもセンスがいい。そう、「はたらく人」のイメージと言えば、まず、作業着だ。
そのうえで、特殊な働きをする細胞には、特殊な職業を当てていたりする。キラーT細胞を軍人、しかも、特殊部隊(ネイビーシールズかな)に見立てているところでも、私は親指を立てた。
そして、本作はこれを出発点に案外、深いテーマに入っていく。それは「はたらく」とは何か?という問題だ。
ネタバレになるので、詳述はしないが、最終話は完全にそのテーマを描いていて、私も「はたらく」ものの一人として、結構、感動してしまった。
少し話はそれるが、昨今、「はたらく」ことを金銭を得る手段や自己実現の手段として考える風潮がある。それが間違っているとは全く思わないし、正直なところ、私も若いころはそんなふうに考えていたけれど、それなりに働いてきた現在は、それが「はたらく」ことの本質だとは思っていない。
聞いたことがある方も多いと思うが、「はたらく」の語源は「傍(はた)を楽にする」という説があって、現在の私の考えはそれに近い。誰かが楽になるために何かをすること、それをみんなが行うことで、あるシステムを回し続けること、その結果、みんなが生きていけること。これが「はたらく」ことの本質だと思っている。
本作が最終的に描いたものも、おそらく、そういうことだろう。
血しぶきブシャブシャの楽しいパロディ作品から入って、きちんと、「はたらく」というタイトルに掲げた言葉を受けた着地にしているのは、とても、誠実な仕事だ。
きっと、本作の細胞たちの姿を観て、翌日、いつもより、少しだけがんばって「はたらく」人もいるに違いない。そのことで、私たちの社会というシステムもいくらか快適に回り、私たちは生きていける。
本作の作り手たちもまた、「はたらく」人たちである。
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蛇足
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本作は細胞を人に見立てているわけだが、逆に人の営みを細胞に見立てることもある。
詳しくは「細胞(政党)」で検索してもらえば良いかと思うが、組織の中の構成単位を「細胞」と呼ぶことがあったのだ。
本作と上記のこととを併せて考えると、人の社会と人の体が不思議と似通っているのが興味深い。
もちろん、どちらもメタファーなので、解釈次第ではあるのだけど、人は自らの体を模して社会を構成したのか、みたいな想像もなかなか楽しいかな、と思った次第である。
ちなみに、上記の「細胞」という言い回しは、主に左寄りな人たちの間で使われていたらしい(が、今ではそういう人たちの間ですらも廃れているようだ)。
そうなると、本作の「はたらく細胞」というタイトルは、かつて、この言い回しを使っていた人たち(つまり、そこそこのお歳の左寄りの方たち)にとっては、本作の内容とは全く関係ないところで、彼らの心の琴線に触れる可能性がある。
彼らが間違って本作を鑑賞して、あにこれにものすごく難解な長文を投稿してくれたりしないだろうか。まあ、しないか。