「クロスアンジュ 天使と竜の輪舞(TVアニメ動画)」

総合得点
74.9
感想・評価
1024
棚に入れた
5124
ランキング
844
★★★★☆ 3.8 (1024)
物語
3.7
作画
3.6
声優
3.9
音楽
3.8
キャラ
3.8

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ネタバレ

ossan_2014 さんの感想・評価

★★★☆☆ 3.0
物語 : 3.0 作画 : 3.0 声優 : 3.0 音楽 : 3.0 キャラ : 3.0 状態:途中で断念した

ポイント・オブ・ノーリターン

[末尾に追記]


3話まで視聴。
継続して観ようと思ったのは、メカ描写の魅力が大きい。
デザインよりも操作の描写だが、オートバイを模したメカ操作の描写がツボに入ったのもさることながら、二輪ライダーにとっては、メカをどう動かしているか直感的に伝える効果があり、臨場感を大きく拡大する。
こういった方向からのアプローチは、前例がちょっと見当たらないのではないだろうか。

物語のほうは、まだ世界の全貌が明らかになってはいない。
とりあえず、ある能力の有無が社会的プレステージの基盤になっており、能力のないものは、最下層で、人権を認められないほど侮蔑されているのに、生命を犠牲にして龍と戦うことで世界を崩壊から守ることを強制されるという、バランスが悪いというか危うい社会構造が読み取れる。

共同体の運営は、生産性という合理のみならず、文化的な価値観にも大きく影響を受け、時には滅亡にまで至るほど、共同体全体の不利益になる非合理な規範によって行われることもある、というのはジャレド・ダイアモンドの研究などでも明らかにされていることだが、非合理=社会のゆがみと捉えるのは、共同体の外部からの視点で、内部からはそれが歪みであると認識することはできない。

物語世界の社会のゆがみも、我々視聴者の視点からは明らかだが、主人公のように、共同体から排除され、外部に排斥されたものもまた、同じ視点を持つ条件が与えられる。

主人公の、主観的には理不尽な運命としか思えない悲劇は、身分の剥奪による社会的階層の移動であり、文化的価値=社会制度という、いわば人為的な都合の産物だ。
1、2話の主人公はまだこの点に無自覚であり、自身にマナという能力がないことを直視しないようにとあがくだけで、無いから最下層に送られる、という人為の決め事を疑う地点にはいない。

{netabare}3話において、自身の認識する社会規範からはいかなる救済もあり得ないと絶望した主人公は、自分の最前線兵士としての状況を受け入れ、動物的な生存の欲望を基礎に、戦うことを決意する。

ここで、物語は一つの分岐点を迎えたようだ。
この先、2つの未来が予想できるように思う。

一つは、最前線兵士たちの「仲間」として「成長」していく物語。

だが、この物語は、あまり心弾ませるものではない。

3話において、兵士たちに同僚の死の責任を問い詰められる主人公だが、そもそも責任を問われ得るのは、自身が、そのメンバーの死を防ぐべき義務のある同じ共同体の一員であると了解している場合のみだ。
自分がその共同体の一員であると了解していない、もっと積極的に否認しているのなら、いかなる義務も、義務感の持ちようもない。

反目していた兵士たちと助け合い、「仲間」としての交流を通じて新たな自分を見出すというのは、一見、いかにも美しい「成長」ストーリーに見える。
だが、「仲間」になるというのは、「成長」するということは、自身がその共同体の一員として組み込まれる事を承認するという意味だ。

最前線基地の共同体の一員として自己承認した途端、当の共同体としての基地を、基地を存在させている、自分を最下層として規定している社会制度そのものを承認せざるを得なくなってしまう。

社会制度を歪みと捉える視点を持ち得る主人公としては、矛盾した行動に引き裂かれるしかなくなるのではないだろうか。

どうにも心沈む展開しか思い描けない。


もう一つは、あくまでも動物的な生存の戦いを貫き通す物語。

最前線基地の共同体を徹底的に拒否し、周囲を生存のための道具の連鎖として、その死をも厭わず利用しつくして生き延び、そのこと自体によって社会規範にあくまでノーを突きつける物語。

絶望的な状況を強制されているのだと受け入れることと、その事態を了承することは、別の事だ。

不当で劣悪な環境を認識しつつ、これを了承しないことは大きな苦痛をもたらす。
間違っている、という認識に、人の自意識は耐えられない。自分にこれを変えられないという意識に耐えられない。
了承してしまえば、「不当な」境遇にいるとの葛藤は消える。即物的な快不快が残るだけで、自意識の葛藤とは無縁の、家畜的安楽が得られる。

「人間」を捨ててでも家畜的安楽を拒絶して、野獣として社会規範を無化してしまう物語。



分岐点を超え、行く末はどちらだろうか。

後者であれば見届けたいとは思うが、無理な望みだろうか。

3話において、失禁しつつも殺戮に性的快楽を覚え、基地内のささやかな快を象徴するプリンを口にしてマズイと吐き出すヒロインに、わずかに希望がほの見える。{/netabare}

【追記】
3話での主人公の行動について、ネット上で「無責任で不愉快に感じる」という意見が一定数あるようだ。
ある種の犯罪が起こるたびに社会から「犯罪者予備軍」として一種の「いけにえ」の役割を強制されるアニメファンの中にあって、「共同体からの犠牲の命令圧力」に対して、圧力をかける側に同化して違和感のない人がある程度いる、というのは興味深いことだ。

物語の行く末の見通しに、参考になりそう。


【最後に】

不安定で謎めいた世界の構造が、歴史的に生成されたものでは無く、一人の超越者=神によって創造されてものであると判明した時点で、視聴をやめた。

主人公の視線が、人間たちを、個人の集合体ではなく、用意された社会システムの家畜のようにしかとらえていない以上、彼女の憎悪や否定が何に向かい、何を「仲間」とみなす結果になろうとも、説得力を感じさせることはないだろう。

投稿 : 2015/02/18
閲覧 : 294
サンキュー:

3

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