ナルユキ さんの感想・評価
4.7
物語 : 4.5
作画 : 4.5
声優 : 5.0
音楽 : 4.5
キャラ : 5.0
状態:観終わった
前日譚だからこそ描ける、花散る悲劇
2章の内容がアレだったので雰囲気は暗い方に寄せられているが、流石はゆゆゆシリーズ。最終章でも日常の描写とその必要性は抜かりない。
そして遂に鷲尾須美の章と『結城友奈は勇者である』が点と点とで繋がり、話を膨らませていく。それが前日譚の最終章たる本作最大の役割……しかしその繋げ方は余りにも残酷だった。
【ココが悲しい…:告別式】
前章の苛烈な戦闘でその命を燃やし尽くした三ノ輪銀。彼女は御役目を全うした英霊として沢山の人に見送られる。告別式の開催を雨の中、安芸先生が伝えるところから最終章が始まった。
{netabare}告別式には単純に銀の死を哀しむ人だけが集まったのではない。銀の家族を慰めるためか、銀の死を「御役目を成就して逝くとは誇らしい」「英霊になれた彼女が羨ましい」という銀の親族らしき人が登場する。端から聴けば非常に前時代的で腹立たしい台詞だ。
これがお国のために命を懸けることを良しとした軍人の葬式なら出てもいい台詞だろうが、本作で亡くなったのは僅か11歳の少女だ。しかも家族の元に──親友の側に帰りたがっていた。将来の夢はお嫁さんだとカミングアウトした等身大の女の子だ。そんな娘を軍人と同じように扱い始める親族の感覚──延いてはゆゆゆシリーズの世界観の歪さに初めて戸惑いや嫌悪感を憶えるシーンとなる。
銀の弟・鉄男の絶叫の方が数倍、共感できる。神様なのになんで姉ちゃんを守ってくれないんだ。どうして姉ちゃんが死ななきゃいけなかったんだ。ただその訴えは献花を捧げに壇上にいた鷲尾須美や乃木園子にも降りかかるようでやるせない。当然、彼女たちも悪くないのだ。ただ相手の方が一枚上手で戦い続けることが出来なくなっただけ……
その後、空気を読まず式の途中で襲来したバーテックスを2人で追い返した須美と園子。改めて銀の強さと喪失感、2人のみでの力不足を痛感し、こらえていた涙を車中で流す。
「先生にこんなに褒められたなんて初めてかも……でもね先生……1番偉いのはね、ミノさんなんだよ。たった1人で、3体追い返したんだよ……だから、ミノさんのこと忘れないであげて? 強かったから……凄かったから……私たち2人じゃなくて……3人、勇者なんだから……」{/netabare}
園子役の花澤さんの演技はもらい泣きするくらい素晴らしかった。
【ココが面白い:わすゆ最後の日常】
いつまでも暗い雰囲気では置かないのがシリーズの特徴。銀を喪った哀しみは登場人物も視聴者も簡単には癒えないが、それでも乗り越えるため──気を紛らわせるために、あの真面目キャラの須美が休暇を提案する。
{netabare}夏祭りに訪れた2人は本当に楽しそうだった。屋台の旨いもの、的屋、穴場スポットで見る花火……それらも銀が命を懸けて守ったものだ。3人で過ごせないのはとても残念だが、そんな野暮なことはもう2人は口にしない。
「友達だよ、私達3人。これから何があっても、ずっと……」
3つのストラップを並べて手を握り合い、2人は永遠の友情を“やくそく”する。1人が欠けたばかりだというのに忌避することなく、固執することもなく、勇者と呼ばれるに相応しい精神力を魅せる須美と園子……これほど素晴らしい日常シーンを挿入できるのは本シリーズならではだろう。{/netabare}
【ココが悲しい…:遂に来てしまった新勇者システム】
そんな2人の心の強さを大人は──大赦は信用しない。いや、世界の命運が懸かっている以上「信用してはいけなかった」と言う方があの組織の名誉を守れるか……。
{netabare}三ノ輪銀の戦死によって落ちた戦力を補うため、遂に『結城友奈は勇者である』でも勇者部を苦しめた満開と精霊が導入されることになる。その代償である“散華”の存在を本人に伏せたまま……。
放課後をショッピングモールで過ごす須美と園子のシーンと、両家にだけはその残酷な真実を伝える安芸先生のシーンを交互に移す描写が印象的だ。「沢山の人が応援してくれる。御役目のある私たちは幸せ者だ」と豪語できるまでに至った須美と園子の身体を、その“沢山の人”が潰しにかかる、或いは黙認する。その準備が着々と進められているかのようでいて悲しい。
そして真実を知らぬままバーテックス戦。何の躊躇もなく満開を使い始める須美と園子。劇場をはばからず「やめろおおおお」と叫びたくなる衝動に駆られた。
結果は勇者側の勝利。当然だ。須美は2回、園子は20回以上、花を咲かせたのだから。そして残酷なことに須美は鷲尾須美としての記憶を散華で散らしてしまう。実娘のように育ててくれた鷲尾家の両親のことも、永遠の友情を誓い合った乃木園子のことも、そして三ノ輪銀のことも────
病室の表札から「鷲尾須美」の名前が抜かれたとき、鷲尾須美という少女の物語も幕を閉じるのである。{/netabare}
【総評】
{netabare}改めて2章で起きた悲劇と日常、満開と散華によるダークな展開が味わえて、遂には1人の少女の存在が抹消されるという後味の悪さが癖になる最終章だった。
まあその後、鷲尾須美は東郷美森となって結城友奈とイチャイチャするし、捧げられた供物も還ってくると考えたらそこまで悲しくもない人もいるだろうが、せっかく相互理解を果たして、バーテックスとの決着が着いたら対等に遊べる筈だったクラスメイトとは生き別れてしまうし(私の経験上、小学校5~6年生の時のクラスメイトは結構強い縁を結べる)、その後2年間は健常者として過ごせた筈の貴重な青春を労災で喪ってしまっているのである。
園子に至っては食事も下の処理も他人の手を借りなければならない屈辱を味わっている。とても「命あっての物種」とか「後で身体機能は元に戻るから」では片付けられない精神的な損失があるのだ。{/netabare}
本作は勇者の犠牲を誉れとする大人たちも舞台に出ていた。これはこのシリーズでは結構珍しい。勇者たちの活躍の裏で彼女らに更なる犠牲を強いる大赦、黙認する家族、結果を直視せず仮面で顔を隠した安芸先生と、デザインが立ちつつも卑怯な選択を取る大人キャラクターの姿を嫌でも拝むことができる、貴重な憎まれ役だ。
同じく大人な視聴者なら彼らの行動も理解はできる。しかし共感までできる者はそう多くない。大赦が少ない手段で有効打を打つ善良な組織か、自分たちが力を持てないのを理由に子供に犠牲を強いる邪教か。実にトロリー問題のように白熱しそうな議論になるだろう。
鷲尾須美の章、全3章。バトルも日常シーンも前作を超え、誰かのために勇む者=勇者を可憐な少女で現した素晴らしいヒロインアクションアニメだ。勿論、尺としては計6話分しかなく、そこに注力すれば1クールアニメより質が良くなるのは道理だが『言うは易く行うは難し』。原作はノベル作品であった『鷲尾須美は勇者である』をブラッシュアップし、劇場クオリティーで映像化した製作陣には感謝してもし切れない。常に3輪の花が舞い、最後に散る鷲尾須美の物語は今後も色褪せることのないアニメ作品の1作だと私は思う。
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