「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!(アニメ映画)」

総合得点
68.3
感想・評価
60
棚に入れた
321
ランキング
2098
★★★★☆ 3.7 (60)
物語
3.6
作画
3.9
声優
3.6
音楽
3.7
キャラ
3.6

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ネタバレ

ナルユキ さんの感想・評価

★★★★☆ 3.5
物語 : 2.5 作画 : 5.0 声優 : 3.5 音楽 : 3.5 キャラ : 3.0 状態:観終わった

まずはリメイクかリブートかを決めろ

これと他3作のせいでサン&ムーンの映画化が潰えたんだよな……という個人的な恨みがある作品の1つ(笑) まあその分、テレビアニメでUBや他の伝説ポケモン出していたんだけどね、未だに心無い輩に「サンムーンは人気がないから映画化なんて出来なかったんだ」と書かれるので当時観ていた者としては非常に悔しい気持ちを未だに抱く。ベストウィッシュやXYより話数多いんだけどねぇ
サンムーンファンにこんな思いをさせてまで何を作ったかというとこの作品、なんと『ポケットモンスター(1997)』(以降、無印アニメ)の第1話から枝分かれしたオマージュ・リメイク要素をふんだんに入れつつのオリジナルストーリーなのである。
出会ったばかりでなつき度の低いピカチュウと扱いに苦労するサトシ、そんな1人と1匹がオニスズメの大群という絶望的な危機を乗り越えて絆を結ぶところまでを現代アニメで忠実にリメイクしており赤緑世代──25~30歳くらいの大人が懐かしさに涙を滲ませるような素晴らしい冒頭を披露してくれた。
それまではテレビアニメシリーズと連動し、サトシたちの旅の「壮大な寄り道」でしかなかったポケモン映画が今作を機に生まれ変わる。テレビとの繋がりを断ち、単作での完成度を追求し始めた新ポケモン映画の第1作。その最終的な是非は……?

【ココがすごい!:俺たちはホウオウに会いに行く】
無印アニメの第1話に登場というトップバッターを飾った伝説のポケモン。
当時はポケモン図鑑を開いても名前すらわからなかった幻のポケモン。
そして『ポケットモンスター金』のパッケージを飾りながら、対となる『銀』のルギアと違い全く映画に登場しなかった悲しき獣──もといポケモン──。
ある意味でその神秘性を20年も貫いてきたにじいろポケモン・ホウオウが遂に銀幕デビューを果たした。それだけで当時は話題沸騰だったことをよく覚えている。
冒頭は無印アニメと同じくオニスズメとの戦いで傷つき倒れていたサトシとピカチュウの頭上を飛び去っていく。しかしホウオウはアニメと違い、サトシたちに『にじいろのはね』を落としたのである。
後に語られるホウオウの伝説────にじいろのはねに導かれ、ホウオウに会う者、虹の勇者とならん。
ホウオウは人とポケモンの営みから発せられる『聖なる波動』を受けて力を得るため、世界中を飛び回っては気に入ったトレーナーににじいろのはねを渡し、自らの下に導くのである。
図らずもその「虹の勇者」の候補となったサトシは、ポケモンマスターになる夢に「ホウオウに相対する」という目標を加え、無印アニメとはまた一味違ったカントー地方の冒険へと繰り出していく。
元来は全275話もある『ポケットモンスター(1997)』。その長い冒険や想い出をOPでのダイジェストやスマホで撮った写真で振り返るシーンなどで上手く圧縮して魅せる創意工夫も見られる。

【でもココがひどい?:リメイク≠リブート】
しかしこの作品、よくよく追ってみれば「リメイク」ではなく「リブート」だ。リメイクは過去作品を現在の技術で作り直すことであり根本的な物語が変更されることはない。しかしリブートは『スパイダーマン』が『アメイジング・スパイダーマン』、そして『スパイダーマン:○○』と変遷していったように設定そのものを一新させて作り直すという意味合いを持ち、同じ轍(わだち)を踏まないためにも過去作とは違った物語を展開していく。
本作も忠実にリメイクされたのは第1話のみであり、後の展開はゲーム『ポケットモンスター赤・緑』や無印アニメの人気エピソードをかいつまんでオマージュ要素として遺された、アニメとは一味どころか通過点も着地点も異なった別物の物語なのである。
{netabare}最大の違いは無印アニメの旅仲間だった「カスミ」と「タケシ」がいないこと。しかし女子と聡明な男子ポジションは必要なのか各々「マコト」と「ソウジ」というキャラクターに置き換わっている。この2人の評価は非常に難しいところがある。
確かにマコトはカスミではないし、ソウジもタケシではない。しかしマコトはみずタイプのポケモンが大好きであり手持ちもそれで統一、ソウジはポケモンブリーダーではないが「ポケモンを正しく育てる」という意味では同じのポケモン博士を目指す少年として登場しており、前の2人の面影を色濃く残したキャラクターなのだ。そんな中途半端なキャラが登場すると、冒頭のリメイクにより懐かしさで胸いっぱいとなった視聴者は当然「どうして素直にカスミとタケシを出さなかったんだ?」と思うのである。{/netabare}

【でもココが熱い:リブートで誕生!新たなライバル】
一方で「ダイスケ」というキャラクターを覚えている人はそういないだろう。無印アニメ第11話『はぐれポケモン・ヒトカゲ』に登場するヒトカゲを捨てたチョイ役のトレーナーである。
これを新キャラ・クロスにし、本作の悪役(ヴィラン)かつサトシのライバルをも兼任させたというのがリブート(再構成)という方針で良い変化をもたらした部分だ。この作品最大の良点と言ってもいい。
{netabare}クロスの人物像は明らかに『ポケットモンスター ダイヤモンド&パール』のシンジを参考にしている。ヒトカゲを置き去りにしたこと自体はダイスケと同じく身勝手の極みであるものの、「強さこそ全て」という信念の下、他のポケモンは強く育てており本作ではまだ駆け出しトレーナーであるサトシを寄せ付けない。一方でサトシはクロスへの対抗心に囚われ、気合いと根性を押しつける不適切な指示を繰り出す。どんなポケモンも信頼するサトシという主人公はいつもいつでも魅力的に映るものの、その信頼に具体的な根拠を示すことは少ないのが玉に瑕だ。
「甘いんだよ。安い友情を押しつけ駄目な指示でポケモンに敗北の屈辱を味わせた。お前は最低のトレーナー────いや、トレーナー失格だ!」
嘗てのシンジを彷彿とさせつつ、彼よりも痛烈になじることで独自のキャラクター性を立てたクロス。彼と彼の手持ちである第7世代炎御三家・ガオガエンと、サトシと初代炎御三家とのライバル関係が短い尺の中で1番効果的に描かれており、激しく動くポケモンバトルも併せて劇中最も熱い展開となっている。長いポケモンシリーズの中でよりポケモンバトルの奥深さを突き詰めた『ポケットモンスター ダイヤモンド&パール』をやった経験が活きた良リブートだ。{/netabare}

【でもやっぱりココがひどい?:リメイクとリブートがごちゃ混ぜ】
この作品が無印アニメのリブートであることは本作を半分以上観ることで理解できるのだが、それにしては中途半端なリメイクやオマージュ要素を多分に含んでおり、物語自体に没入出来ないノイズとなっている。
{netabare}とくに歴代屈指の感動回とも言われる無印アニメの第21話『バイバイバタフリー』のエピソードが本作にも輸入されているのだが、その実態は3分くらいの簡略式であり、本作のみで考えた場合、感動エピソードを描くのに必要な「溜め」が圧倒的に足りていない。
さらにアニメ版とは違い、本作でサトシの手持ちポケモンはピカチュウとヒトカゲ含めて3匹しかいない。その内の1匹を離脱させてしまうことで、後の激しい展開にサトシはたったポケモン2匹で挑むというどことない違和感を覚える構成となってしまっている。{/netabare}
{netabare}恒例の「ロケット団」も今までのポケモン映画以上に扱いが悪い。彼らとリメイク要素を出すのならば今日まで25年以上に及ぶサトシ&ピカチュウとロケット団の因縁の始まりである第2話『たいけつ!ポケモンセンター!』のエピソードが入って然るべきなのだが、驚くことにこの作品ではサトシとロケット団が1度も相対することがない。今までの作品(デオキシスやアルセウスなど)でもそんな微妙なギャグ要員で終わってしまうことは少なくなかったが、それら“今までの作品”とは違った大幅な方針転換を打ち出し無印アニメのリブートという形にしたのが本作である筈なのに、今までの作品でも決して褒められる点ではなかった部分を受け継いでしまっているのはいかがなものだろうか。{/netabare}

【ココもひどい:結局新ポケモンを推し出すんですね】
そしてリメイク要素の強いリブート作が最も受け継いではいけなかったのが「新ポケモンの活躍」だ。
本作のキービジュアルでは夕焼け空に羽ばたくホウオウとそれを見上げるサトシとピカチュウという構図になっており、私も上記で【ココがすごい!:俺たちはホウオウに会いに行く】なんて項目を書いたわけだが、実はこの作品で最も活躍する伝説のポケモンは「{netabare}マーシャドー{/netabare}」なのである。聞いたことない?そうでしょうねぇ。このポケモン、{netabare}『ポケットモンスター サン&ムーン』で登場した第7世代のポケモン{/netabare}なんですもの。初代や第2世代(金銀。舞台はジョウト地方)しか知らない人には縁遠いキャラクターなわけでそれがどうしてかホウオウとその神話に絡んでいる。まあ「いつものやつ」である(笑)
ポケモンというコンテンツを1度離れた人は先ずこのポケモン映画の「商売っ気」に嫌気が差したところから心が離れたのではないだろうか。ポケモン映画はゲームと連動し、通常のプレイでは手に入らない珍しいポケモンを特典として配布している。アニメというものを芸術鑑賞と捉えて観る場合、ポケモン映画の大半はこの商売っ気が作品のストーリーを侵食しているために中々、評価されない。そのダメなところが20周年記念作、無印アニメのリブートである本作でも結局描かれてしまう。
{netabare}ホウオウは『聖なる波動』を受けるためにポケモントレーナーを自らの下へ導くのだが、もし悪しき心を持つトレーナーが来てしまうと『邪悪な波動』を受けて力を喪ってしまう。そんな事態を避けるために『にじいろのはね』を手に入れた「虹の勇者」候補を見定めるのがマーシャドーだという設定は丁寧に説明されてはいるのだが、どうして羽根を強奪したクロスが岩に捧げるまでを傍観して、捧げた途端にサトシら諸とも排除に動いたのかまでは説明してくれない。まるで「暴れる理由」が欲しかったように見えてしまった。
理由を得たマーシャドーは終盤の尺を一気に食い潰す。野生のポケモンたちを操り、ピカチュウとの一騎討ちを制し、そして最後にはポケモンたちを使ってサトシを殺してしまう(当然、後で生き返るが)。とんでもない暴れっぷりである。
そして間もなくエンドロール、遂に現れたホウオウにやることができたのは『せいなるほのお』2発のみ。相対したサトシ&ピカチュウとのバトルの結果はカットで有耶無耶にしてしまうという、映画の看板ポケモンにしてはあまりにも少ない出番で本作は終わってしまい、およそ20年の苦節が報われることはなかったのである。{/netabare}

【総評】
良い点も悪い点も際立った粗削りな作品だと評する。個人的にはかなり「否」寄りだ。
カントー地方以降の新要素と無印アニメのリメイク要素、そしてこの映画ならではのオリジナル要素。どれもこれも自重せず尺の奪い合いというケンカをしてしまっており、『ポケットモンスター(1997)』のリメイクを期待した人にとっては随分と肩透かしな内容である。贔屓目に評しても賛否両論なポケモン映画には違いない。
ストーリー自体は決して悪くない。伝説のポケモンである「ホウオウ」を目標に、サトシが初めての旅に出て成長していく様がダイジェスト風味ではあるもののしっかりと描かれており、ド迫力かつ等身大なスケールで動かしたポケモンバトルを絡めながらのストーリー展開はよくまとまっており面白い。ただそこに中途半端なリメイク要素が入ったり、終盤を新ポケモン無双と今までのポケモン映画で観たようなお涙頂戴で飾ったりなどで台無しにしてしまっている。
人によっては{netabare}ピカチュウが喋ってしまう{/netabare}ことにも嫌悪感を抱くだろう。これは故・首藤剛志氏が嘗て書いた没案の1つらしいのだが、没案が如何にして没となったのかが伺える懐疑的なシーンだ。
リメイクとリブート────2つの言葉は似て非なるものである。
リメイクするならリメイクする、リブートするならリメイクを廃して100%新しい物語を展開する。このどちらかを徹底していれば評価は大きく上向いた筈だが、そこからさらにホウオウのフィーチャーと新ポケモンの活躍まで欲張ってしまい、少なくとも現在の子どもと“大人になってしまった子ども”の2種類あるターゲットの内、メインをどちらにするか絞り込むことが出来なくなってしまったようだ。
決して長くない映画の尺でサトシの冒険の始まりから全ての要素を描くのは土台無理な話であり、そこはもっと諦めて取捨選択をしっかりと行い、サトシの成長やポケモントレーナーの定義、そしてホウオウの神話に少しでも踏み込んだ脚本を描くべきだった。
{netabare}三犬の内、エンテイ→スイクン→ライコウの順にどんどん扱いが悪くなっていくのがある意味、本作の欠点の象徴とも言える。{/netabare}

投稿 : 2023/04/30
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サンキュー:

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