エイ8 さんの感想・評価
4.1
物語 : 3.5
作画 : 4.5
声優 : 4.0
音楽 : 4.5
キャラ : 4.0
状態:観終わった
おそうじ完了~
『ペルソナ5』(ペルソナファイブ、PERSONA5)は、アトラスより2016年9月15日に発売されたPlayStation 3 / PlayStation 4用ゲームソフト。
018年4月からはテレビシリーズ『PERSONA5 the Animation』(ペルソナファイブ ジ・アニメーション)が同年9月まで放送された(wikipedia)
どういうわけか自分でもよくわからないのだけどこの作品だけはレビュー書いとかなきゃならない気がしたので書くことにしました()
ちょっと記憶の混同もあってアニメだけの話だったかゲームでの話だったかわからなくなってるところがあるので、その点はご了承下さい。
アニメの内容自体は完全にゲームの総集編といった感じなので、プレイ済みならばあえて見る必要も無いよな、というのが率直な感想。一方で未プレイの方にお勧めできるかと言えばあんまりそういう感じでもない。プレイ済みのファンアイテムとしても、未プレイ者の販売促進のどちらにおいても中途半端な感じがするというのは否めない。
ゲームでもそうだったのだが、そもそものギミックがあまりにも簡単すぎるのが致命的。どこかと言うとモルガナのパンケーキ発言のところなのだが、これ普通に見てたら絶対に違和感あるところだよね?ところがとりあえず物語は何事もなかったかのように進んでしまうので正直編集ミスか何かを疑うレベルだった。いや、明らかにあの時点で明智が怪しいのはわかってるのだからそのつもりで動かないとダメでしょ怪盗団というか主人公雨宮君。
モルガナが途中からオタカラに興味を示さなくなったのも結局解答らしい解答がなかったのはゲームでも同じ。一応色んな考察がなされてはいるみたいだが推測の域をでない。これは結構重要な伏線だったと思うのだがきちんとした説明がないというのは何とも寂しい。個人的にはオクムラのオタカラは実は偽物だった説をその時は取ったのだが(明智あたりが用意していたという推測)、まあその後の流れから見ると推測はハズレたと考えるしかなかった。一方、新島冴の時にも反応しなかったのはあのアタッシュケースはオタカラではなかったということなのだろうが。(というか、事前に警察手帳であるかのような伏線入れといたのに明智があれに反応しないというのも変だなと思った。アタッシュケースが唐突に現れるのも……まああれはカジノなんだしセーフか。)
ニイジマパレスでもう一つ謎だったのはタナカ・タロウのカード(あれ?これアニメでもあったっけ?……ちょっと記憶が混同してますがあったものとみなして話を進めますw)。双葉があんなものをわざわざ作って明智に渡すものだから何かの罠の伏線だと思ったら本当にただのミステイクを後に明智が機転を利かせて窮地を脱するという意味不明な流れ。本当、何であんなことしたんだろうね……
後の謎はと言うと、杏の「みんなのこと昔から知ってる気がする」発言か。これも色んな考察がなされているけど結局推測の域を出ない。(少なくとも5Rでも答えは出てない。)
エンディングも含めて実のところ物語はしっかりと大団円を迎えていないというのがペルソナ5の大きな問題点の一つではある。これは多分ヤルダバオト戦にもっていくために獅童を簡単に捕まえるわけにはいかないという事情から来た弊害だと思うけど、正直しっくりこない。ひょっとしたら続編のための処置という可能性もあるが、未だに雨宮を付け狙う必要性が物語上あるとは思えないオチなんだけどなあ……
ところでこのペルソナ5は海外でやけに受けたようだが、どの辺が受けたのかは正直なところわからない。ミニチュア「TOKYO」内を散策するところとかだろうか。
印象では4に比べてキャラがだいぶ没個性的になったと感じた。いやいやそれ単なる思い出補正でしょ?とか言われるかもしれないが、実のところ個人的には4Gと5Rをほぼ連続してプレイしたためそれは無い。何なら4Gを終わらせるより前に5Rも始めたので操作がしばしば混乱してしまったほどだ。(5Rでの△ボタンはペルソナ選択だが4Gではラッシュになる。何度これで暴発したことか……)
5においてもモルガナは勿論のこと双葉や祐介に関してはそれなりにキャラが立っていると思ったが、とにかく秀尽学園組がそろって薄味だ。良く言えば等身大の高校生たちなのだが、やはり全員キャラの濃い4と比較するとどうしても物足りなさを感じてしまう。
それとおそらく既に散々指摘されていることだとは思うけど、5の怪盗団の行為はかなり危険だ。作中で明智からも危険性を指摘され、それに対して主人公達(主に竜司)が反発するという流れになるのだが、こればかりは間違いなく明智の主張の方に分がある。怪盗団の改心とは強制的な洗脳であり私刑と一緒という解釈は筋が通っている。
なのでこういうアンチヒーロー(ピカレスク)ものの鉄則として、敵はとにかく悪い奴じゃないといけない。そうあることで初めてアンチヒーローの超法規的な行動が正当化され(やすく)なるわけで、実際登場する敵役は救いようのないワルばかりである。
こういう構図の中にあるからこそ、怪盗団は(少なくともプレイヤーや視聴者の視点では)支持されるわけだが、もし仮に現実世界にこのようなことをしている可能性がある者が現れたらたまったもんじゃない。何故なら第一に彼等の活動は一般人には見えないわけだし、第二に支持している人は改心させられた結果なのかもしれない。事実、敵役で政治家の獅童正義は認知訶学(認知『訶』学な!科学の『科』じゃないぞ、摩訶不思議の『訶』な!そこ大事。by双葉)を悪用していた。彼は作中では大変な人気者で高い支持を誇る。「好感度が高い人が悪い事をする」のはフィクションの世界だけ!なんてわけないことは言うまでも無いだろう。
更に言うとこの手の主人公は「無謬」でなくてもいけない。ようするに敵だと思ってやっつけた奴が実は普通の善良な市民だったみたいなことはご法度と言うわけなのだが、この作品の場合は「認知の歪み」が生じるほどの人物はパレスが生まれ、そこまでいかなくてもメメントスの中でシャドウ化するのである意味間違えることはない設定にはなっている。
というわけで毒には毒をと言わんばかりに改心を続けていくわけで、最終的には認知存在の神を倒して5のストーリーとしては終わる。(個人的にはいくら演出とはいえ支持率100%になるのはキモチワルイと思ったが、まあそれはしょうがないか。)
基本的に怪盗団のやってきたことにミスはないが、オクムラに関しては判断が難しい。致命的なミステイクだったとも言えるが、実際に悪い奴だったという事実が争点とはなるだろう。つまりは結局自業自得ともいえるわけだ。そもそもやべー奴じゃないとパレスができないというのは前述したとおり。
……では何故それぐらいの状態になった冴だけはオタカラを盗まずに改心できたのかは謎ではあるが。
さて、この後完全版ともいえる商品が出た。それがペルソナ5ロイヤル。アニメの内容どころかゲームの内容すら超えてしまうので以下はネタバレ扱いにしてふせる。興味のある方だけどうぞ。
{netabare} 5Rではとある追加キャラが敵となるわけだが、結論から言うとこの人物と怪盗団の互いの正義を賭けた戦いみたいな形となる。ここで厄介なのはこの人物は上述したようなアンチヒーローものの鉄則に反し「善人」ではあるのだ。一応認知そのものを歪めることを悪と見ることも出来なくないが、それだと怪盗団の手口自体も似たようなものだ。
怪盗団が悪人を改心によって実質的に無力化させるのに対し、このキャラは客観的な認知そのものを歪めて事実上ほぼ世界線を変えるようなことを行う。
実際に彼が認知を改変したおかげで死んだ筈の者達が生者として振舞うことになるのだが、怪盗団の面々はそれをあたかも自分達の「弱さ」を克服するかのような形でそのような世界を否定し元の世界に戻そうとする。
もしこれが他の作品であるような、あくまで彼らの主観の中の世界の話であるのならそれは納得できる判断ではある。が、これは認知の改変といえども事実上客観世界での話であって、つまり必ずしも怪盗団に生殺与奪の権利はない筈なのだ。彼らはあくまで「原状回復」する力をもってるだけに過ぎない存在であるにもかかわらず、事実上生き返った形となる死者たちの意志などおかまいなしに戦いへと赴いていく。
また同時に、大きな傷を受けた人物においてもその事実が無くなったことになる。ようするに志帆のことだが、杏は彼女の意志を確認することもなく彼女の幸せを奪う決断を独断で下した。死者に関しては実質亡霊なのだから消してもセーフというのはわからなくないが、彼女は元から生きている。
更に言うと別の新キャラクターは自らの意志で怪盗団を拒絶しているにもかかわらず結局力でねじ伏せられる形で「救出」されてしまう。その後彼女は怪盗団に感謝することにはなるのだが……
一方で主人公は明智の意志決定に関しては尊重することになる。だがそれは彼が消えてしまう道である。逆に彼の意志を尊重しない場合はバッドエンド扱いとしてのディストピア世界が始まることになる。完全無欠の幸せな世界は、誰かの手によって演じられた仮初のものに過ぎないというわけだ。
これらのように認知の歪みと言う設定はこういう時に厄介な現象を生じさせる。多分プレイヤーの中にも「こいつら何を勝手な事を」と思った人も少なからずいたことだろう。そもそもにおいてお節介なのだ、どちらも。結果的に5Rのテーマとなっているのは「自分の弱さに立ち向かい、後悔しない」という事になるのだと思う。そしてこれは敵も全く同じである。彼は自分の愛する人を失う代わりにその人だけでなく多くの人を救おうとしたのだから。
勿論それらが全て彼の判定に委ねられるというのは確かにおかしい。仮に三角関係の人たちがいて、片方は成就させられもう一人はその気持ちを失わされることになるとか、お前は神になったつもりか?とでも言いたくなるだろう。しかしながら彼は一応メメントスを通じて判断をしていることになる。怪盗団が書き込みを通じて勝手に人間関係を改変していくのと果たしてどれほど違うのだろうか。逆に言うと、ストーリーとして怪盗団の視点に立ち「これらの人間関係をどうするか?」と言った選択肢が出た場合、「認知を変えるのは自然に反するのは放置する」という判断はおそらく正しいとみなされない。だから彼らはメメントスに潜ったわけだ。そうすることにより認知と支持率が上がるという下心も込めて。
このようにP5の時点ではある程度シンプルな勧善懲悪的ストーリーとして通ったものがP5Rでは途端に複雑な倫理的見地をはらむものになってしまっている。ある意味においては「考えさせられる」作品になったとも言えなくないが、全ては認知の歪みというオタカラを奪うという設定が招いたことだと個人的には思っている。
尚、本作品では続編としてペルソナ5 スクランブル ザ ファントム ストライカーズが発売された。自分は未プレイだが、一応公式HPに書いてあるので引用すると、今作ではパレスの代わりにジェイルというものが発生するようだ。そして「“ジェイル”とは王(キング)が支配する異世界で、その様子は王の認知が具現化したものとなっている。」とある。ようするに悪い奴がしかけたものから人々を救うという普通の話になってるらしい。(5Rとの違いは、単純に害をなすか否かにあると言って良いと思う。尚、発売日自体はこの5Sより5Rの方が後だ。)
正直初めからこのような、「誰かのせいで認知を歪められ悪人と化した」人達を救っていく話だったら何も複雑なことにならなかった気がするが、トリックスターだとか怪盗団とか言う設定にこだわったんだろうなあ。(ただこの場合も仮に「誰かのせいで認知を歪められ善人と化した」のならそれでも改心させて悪人に戻すべきか?みたいな問題は立ち上がってくるだろうが。)
ちなみにこの作品で個人的に一番やべー奴と思ったのはハルだ。まず父親が無残な死を遂げてるのに怪盗団を疑わないのはお人よしが過ぎる。また彼女は5Rにおいて「明智も被害者」だと言い放ったのだが、おいおいこいつは自分の父親暗殺の当人である上に欲望のため自分の意志で悪事に手を染めまくってたやつだぞ?こいつが被害者だと言うのならメメントスで出てくるような連中は軒並み被害者の範疇だろ。何ならパレスできてたやつらですらそうなるぞと思ったわけだが、多分彼女の中にある父への複雑な感情とまぜこぜになってこのような形となった……と信じたい。
あれ?そうやって考えたら明智にはパレスが出来ててもおかしくない筈だし、それを改心すればもっとシンプルに話が終わっていたのでは……{/netabare}
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