ナルユキ さんの感想・評価
3.3
物語 : 2.0
作画 : 4.0
声優 : 4.0
音楽 : 4.0
キャラ : 2.5
状態:途中で断念した
ロボットアニメであんなに少年追い詰めちゃったら、それもうエヴァじゃん
と、エウレカファンからは絶対サンキューもらえなさそうなタイトルで始まり始まり。
私も好きな作品を根拠もなく「パクリ」なんて言われたら腹が立つ性分なので、なるだけ自分のレビューでは酷評でも使わないように努めてはいるのだけれども本作は流石に……(汗
まあエウレカセブン自体「オマージュ・パロディが多い作品だ」と制作陣が発言しているようなので、このような疑惑は向けられ馴れているのではないだろうか。
もちろん異なる部分も多々見受けられたが、難解な用語設定や感情に乏しく謎の多いメインヒロイン、そして少年主人公に降りかかる理不尽な暴力や悲劇はどうしても『新世紀ヱヴァンゲリヲン』を想起してしまった。
【ここがつまらない:見所の乏しい前半2クール】
本作の個性的な部分を挙げるなら、やはりロボットが「スカイサーフィン」をしながら戦う、という点。浅~い着眼点ではあるが紛れもないロボットアニメたる本作にハマるためにはとても重要な要素だと思う。
空気中の目に見えない物質「トラパー」の波に乗り、大空を三次元的に飛び回って敵の弾幕を華麗に躱す戦闘シーン、そのために最適化されたかのようなスマートなフォルムをしたロボットのボディデザインで何処と無く“爽やかな”カッコ良さを第一印象で与えてくれる。
しかし、そんな戦闘シーンはとても少ない。
元・全日枠、4クール全50話なので毎話の予算も低く見積もられていたのだろうか? 現在ではロボット描写で主流となる「3DCG」も本作は00年代作品ということで全く使われていない、全て味のある「手描き」だ。そのためか、肝心のロボバトルの描写が尺の割に非常に少なく、あっても軍の量産機ばかりが相手で直ぐに倒してしまうため趣に欠けている。話によってはビーグルモード(車形態)で追いかけっこするだけで終わらせてしまう回もあった。
{netabare}主人公機に対するライバル機もいるにはいるのだが、体調や精神面が非常に不安定であり10話でちょっと交戦して以降は頭痛で引きこもり世話役に当たり散らす日々が描写される。{/netabare}
【ここがひどい:鬱屈とした前半2クール】
作画カロリーの高いロボバトルをなるべく避けて描写されるのはボーイミーツガール────に見せかけた主人公いじめである。
──我ながらなんて穿った見方をしているんだ。序中盤は明らかに主人公・レントンの精神的成長に趣が置かれているじゃないか。もう少し素直に物語を見守ろう──と自省はしていたのだが、それが21話の大作にもなってしまうといい加減、鬱憤が溜まってしまうものだ。
{netabare}空賊集団『ゲッコーステイト』のリーダー・ホランド29歳。度々14歳の少年を助走つけてぶん殴る。理由はあるにはあるのだけれど少なくともレントンに非はない。
サブリーダーのタルホ。レントンをからかって遊んだり雑務雑用を押し付けたり……メンバーとして迎えた以上は仕事を与えるところまでは筋が通っているのだけれど、艦内の掃除に売店の店番、買い出しのお供に食事の配膳etc.と明らか少年に与える仕事量ではない。感情昂ると普通に手も出す。
男連中。一芝居打ってレントンに大恥をかかせ、さらに雑誌で晒し者にする。純真に組織の役に立ちたい少年心をからかうのに丸々1話使ったギャグ回はクスリともできなかった。
エウレカの子供たち。最初にレントンを追い出そうとした気持ちはわかるのだけれど、和解した後も基本、舐め腐った態度を改めない。子供に寄せようとした声優たちの演技も金切り声になっていて頭が痛くなる。
そしてレントンが一目惚れし、乗船の動機となったヒロイン・エウレカ。序盤はやはり綾波レイとさ程変わらない。無口で無感情。2クール経っても何者なのかいまいち解らないと来ている。違いとしては養子を3人持っていて、その子らの「親」としてどうあればいいのか悩み模索していく部分だろうか。それでも「全然違う」とまでは言い切れない。
オマケに自分よりレントンの方が主人公機を上手く動かせるようになると、その嫉妬から険悪にもなってしまうなど作品の雰囲気をいち早く最悪にしてしまっている。キービジュアルや物語の始まりで抱いた“爽やかな”印象はこの鬱屈とした2クールですり潰されてしまう。
確かにレントンは子供だ。直情的で後先考えない行動に周りが迷惑し、艦の掟として罰が与えられることもある。少年ならではのストレートな感情をぶつけられて苛立ち、手を出す登場人物が描写されるのも仕方がない。
だが、それ以上だ。それ以上に少年が理不尽な待遇を受けたり暴力に曝されたりする様が観てて不快である。レントンもガキだが、よりによってその周りも身体が大きいばかりの「ガキ」だったのだ。
「お前、一人でニルヴァーシュ(主人公機)動かせるからって調子に乗ってねえか!?」
大人がこんないちゃもんを少年につけるなんて、多分この作品だけだろう。{/netabare}
【でもココが面白い?:3クール(26話)目から本領発揮か?】
{netabare}「こんな調子でどこに名作要素があるんだ?」と知らないでこれを読んでいる人は思うかも知れない。実際、私も2クール終了付近まではそう疑問視していた。
しかし子どもだったレントンは「責任」や「使命」を学び少しだけ大人になって帰ってくるし、エウレカは自身の変化────「恋」を自覚して感情が豊かになっていく。ここから彼女はポスト綾波レイを脱却していき、レントンとの全うなボーイミーツガールも描かれるのである。
そしてホランド。彼は自分がエウレカのパートナーになれないことを受け入れる。今までそれを受け入れなかったからこそ、自分の目指してきたポジションに収まりつつあるレントンに嫉妬していた。これはダサい。大人として、組織のリーダーとして本当にダサいのだが、その“ダサさ”を拭い捨てることでドン底にあった彼の株は0に、そして+に上向いていく。33話にはレントンとエウレカに向けての謝罪とゲッコーステイトの解散宣言をしたことで今までの描写の溜飲も下げられる。
そして曖昧だったエウレカの正体やゲッコーステイトの目的もようやく明かされる。
そもそも『エウレカセブン』の世界は地球ではない、「スカブコーラル」と呼ばれる珊瑚のような物質────意志のある知的生命体・コーラリアンに覆われた惑星であり、人類はそれを排除する政府と共存を目指すホランド側に二分して対立していた。この特異な世界観が明確になるのも3クールからだ。そこまでなーんにもハッキリとしない構成は明らかな失敗ではあるが、焦らしに焦らされ漸く明かされた設定の解説にはしっかりと耳を傾ける価値があるだろう。
その前段階で、エンジンをフルスロットルでかけ始める第26話「モーニング・グローリー」が良い。『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』などジブリの古典的アニメーションを彷彿とさせる空戦(ドッグファイト)のシーンが圧巻であり、その大空の戦場で成長して帰ってきたレントンと恋に目覚めレントンを求めるようになったエウレカが再会────既視感はありつつもそれまでの鬱屈とした2クールを吹き飛ばさんとする高水準なエピソードには感動するものである。{/netabare}
【他キャラ評】
チャールズ&レイ
{netabare}22話で本格登場。この2人が出てこなかったらエウレカセブンはもっと早い段階で切るつもりだった。まるで視聴者に見限られることを恐れて急遽、登場させたかのような素晴らしい人格をした夫妻である。いやほんとギリギリ(笑)
当て付けかのようにホランドとチャールズ、タルホとレイで対比させているのも面白い。レントンの何も知らない子どもの主張を「正しい。けど……」と優しく諭し、空回りしたレントンを「あなたは頑張ったじゃない」と努力を認める────素晴らしいパパ・ママじゃないか。彼らの艦がレントンのいるべき場所だった。正直、今でもそう思っている。
そんな彼らが敵であることで弛んでいた物語はギュッと引き締まる。襲撃に備えて厳重に警備を固めるゲッコーステイトの面々……ここでようやく解るのだ。こいつらは只の空賊じゃないぞ、と。それまでが買い出しやお使い、国賊救出のシーンばかりだっただけにこの“気づき”には驚かされた。{/netabare}
【総評】
上記の【ココが~】のポイントを全て読んで「最期まで観たのか!」と思ってくれた方には謝罪します。33話で断念しました。
先ずスロースターターにも程がある。エウレカセブンは後半から面白くなるだろうことはアニメ素人な私でも察しがついた所だけれども、前半は解らないことだらけのストーリーに加えて登場人物が軒並みお子様で爽快感が少なく、不満の溜まる展開が非常に多い。そんな失錯を2クールに渡り見せておいていざ「後半逆転してみせますから」という雰囲気を醸し出されてもいまいち信用ならない部分もある。見どころ────とくにロボット同士によるベストバウトが少なすぎるのがファンの懸念する以上に致命的であり、そういった不信を買ってしまう作品である。
ヒューマンドラマの方を楽しみにしようとしても前述の鬱屈とした展開のみでなく、キャラクターデザイン全体に漂う“野暮ったさ”でも興味を失いそうになる。エウレカというメインヒロインもそのライバルらしいアネモネという少女も視聴範囲では1度も可愛いとは思えなかった。彼女らの魅力も後半の方に集約しているのだろうか。もういっそのこと本作ではなく2009年の劇場版の方で済ませても良いのでは?と頭によぎってしまった(だがあちらはあちらでかなり不評のようで……汗)。
生年月日は伏せるが、2010年代にアニメの素晴らしさに気付き20年代からサブスクを活用してアニメを沢山観るようになった私は10年代────いや下手すれば20年代の若いオタクである。そんな私からすれば単に尺が長いというだけでなく、例えば1~13話でSEASON1とするような区切りがないマラソンのようにぶっ続けの本作の構成には辟易としてしまった。その長尺と構成を活かしゆっくりとキャラクターを成長させる作風にはある種のリアリティがあるのかもしれないが、SFロボットアニメにおいてそれが最優先されて長所となっているのは如何なものかと思うし、未熟な登場人物のディスコミュニケーションの皺寄せが少年主人公に来てしまったら「それはエヴァだろ」とアニオタならツッコまざるを得ない。